穢れ(けがれ)・禊(みそぎ)の意味は?- 日本人の道徳・宗教

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穢れは『けがれ』と読みます。禊は『みそぎ』と読みます。

日本にはキリスト教やイスラム教のように絶対的な神はいません。日本人の宗教観・道徳観には判断基準を教えてくれる神はいません。

日本人の価値基準には穢れと禊が根っこにあります。その穢れと禊の意味について勉強します。

穢れとは何か?

穢れは『けがれ』と読みます。『汚れ』と同じようで異なります。『穢れ』には『汚れ』も含まれます。

穢れは日本人の独特の感性で、日本人にとって『避けたいもの』『触れたくないもの』のことを言います。

目に見えて嫌なものもあれば、目に見えないのでなんとく恐ろしいものもあります。また、周りの者に災いをもたらす人間の行動そのものが『穢れている』ということもあります。

日本人にとって気分を害するものはすべて『穢れている』ということです。例を挙げるとキリがありませんのでごく一部だけ紹介します。

  • 血に関すること
  • 争いごと
  • 死後の世界
  • 和を乱す行為

穢れは誰が基準を決めているのか?

穢れているかどうかの判断は誰かが決めているわけではありません。キリスト教やイスラム教のように神が決めるわけでもありません。

決めているのは『日本人の集団の意見』です。これは、日本人が多神教を信仰しているからで唯一無二の神を持たないからです。

日本人の集団の意見なので絶対なことは何一つありません。集団の中にいる人々の感性に大きく左右されます。

外国の人からすると、日本人はコロコロ意見を変えるように見えるでしょう。また、日本人は自分の意見を持っていないように見えるかもしれません。これは、日本人の道徳・宗教の根っこに『穢れ』があるからです。

穢れの思想には日本人の成り立ちが影響している

穢れの思想には日本人の成り立ちが大きく影響しています。日本人は紀元前131世紀ごろから小さな集落を形成して生活していました。その中で安定した生活をするため、物事を判断するのに『集団の意見を大切にします。

日本は極東の島国で移動する場所が限られているため、争いごとが起きるとお互いに潰しあいになってしまいます。安定した生活を保障するためには『和解』と『集団の意見』が必要だったのでしょう。

紀元後6世紀ごろまでに、小さな集団の1つで稲作を主産業とする勢力が、奈良を中心に中央集権政権を確立していきます。『ヤマト王権』です。

このヤマト王権が日本の原型です。

ユーラシア大陸の東の果ての島々に住む、集団生活をする人々が倭人(わじん。ヤマトの人)になりました。やがて倭人の一部が日本人になっていきます。

ヤマト王権の時代、この人々の『集団の意見』は『ヤマト王権の意見』になります。そして、国をまとめる中で王権の外の人々を『夷狄(いてき)』『蝦夷(えみし)』と呼んで”未開の野蛮人”として成敗してきました。その後、成敗された人々を吸収して『集団の意見』を更新します。

この”未開の野蛮人”は、稲作にこだわらず”狩猟”も行うので『血を扱う人々』です。だからこれらの人々は『穢れている』とされました。

穢れの中に『血に関係する』が含まれるのはそのためです。

禊とは何か?

禊は『みそぎ』と読みます。禊は『穢れたもの』をきれいに洗うことです。

日本人には『水に流す』という考え方があります。何か悪いことしても『禊が済んだ』ことになれば、『水に流す』ことで何もなかったように許されます。

禊に決まった行動はありません。カミに祈り続けることもあれば、ひたすら謝り続けることもあります。ひと昔では髪型を坊主にすることもありました。

キリスト教では神に許してもらうように祈りますが、日本人の禊は、『周りの人間が認めるかどうか』がポイントです。穢れと禊は日本人の道徳・宗教の根幹ですが、特定の神に行動の良しあしを委ねません。『集団の意見』が絶対となります。

皇祖神 天照大御神は禊の中から生まれた

日本人が穢れと禊の思想とともに生まれたことは、日本最古の歴史書の1つである『古事記』に記述されています。

日本の皇祖神である天照大御神(アマテラスオオミカミ)は禊の中から生まれました。

天照大御神の誕生神話は次のようなものです。

伊邪那岐命(イザナキノミコト)伊邪那美命(イザナミノミコト)は男女の夫婦のカミサマです。
この夫婦の子供として日本の島々が生まれ、そして数多くのカミサマが生まれました。
イザナミは火のカミサマを出産したときに大やけどを負ってしまいます。そしてそのまま亡くなってしまいました。
1人になったイザナキは妻を探しに死後の世界へ向かいます。しかし妻を連れ戻すことはできませんでした。
現世に戻ったイザナキは池の水で体を清めます。
左目を洗うと天照大御神(天上界の統治者)が生まれました。
右目を洗うと月読命(ツキヨミノミコト。夜の世界の統治者)が生まれました。
鼻を洗うと須佐之男命(スサノオノミコト。地下世界の統治者)が生まれました。

このように、穢れと禊は日本人がこの世にあらわれたときすでに存在したことが分かります。

穢れ・禊の良いところ

穢れ・禊の良いところは清潔さを求めるところです。この清潔さは見た目だけではありません。人間の行動にも清潔さを求めます。

たとえば日本人が、他人が箸を使って食事をしているのを見て、その後きれいに洗って消毒した場面を見たとします。日本人はその箸を使うのにためらいがあるでしょう。日本人の清潔で細かい性格はここまで徹底しています。

日本人は、災害時であっても理路整然と行動すると海外から称賛されることがあります。また、トイレや下水の技術は世界の中でもトップクラスの清潔さを誇ります。

そのほかについての細かい技術に長けているのもそうでしょう。これらは、穢れと禊の良い面が出ているといえます。

穢れ・禊の悪いところ

穢れ・禊の悪いところは、絶対的な価値の判断基準がないところです。日本人の価値基準が『集団の意見』であるため、価値基準がどんどん変わっていきます。

また、『集団の意見』が正しいとは限りません。『集団の意見』が間違っていることもたくさんあります。

それでも日本人の『善』は『集団の意見』になります。このあたりが『あってはならないこと』『直さないといけないこと』がなかなか修正されないことにつながります。

日本人の場合、個人の意見が『正しいこと』であってもそれが『集団の意見』にならない限り『悪』とされてしまいます。

これが原因で、日本人は自分の意見を言いたがりません。自分が『悪』になる可能性があるからです。

『決められない日本人』『意見を持たない日本人』はこうして作られます。

もう一つ、これは穢れ・禊の一番悪いところですが、穢れ・禊は、『集団の意見』に従わない人間を『冷酷なほど排除』するところです。このときの日本人は世界の中でもトップクラスの『残虐非道の人』になります。

『集団の意見』に従わない人間は、生きていけないくらいになるまで追い込みます。経済的に追い込むこともあるでしょう。精神的に追い詰めるときもあります。

そしてここが重要なのは、表面上は普通にコミュニケーションを取っているかのようにふるまいます。この追い込みは、排除される人間が見えないところで進行します。

排除される人間が気づいたときにはすでに手遅れになっていることもあります。

これは、『集団の意見』に従わないほうが正しい時でも同じです。そして、『本当に正しい』ことに気づいていても『本当に正しい人』を助ける人はなかなか現れません。『集団の意見』が『善』なので、それに反対するものは『悪』になってしまうからです。

これは、『本当は正しい人』に気づいている人が大勢いたとしても変わりません。それだけ日本人は『集団の意見が善』に従い、また怯えます。

外国の人々は困ってしまうでしょう。普段の日本人がおとなしくて親切なだけに、このギャップは恐怖すら感じるのではないでしょうか?

残念ながらこの『残虐非道』の部分が日本の中の差別の原因ともなっています。

女性蔑視、同和問題の原因も穢れと禊にある

日本の中での差別感情は『血が関係している』というところに特徴があります。

日本ではある特定の地域に住んでいる人々は差別の対象でした。その中には『食肉を生業にする人々』が含まれます。彼らは『血を扱う』からです。彼らは『部落民(ぶらくみん)』と呼ばれました。

また『女性は不浄』という言葉もありました。『女性は穢れている』という意味です。

日本はもともと男尊女卑の思想はありませんでした。もちろん、『女性は不浄』ではありませんでした。

しかし、中国から尊女卑の思想が入ってきたとき、穢れの思想と結びついて日本独特の男尊女卑が生まれてしまいます。女性は、月に一度生理があるので『血に関係する人』だからです。

残念ながら日本はこれらの問題に対して対応が遅れています。女性の社会進出は先進国でぶっちぎりの最下位ですし、大相撲の『土俵に女性上がれない』が伝統という理由で許されています。

相撲に関しては伝統ではなく因習なのですが。詳しくは『伝統と因習の違い』にまとめました。

『日本独特の男尊女卑の解消』が『集団の意見』になる日はまだまだ遠そうです。

排除された人はどうしたらよいのか?

日本の社会の中で『排除されてしまった』『穢れてしまった』人はどうしたらよいのでしょうか?

答えは『禊を行うこと』です。つまり、『周りの人間が許すまで耐える』です。しかしこれは、自分が正しいと思うことを捨てなければなりません。

本当にそんなことあるの? と思うかもしれませんが、日本社会のいたるところで『集団の意見』は存在します。

  • 学校
  • スポーツなどの趣味の活動
  • 会社
  • 住んでいる地域

『集団の意見』の大小はありますが、組織の存在するところには必ずあります。

もし耐えられないなら、その『集団』からは一刻も早く抜けるべきでしょう。決して戦ってはいけません。命を懸けて変える価値のある『集団』でない限りは。

日本の『集団』の中にはまっとうな意見をもったものが必ず存在します。その人たちはあなたのことをわかってくれるし、受け入れてくれるでしょう。

 

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