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因習(いんしゅう)の意味は?伝統との違いは何か? 見過ごすととんでもないことが起こる。

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古くから伝わる風習、習わしのことを”伝統”や”因習”といいます。この”伝統”と”因習”は同じような意味をもちますが、けっして同じものではありません。

一言でいえば

悪い伝統 = 因習

といったところ。

一見、無視すれば良いように見えますが、スルーしただけでもとんでもないことが起きるのが因習です。

因習(いんしゅう)とは?

因習を辞書で引いて見ると、『古くからある習慣。風習。しきたり。』。主に弊害を生むものとして使われ、良い意味では使われません。

かつては日本にも、人身御供の習わしがありました。

人身御供(ひとみごくう)

人間の生贄(いけにえ)のこと。人柱(ひとばしら)とも言う。

ちょっと刺激のあるかつての因習

ひとつ例をいうと、ある村では、天災を防ぐために数年に一度、村のバージンの少女をひとり選んで、大きな池の中心に置き去りにする習慣がありました。

この『生贄』を出した家の人間は、村の住民から終生大事にされて、食べるものに困らないくらいの援助があったそうです。

しかし、ここからは残酷です。少女の家族は大事にされますが、少女は逃げるのを許されません。

実際に泳いで逃げる子もいたようです。

しかし、池のほとりには村の男たちが待ち構えています。

逃げる少女を複数の男でボッコボコに殴りたおして、そのまま池に放り投げてしまうこともあったほど。

って、残虐な殺人事件じゃんっていう話。



これ以外にも、女性の初めての性体験や結婚の過程で、いまの感覚ではレイプまがいの風習もありました。

『夜這い』(よばい)とか全国にちらばってあったんじゃないですかね?

このような話は、そう遠くない昔の日本の風習で全国各地にありますが、今はれっきとした”犯罪”です。

少し刺激の強いものを例に出しましたが、このように、古くからあるしきたりで今では『あってはならないこと』を因習といいます。

伝統には因習が入っている

もうひとつ、古くからある習慣、風習、しきたりを”伝統”といいます。伝統と因習は同じ意味でしょうか?

答えは、『伝統の中に因習がある』です。

伝統”は良い意味で使うことが多いでしょう。しかし、伝統には『悪い伝統』『決してあってはならない伝統』もあります。

伝統の中の『あってはならないこと』が因習なので、”伝統”は良い意味で使うのが一般的です。

大相撲の『女人禁制』『女性は土俵に上がれない』は因習

舞鶴市の市長が土俵上で倒れ、それを助けようとした女性の看護師が土俵に上がったのをきっかけに、大相撲の『女人禁制』について話題になっています。

この『女人禁制』を擁護する人々は、先人たちが守り続けてきた”伝統”といいますが、これは”因習”です。

相撲が『女人禁制』になったのは明治5年。当時は、『男尊女卑、女性蔑視』があたりまえの時代でした。この思想がある中で生まれた伝統が『女性は土俵に上がれない』です。

相撲の女人禁制は男尊女卑

『男尊女卑』には、『女性は不浄』という考えがあります。日本の思想にはもともと『穢れ(けがれ)』があり、『血に関係する人々』は、

『穢れている』=『汚れている』=『禊(みそぎ)が済んでいない』=『不浄』=『聖域に入れない』

とされて差別の対象になりました。

(いいこともあるんですよ? ここでは言いませんが。)

『不浄』は、清潔でない、不潔という意味ですが、正確には『穢れを払っていない』、『禊が済んでいない』という意味です。

『女性は不浄』ってどういうこと?

穢れ(けがれ)と(みそぎ)については 穢れと禊にまかせて、ここではかんたんに説明します。

もともと女性は『不浄』ではありませんでした。しかし、『男尊女卑』の考えが浸透してきて、女性は月に一度の生理や出産があるので『血に関係する人』『死を連想させる人』として見られるようになります。

そして、『男尊女卑』と『穢れ』の思想が結びついて『女性は不浄』になりました。これは『女性は土俵に上がれない』伝統がつくられた当時、何の疑いもなく信じられていました。

『女性は土俵に上がれない』は伝統か?

このように見てみると『女性は土俵に上がれない』は”伝統”でしょうか?

もともと女性は汚れてなかったし、いま女性を『汚れている』というのはあってはならないことです。『あってはならない伝統』になります。これは伝統ではなく因習

相撲の『女人禁制』を擁護する人々は、『伝統と因習』をどのように分けるのか考えてないので、『相撲の伝統』についても何も考えていません。

本来はメディアで長い時間をかけてあーだこーだ言うものではなく、それだけ日本人が『伝統と因習』のバランスを忘れてしまったのでしょう。

相撲で祀っているカミは女神だから、女性が土俵に上がると女神が嫉妬して怒ってしまう

という、それらしい理由に納得させられそうですが、これは因習を伝統に見せるための方便です。それだけ伝統と因習のバランスを見るのはむずかしいということでもあります。

左翼と右翼、革新と保守の対立に『伝統と因習』が関係している

『いきなり何をいってるんだ?』でしょう。

いまのニュースを見てると、相手のことをレッテル貼りして攻撃してればOKになっていることがものすごく気持ち悪くて、とくに保守の政府与党がひどいです。

その原因が、彼らがいう伝統にあり、じつはその伝統は因習なので気持ち悪いということを言いたくて『いきなり何いってんだ?』をしました。

気持ちの悪さはバランスが悪いから

政治の対立、イデオロギーの対立を見ていくと伝統と因習のアンバランスが見えます。

左翼、革新と呼ばれる人々の思想は近代思想です。バランスが悪くなると近代以前の考えを根こそぎ排除する癖があります。

伝統は悪習だと思って消したいんですね?

(そもそも左翼、革新は伝統のことを考えないが。)

右翼、保守と呼ばれる人々の思想は、近代思想の中に伝統を取り入れていくことです。バランスが悪くなると因習を伝統と言いつづける癖があります。

左翼-革新(さよく。かくしん)

近代に入ってから生まれた政治思想のポジション。

世の中を良くしようとするとき、過去にとらわれず新しいことをどんどん挑戦しようとする。

フランス革命で議会をつくったとき、古いものを一掃して新しい国民国家をつくろうと考えた人たちが、議場の壇上から見て左側に座ったのがはじまり。

議場の議員席が壇上から扇形で広がっているところから翼にたとえられて『左翼』と呼ぶ。

フランス革命の左翼は、一番左に王政を打倒して急激に国民国家をつくろうと考える急進派が陣取ったので『革新』ともいわれる。

フランス革命のスローガン『自由』『平等』『同胞愛』を標榜する国は左翼国家。

左翼国家は旧ソ連や中国、北朝鮮、ベトナム、キューバなどの共産主義国家だけではない。(平等を追求)

アメリカ、フランス、イギリス、ドイツ、日本だって左翼国家。近代の国民国家だから。(自由を追求)

右翼-保守(うよく。ほしゅ)

フランス革命の議会の右側に座った勢力の政治思想のこと。

左翼とちがい、王政は残そうという考えを持っていたので右翼と呼ぶ。

世の中を良くしようとするとき、過去の先人の知恵を借りて答えを出そうとする。

王政を残す = 昔のいいところはつぶさなくていいというところから伝統を守る = 保守ともいわれる。

保守は伝統というバランス棒をもちながら、時代を綱渡りで進むもの

といい、右翼と保守を分ける考えもある。

左(左翼)に寄りすぎると谷底に落ち、右(右翼)に寄りすぎるとまた谷底に落ちる

過去の歴史の知恵で、綱渡りのバランスを取っていきながら前へ進んでいこうという考え。

保守 = 歴史で培ったバランス感覚

いまの日本の政治家を見ると、バランスの悪い者同士が言い合いをしているようにしか見えません。

とくに政府与党はことあるごとに伝統を口にするが、彼らがいちばん伝統を分かっていない。

日本全国だれよりも。

だから気持ち悪い。しかもじつは因習だったりするので余計に。

因習の克服で建設的にいけないか?

本来は、左翼と右翼、革新と保守はお互いより良い世界を目指しているはずなので、レッテルを貼ってバカにするものではありません。

もっとよりよいものを目指すポイントに『因習』があると思います。どちらも『あってはならないこと』をなくすことに異論はないはずで、不毛な対立ではなくもっと建設的な議論ができるはずです。

日本が近代化したとき、明治、大正期の日本人は『伝統と因習のバランス』についてよく考え議論していました。いまの日本人は明らかに当時から比べて退化しています。

いまこそ先人の知恵を改めて見直す必要があります。

日本左翼の父・中江兆民(なかえ ちょうみん)と日本右翼の源流・玄洋社のリーダー・頭山満(とうやま みつる)は、竹馬の友だったといわれる。

互いに思想をつづけていれば、尊敬しあえるんですね?

いまは真逆。どちらも最低レベルの証拠。

『伝統を守る』とはどういうことか?

よく『伝統は変わることで継承されていく』という言葉を聞きます。

伝統は守るだけではなくなってしまい、変わることで長くつづいていくという意味ですが、もっというと、

伝統は因習を克服することで、時代が変わっても人々に受け入れられ、続いていく

という意味。

伝統は、それぞれの時代に生きる人々に『守りたい』と思われないとつづきません。

因習を守ると伝統の中が因習だらけになり、人々から嫌われ、伝統そのものがなくなってしまいます。

伝統を守ることは因習との戦いです。伝統を重んじる人はつねに因習を意識しなければなりません。

伝統を考えずに因習を取り除こうとしてはいけません。『因習だ!やめろ!』と言いながら『伝統』まで根こそぎ取ってしまうので。

大相撲に関わる人々は因習を見てません。相撲人気に舞い上がって因習を増殖させています。

このままでは、『大相撲の伝統』は『あってはならない伝統 = 因習』としてこの世からなくなるでしょう。

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