第72代 白河天皇。院政の創始者。藤原一強時代を終わらせる。
白河天皇(しらかわ)は『ミスター院政』です。天皇を退いてから力を発揮し、60年近く君臨した化け物。
息子、孫、ひ孫を天皇に即位させ、その後見人になって政治の実権を握りました。これが院政の本格的なはじまりです。
また、武士が政治勢力になるきっかけになったという意味で、歴史的に大きなことをしました。
続きを読む第32代 崇峻天皇。蘇我氏と対立して暗殺される。蘇我系天皇なのに反蘇我だった?
崇峻天皇(すしゅん)は、歴代天皇の中で二人しかいない暗殺された天皇のひとりで、歴史の事実として暗殺されたのは崇峻天皇だけです。
また、臣下に殺された唯一の天皇です。
蘇我馬子(そが の うまこ)の甥っ子になるんですが、その叔父さんに殺されました。
続きを読む第42代 文武天皇。日本誕生の手柄をもらったラッキー男。25才で早死して好環境を活かせず。
第42代 文武天皇(もんむ)は大宝律令の天皇として有名ですが、これらのシステムを作り上げたのは先代でおばあちゃんの持統上皇です。
政権の人材もおばあちゃんが用意してくれ至れり尽くせりの好環境だったのに、25才で亡くなってしまい活かせませんでした。
続きを読む今上天皇ってどう読むの? だれのこと? どんな意味があるの?
今上(きんじょう)陛下って言葉はあまり聞いたことがありませんよね?
令和がはじまり、また天皇の継承問題が大きくなってきているのでこの言葉を聞く機会が増えると思います。
(というか、かなり使う人がいるのでスルーしなければ気になるはず。)
これを機に覚えておくのもよいのではないでしょうか?
続きを読む住吉神社ってどういうもの?八幡神社ができなかったかもしれない深い因縁。
住吉神社は海上の交通安全の神さまを祀っているので、海沿いの地域に広がったメジャーの神社です。今では海とは関係ない陸地にもあります。
ほかにもメジャーな神社に八幡宮がありますが、住吉神社の神さまと八幡さまには深い因縁が。両方に神功皇后が祀られているのがヒント。
続きを読む第82代 後鳥羽天皇。部下の部下から島流しの刑を食らった天才
文武両方に優れた才能を発揮した後鳥羽天皇(ごとば)。
しかし、鎌倉幕府の有力御家人に承久の乱で敗れ、島流しの刑を食らうという、歴代天皇の中でも例のない前代未聞の屈辱を味わいます。
この後も院政はつづきますが形式的で、積極的に政治を取り仕切る意味での院政は、後鳥羽上皇が最後です。
続きを読む第40代 天武天皇。大偉業の道半ばに死す。皇親政治の始まり。
第40代 天武天皇(てんむ)は、律令国家建設の大号令をかけて国づくりをおしすすめます。
日本の国のかたちをつくるという意味では明治維新に匹敵するかそれ以上かも。日本のもうひとつの近代化の父と言ってもいい。
ただ、多くの大号令をかけながら完成する前に亡くなってしまいましたが...
続きを読む第50代 桓武天皇。平安時代をスタートさせた改革者。中国が好きすぎて出で立ちが中国風。
第50代 桓武天皇(かんむ)は、平安時代をはじめた天皇です。
政治改革、軍政改革、民の負担軽減など聖帝と言っていいほど仕事をしました。
中国が好きすぎてミーハーになるほどで、母は朝鮮国王の末裔とも言われます。中身も、見た目も、行動も、国際派の天皇。
続きを読む摂関政治とは何だったのか? いつ始まったのか? 藤原氏絶頂の素。
摂関政治は『せっかんせいじ』と読みます。
平安時代に始まり、『摂政(せっしょう)と関白(かんぱく)が中心の政治』という意味。藤原氏が権力を独り占めした政治でもありました。
摂政は古代から元々あって長年使ってなかったのを復活させたもの。関白は平安時代に新しく作ったものです。
続きを読む聖徳太子は厩戸王(うまやとおう)じゃないといけないのか? 厩戸皇子はどこへ行った?
今の歴史の教科書では、聖徳太子は厩戸王(うまやとおう)がちゃんとした正解らしい。『厩戸王(聖徳太子)』と書いてあるそう。
歴史は正確さを大事にしようということらしいのですが、日本人の名前はそうじゃなくてもいいと思う。
だって正確な名前を教科書に書いたら覚えられない人がいっぱい出てくるもん。
続きを読む第87代 四条天皇。自分で仕掛けたドッキリにハマって死んじゃったマヌケ
四条天皇(しじょう)は、歴代天皇の中で一番マヌケな人です。言い方は悪いですがアホです。
『こんな最後の天皇がいるんだ』という意味で面白い天皇かもしれません。ただし、天皇としての功績は何もありません。
少年天皇で、男子特有のアホさでもあるんですが、そのアホさが致命傷でした。
続きを読む第18代 反正天皇。一本歯の天皇は中国の属国になったのか? マヌケ面で中国にナメられなかったの?
反正天皇(はんぜい)は倭の五王の珍といわれます。
これがほんとうなら、反正天皇は中国(宋)の将軍になったことになり、日本は中国の属国になりました。
また反正天皇にはある特長がありました。名前がそのまんまなんですが、ほんとうだったらおマヌケちゃんになる。
続きを読む第62代 村上天皇。律令政治の終わり。貴族の源氏の主流、村上源氏の祖先。
第62代 村上天皇(むらかみ)は、先代で兄・朱雀天皇のときとちがって、平和で安定した時代の天皇です。
摂関政治はすでに始まっていましたが、関白・太政大臣を置かず天皇親政を行いました。最後の律令政治です。
天暦の治として知られ平安時代の改革で最大級の評価を受けています。まさしく有終の美。
続きを読む皇別摂家とは何か? 知られていない藤原氏のもう一つの血統。
令和になって、ますます皇位継承問題が活発になってきました。
そこで、皇別摂家(こうべつせっけ)という聞いたことのない言葉がでてきました。
かんたんにいうと『天皇の血筋を受け継いだ藤原氏』です。
藤原氏は天皇の子孫になってることはあまり知られていません。
続きを読む第71代 後三条天皇。摂関政治を壊した先駆者。やった功績の大きさを知ってほしい。
後三条天皇(ごさんじょう)はミスター院政・白河法皇の父で、藤原氏の横暴な政治を止めさせようとした人です。
実績の割に知られていない人で、もっと知ってほしい天皇のひとり。
後三条天皇の朝廷改革がなければ摂関政治が衰えず、院政もなく、武士の世もなかったかもしれません。
時代の大変革の土台を作った偉大な人です。
続きを読む第33代 推古天皇。天皇暗殺の黒幕の姪っ子が史上初の女帝になる
推古天皇(すいこ)は、天皇暗殺という大事件の混乱のなか即位した女帝です。聖徳太子を摂政にしたことでも有名ですね?
聖徳太子の陰で何もしていないように見えますが、ちょっとしたことで殺される世の中で、37年も君臨した女傑です。というか聖徳太子はいらないくらいの極太の人です。
続きを読む第41代 持統天皇。作戦参謀まで務めるオラオラ皇女。権力のためなら皇子も殺す。
第41代 持統天皇(じとう)は、律令国家を作る途中で亡くなった夫・天武天皇のあとをついで即位した女帝です。
夫が即位する前から戦争の参謀を務め、即位してからは政治に参加する、天武天皇の最強の右腕でした。
明治維新のヒーローたちが死んだ後、その妻が継いだ例がないことからも、持統天皇の凄さが分かります。
続きを読む宮家(みやけ)とは? 永世皇族とは何か? 伏見宮の広がり方が突出してすごい。
宮家(みやけ)は不思議です。
70年前まで、天皇の家族にしては血縁が遠いし、親戚といっても娘の嫁ぎ先や嫁の実家として見たらの条件つきでした。
天皇との血縁関係が宮家より近い一般人もいたのに、それでも皇族として特別な存在であり続けました。
宮家はどういうものでしょうか?
続きを読む源頼朝が若い頃、なぜ河内源氏はどん底に落ちていたのか?自業自得?政治オンチ?
武士の代表格といえばなんといっても源氏でしょう。そのスタートを切ったのが鎌倉幕府を開いた源頼朝(みなもと の よりとも)。
しかし頼朝より前に、源氏(細かくいうと河内源氏)はメジャーの武士になっていました。ただ頼朝が登場したときはどん底 of どん底。
どうしていったん登りつめた河内源氏は落ちるとこまで落ちたんだろう?
続きを読む第83代 土御門天皇。いい人か?ただのスケベーか?占いで指名されて即位する。
土御門天皇(つちみかど)は承久の乱で流罪になった父・後鳥羽上皇を想って、自分から流罪にしてくれと鎌倉幕府に頼み込んだ人です。
最初は認めなかった幕府も、最後は根負けして受け入れることにしました。
のんきでやる気がない人だと言われますが、たくさん子どもがいました。いや、エネルギッシュじゃん。
続きを読む第40代 天武天皇。なぞの生年不詳。何をかくしてる? 正統な皇位継承の証明のため?
第40代 天武天皇(てんむ)が、『国家の正式な歴史書を作れ!』と言って日本書紀は作られたんですが、その日本書紀には天武天皇の生年が書かれていません。
ほかの歴代天皇は書いてあるのに。
ナゾです。何かをかくしてるんじゃないか?と勘ぐりたくなります。
続きを読む第51代 平城天皇。悪女のささやきで野心を出して失敗。そのまま平城京で隠居。
第51代 平城天皇(へいぜい)は、平城太上天皇の変(薬子の変)で有名なのでダラシない、しょうもない天皇と思われがちです。
しかし、ちゃんと仕事もしています。だけにもったいない。
すぐあとに天皇になる弟が『平安時代の基礎を作った』と言われるほど凄すぎたために損してるところもある。
続きを読む院政とは何だったのか?どうして『いんせい』というのか?なぜ上皇が出てきたのか?
院政は『いんせい』と読みます。
『院(上皇)の政治』という意味で、藤原氏一強の摂関政治から天皇中心の政治システムに戻す流れの中で生まれました。
(天皇では心細いので必然と上皇がリーダーになる。)
実は、院政がなければ武家社会も生まれませんでした。どのようなものでしょうか?
続きを読む天皇の名前には、なぜ尊(命)が最後に付いていたのか? なぜ帝(みかど)というのか?
古代の天皇は長くて漢字で書いてあると読めない名前ばかりで、その後ろには『みこと(尊・命)』がついてます。
(正確には名前じゃない。)
そして、平安時代には〇〇帝と呼ぶようになりました。どうやらあの当時の人々も同じことを思ったらしい。
『長すぎてめんどくせーよ!』って。(個人的な想像)
続きを読む第88代 後嵯峨天皇。南北朝分裂のきっかけを作り、次の天皇を幕府が推薦するようになる。
第88代 後嵯峨天皇(ごさが)は、朝廷が天皇の即位を決められず、鎌倉幕府が決めた天皇です。
そしてこの時代には珍しく、26年の長期間、院政を行なった上皇でした。
続きを読む第19代 允恭天皇。『三種の神器』の継承がはじめて確認された天皇
允恭天皇(いんぎょう)は、皇位を受けたとき、はじめて『三種の神器』の継承が確認された天皇です。
ウソをついたり不正をはたらく人は絶対に許さない正義感あふれる人でした。
その割には天皇になりたくなかったらしく、嫁に命がけの懇願をされるまで頑なに即位を断りつづけた人です。
続きを読む第63代 冷泉天皇。リフティング大好き美少年。でも奇行が目立つ
第63代 冷泉天皇(れいぜい)は美少年でしたが、奇行が目立った天皇だったと言われます。
が、本当なんだろうか? 今の時代だったら、何かでトップを取った人にも思える。
また冷泉天皇から、後見人の藤原氏が天皇に対して遠慮しなくなります。
(のちに藤原道長が栄華を極めるスタート地点。)
続きを読む太政大臣ってなんだ? これに勝る役職なし。正真正銘の天上人。
太政大臣(だじょうだいじん)は、明治の近代化の前までの、日本の役職の一番トップです。ほかの役職とは圧倒的な力の差があるほど、誰でもなれるものではありませんでした。
歴史も長く、古代の飛鳥時代に始まり日本の歴史の大部分でトップであり続けました。
そして、時代によってなれる人も変わっていきました。
続きを読む第73代 堀河天皇。院政の陰で自分の才能を磨く。妻はまるで親子の叔母。
怪物政治家の白河天皇の息子・堀河天皇(ほりかわ)は、政治ではほとんど表舞台に立たず、学問と芸術にエネルギーを注いだ天皇です。
政治の実績もなく若くして亡くなり、また前後の天皇が強烈な個性をもっていたので存在感のない天皇になってしまいました。
それでも在位期間は22年と長い。(だけに存在感の薄さが目立つ。)
続きを読む第34代 舒明天皇。つかの間の朝鮮半島友好。皇統が非蘇我系の本流に戻ってきた。
舒明天皇(じょめい)は、朝鮮半島と戦争状態の時代の中、唯一ぜんぶの朝鮮半島の国と友好関係を作った天皇です。
嫁は歴代天皇の史上初3冠を達成した皇極(斉明)天皇。歴史の教科書に出てくる中大兄皇子の父です。
平和外交の温厚な政権で混乱もなく良くも悪くも目立たないため、妻や息子ほど有名ではありません。
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