第60代 醍醐天皇。民間人から天皇になった男。平安の改革派(延喜の治)。
醍醐天皇(だいご)は歴代天皇の中でただひとり民間人出身の天皇です。
父の宇多天皇は一時期、皇族を離れ民間人だったことがあり、そのときに生まれたのが醍醐天皇でした。
生まれたときは親王でなければ皇子でもありません。その一民間人が天皇になります。
大胆に改革を断行した天皇でした。
続きを読む第30代 敏達天皇。疫病でなにもできず。でも嫁は最強。そして妹。
敏達天皇(びだつ)はあまり有名ではありません。天然痘が流行って何もできず、天皇自身が天然痘にかかって死んでしまったからです。
仏教をめぐって部下たちが激しく対立もしました。
ただ嫁は最強です。だってあの史上初の女帝・推古天皇ですから。敏達天皇と推古天皇は母ちがいですが実の兄妹です。
続きを読む第24代 仁賢天皇。即位する前からナゾの人。弟の嫁から陰湿なイジメにあう。
仁賢天皇(にんけん)は、下人にまで落ちながら這い上がり、皇太子になりながら皇位を弟にゆずった人です。
弟のあとに即位したので何がしたかったのかよく分かりません。皇太子時代に弟の嫁からイジメられたから泣く泣く即位辞退したのか? とかんぐってしまいます。
続きを読む第70代 後冷泉天皇。終末思想に怯えて不安いっぱい。浄土信仰が生まれる。
第70代 後冷泉天皇(ごれいぜい)は、先代で父・後朱雀天皇のころから関白だった藤原頼通(ふじわら よりみち)にぜんぶ任せて表には出ませんでした。
世の中は末法思想を信じてプチパニックを起こします。
このパニックを鎮めるために建てられたのが平等院で、仏教から浄土信仰が生まれました。
続きを読む河内源氏ってなんだ?なぜ武士の源氏の中でメジャーになったのか?
『源氏はどうして武士のトップになったんだろう?』
この疑問の答えをもっているのが河内源氏(かわちげんじ)です。そして、その土台を作ったクライマックスが八幡太郎こと源義家(みなもと の よしいえ)。
歴史に登場する源氏のほとんどは河内源氏になるほど突出して大きな勢力になりました。
続きを読む第80代 高倉天皇。後白河法皇と平清盛が後見人。二人の対立でパニック!
高倉天皇(たかくら)は後白河法皇と平清盛の後ろ盾で即位しました。
当時最強の布陣だったでしょう。しかし、最強の2人が対立したため、どうしていいか分からず苦悩の日々を過ごすことになります。
早死したのはメンタルが絶えられなかったんじゃないかと思うほど。
続きを読む第39代 弘文天皇。ほんとうに天皇なのか? 正規軍の大将が反乱軍に倒されて死す。
第39代 弘文天皇(こうぶん)は即位した記録がありません。ずっと歴代天皇に数えられていませんでした。
明治3年、明治天皇が『弘文』の諡(おくりな)をおくり、歴代天皇に加わりました。
『大友皇子』(おおとも の みこ)のほうが知られています。
理由は簡単。弘文天皇を殺した人が直後に即位したから。
続きを読む第48代 称徳天皇。仏教徒のまま天皇になった女帝。弓削道鏡の台頭。
第48代 称徳天皇(しょうとく)は、孝謙天皇(こうけん)と同一人物の女帝です。
自分が指名した淳仁天皇をクビにして返り咲いて即位しました。歴代天皇で唯一、仏教徒の天皇です。
怪僧と言われた弓削道鏡(ゆげ の どうきょう)をひいきしたことでも有名。
続きを読む摂政(せっしょう)とは何か? なぜ偉いのか? 時代によって意味・役割が違う
摂政は『せっしょう』と読みます。
『天皇に代わって政を摂(と)る』で天皇の代理です。政(まつりごと)は政治の昔の言い方で、『摂る』は担うという意味。
摂政は時代によって意味・役割が少しずつ変わり、今でも制度として残っています。
昭和天皇が若かりし頃、摂政だったことはあまり知られていません。
続きを読む源平藤橘(げんぺいとうきつ)・四姓(しせい)って何だ? ほかの氏族と何がちがう?
源平藤橘(げんぺいとうきつ)は四姓(しせい)とも言い、源氏、平氏、藤原氏、橘氏(たちばな)の4つの氏族のことを言います。
これ以外にも有名で力の大きい氏族があったのに、どうして彼らは特別視されたのか? 彼らは何がちがうのか? なんでマイナーの橘氏が入っているのか?
続きを読む第85代 仲恭天皇。歴代天皇で在位期間がワースト1位の記録をもつ
仲恭天皇(ちゅうきょう)は、祖父と父が鎌倉幕府と戦争するために即位し、戦争が終わるとすぐに退位させられました。
はじめて鎌倉幕府に退位させられた天皇で、在位期間が2か月ちょっとの歴代天皇ワースト1位です。
即位の儀式すらしていないので『本当に天皇だったの?』と疑いたくなる人です。
続きを読む第16代 仁徳天皇。ジェラシーの塊の嫁に振りまわされた聖帝
仁徳天皇(にんとく)は、仕事ができて、性格よし、イケメンで、民のことをいちばんに考えた聖帝です。
女性にもマメなのでよけいにモテモテで、皇后の異常なジェラシーに振りまわされ、嫁さんに逃げられる超絶・恐妻家です。
世界遺産になった大山古墳の主です。
続きを読む第59代 宇多天皇。皇族 → 源氏 → 天皇と渡り歩いた唯一の男
第59代 宇多天皇(うだ)は皇族から民間人(源氏)になり、そこから皇族に復帰して天皇になった人です。
(歴代天皇で唯一。)
菅原道真を抜擢した天皇として有名。
民間人を経験して新しい視点を持っていたらしく、平安時代で高評価を受けている改革を行います。
続きを読む土地所有の歴史で時代の主人公が見える。庶民にはずっと縁のなかった話。
日本の歴史では権力を握った歴史の主人公がコロコロと変わってきました。
- 大王・豪族
- 天皇
- 貴族
- 上皇
- 武士
- 国民
それでも変わらなかったことがあります。
全員有力な土地所有者だったこと。土地をもてるものが権力をにぎってきました。
それだけ『土地』と『歴史』は深くつながっています。そこで歴史の勝者を『土地』から見ていきます。
続きを読む第84代 順徳天皇。親父に巻き込まれて島流しの刑を食らった男
順徳天皇(じゅんとく)は、部下の部下から島流しの刑を食らった数少ない珍しい天皇です。
父・後鳥羽上皇の政治闘争に巻き込まれて失脚したので、もっとも不幸な天皇と言えます。
京都では後鳥羽上皇がいたので、天皇の在位中から上皇になっても、自らの力で政治を仕切ることはありませんでした。
続きを読む第31代 用明天皇。蘇我 vs 物部の抗争のバランスを取ろうとするが事態は激化
用明天皇(ようめい)は知らない人が多いでしょう。在位期間が3年なのであたりまえです。
でも、こう言ったらグッと近くの存在になります。『聖徳太子の父』。
聖徳太子は仏教を大事にしたことで有名ですが、用明天皇は初めて仏教を宗教として取り入れた天皇です。その影響でしょう。
続きを読む第25代 武烈天皇。作られた悪王。皇統断絶か? 教科書に載せれないエピソード満載。
武烈天皇(ぶれつ)は、悪王として有名でエピソードを言葉にするとR18指定モノです。
現代の映画だったらサイコパス、AVなら表現できないほどグロいものもたくさん。
そして、聖帝・仁徳天皇の系統はここで途絶えました。本当にいたのか? 疑われている天皇のひとりです。
続きを読む鎌倉幕府成立は1192年に戻したほうが良い理由。いまや少数派になっちゃった話。
いま学校で教える、日本史の鎌倉幕府の成立年は、正確には決められないそうです。一番多いのは1185年で、今まで教わってきた1192年は10%未満らしい。
これはおかしいです。かつての鎌倉幕府成立年の1192年にはちゃんと理由があります。ある人が1192年に死ななければ、どうなっていたか。
続きを読む八幡宮ってどういう神社?なぜ全国にあって、だれが広めたのか?
八幡宮は大小ちがえど、どこに行ってもある神社です。でも八幡さまはもともと、マイナーな神さまで『知る人ぞ知るカミ』でした。
それを全国に広めたのが武士の源氏です。
鎌倉幕府が朝廷に代わり日本統治に乗り出したので、八幡宮を氏神にしていた武士たちが全国に広がりました。そこで八幡信仰が広がります。
続きを読む第81代 安徳天皇。平家待望の即位。しかし既に時遅し。平家といっしょに滅びる。
平家待望の即位だった安徳天皇(あんとく)。しかし、流れは平家からはなれていました。時流に乗れなくて悲しい結末を迎えた天皇です。
歴代天皇の中で、権力闘争が原因で自殺した最後のケース。
『平家の、平家による、平家のための天皇』だったので、平家の衰退に大きく左右されました。本人が意思表示をできないうちに命を落とします。
続きを読む第40代 天武天皇。即位は正義か?裏切りか? 反乱軍の大将が勝って即位する。
第40代 天武天皇(てんむ)は、古代最大の内戦、壬申の乱に勝って即位しました。
どうやって即位したかは日本書紀に書かれているのですが、天武天皇が号令をかけてその子孫が作ったものなので『勝者の歴史』ともいわれます。
勝利した天武天皇は日本で初めて関所を作りました。優秀な武人だった証拠。
続きを読む第49代 光仁天皇。酔拳で生き延びたクセ者。最後の長老天皇で古代が終わる。
第49代 光仁天皇(こうにん)は、王から飛び級で天皇になりました。王たちの殺し合いありのなか、必殺の酔拳で生き延びて天皇にまでなります。
元々、天皇になるはずはなく政治家をしていたほどで、60才を過ぎて即位した『天皇は長老でなければならない』の最後の人であり古代の最後の天皇です。
続きを読む関白(かんぱく)とは何か? どういう役割? いつできたのか?
関白は『かんぱく』と読みます。
『天皇の政務に関わって意見を白す(申す)』の意味で、天皇を補佐する立場の人。
摂政(せっしょう)のように古代からあったものではなく、平安時代に作られた役職です。
天皇の首席補佐官と言ったほうが分かりやすかも? 天皇の一番そばにいる政治家でもいいかな?
続きを読む最澄と空海。相性最悪の仏教2大スター。日本仏教の礎でも方向性がまるでちがう。
最澄は比叡山延暦寺を建てた天台宗の祖で、空海は高野山金剛峯寺を建てた真言宗の祖です。
彼らは同じ時代に生き、今の日本仏教のほとんどはこの二人から始まってる、と言っても過言でないほど大きな影響を与えました。
置かれた立場も生き方も対象的な二人です。
続きを読む第86代 後堀河天皇。なれるはずのない親子が天皇・上皇になる
後堀河天皇(ごほりかわ)は、鎌倉幕府がはじめて天皇の即位に口出した天皇です。
本当なら天皇になるはずはなかったので異例づくしでした。一番びっくりしたのは後堀河天皇の父でしょう。
息子が天皇になったことで、日の目を見ない人生に一発逆転が起きました。
続きを読む第17代 履中天皇。ヤバい事件をのり越えて即位。初めて地方に役人を置く。
履中天皇(りちゅう)は一度、弟に殺されかけて都落ちした天皇です。
またショッキングな事件をのり越えて、天皇の理想像と言われる父・仁徳天皇から引きついだ仕事を見事にやりとげました。
また履中天皇は、日本ではじめて中央政府が地方に役人を置きました。
(このとき派遣されたのは書記官で連絡係程度だった。)
続きを読む第61代 朱雀天皇。菅原道真の呪いで踏んだり蹴ったりの幼帝。縁起が悪いからアンタッチャブル?
第61代 朱雀天皇(すざく)は8才で即位した幼帝です。
菅原道真(すがわら の みちざね)の怨霊に悩まされるだけで終わったババを引いた天皇。
富士山の噴火、平将門・藤原純友の反乱など、この時代の悪いことはすべて道真の怨霊の仕業と思われていました。
続きを読む古代・中世…平安・鎌倉… 時代区分が誰でもわかるまとめ。教科書が絶対ではないという話。
日本の歴史では、時代区分のタイプがいくつかあります。
- 先史、古代、中世、近世、近代、現代
- 飛鳥・奈良、平安、鎌倉、室町、安土桃山、江戸、明治・大正・昭和・平成・令和
それから、土器や稲作の始まり、文化などの区分もあります。
これが結局よく分からないことになっているので、誰でもかんたんに分かる対応表・早見表をつくりました。
続きを読む第72代 白河天皇。院政の創始者。藤原一強時代を終わらせる。
白河天皇(しらかわ)は『ミスター院政』です。天皇を退いてから力を発揮し、60年近く君臨した化け物。
息子、孫、ひ孫を天皇に即位させ、その後見人になって政治の実権を握りました。これが院政の本格的なはじまりです。
また、武士が政治勢力になるきっかけになったという意味で、歴史的に大きなことをしました。
続きを読む第32代 崇峻天皇。蘇我氏と対立して暗殺される。蘇我系天皇なのに反蘇我だった?
崇峻天皇(すしゅん)は、歴代天皇の中で二人しかいない暗殺された天皇のひとりで、歴史の事実として暗殺されたのは崇峻天皇だけです。
また、臣下に殺された唯一の天皇です。
蘇我馬子(そが の うまこ)の甥っ子になるんですが、その叔父さんに殺されました。
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