第85代 仲恭天皇。歴代天皇で在位期間がワースト1位の記録をもつ
仲恭天皇(ちゅうきょう)は、祖父と父が鎌倉幕府と戦争するために即位し、戦争が終わるとすぐに退位させられました。
はじめて鎌倉幕府に退位させられた天皇で、在位期間が2か月ちょっとの歴代天皇ワースト1位です。
即位の儀式すらしていないので『本当に天皇だったの?』と疑いたくなる人です。
続きを読む第16代 仁徳天皇。ジェラシーの塊の嫁に振りまわされた聖帝
仁徳天皇(にんとく)は、仕事ができて、性格よし、イケメンで、民のことをいちばんに考えた聖帝です。
女性にもマメなのでよけいにモテモテで、皇后の異常なジェラシーに振りまわされ、嫁さんに逃げられる超絶・恐妻家です。
世界遺産になった大山古墳の主です。
続きを読む第59代 宇多天皇。皇族 → 源氏 → 天皇と渡り歩いた唯一の男
第59代 宇多天皇(うだ)は皇族から民間人(源氏)になり、そこから皇族に復帰して天皇になった人です。
(歴代天皇で唯一。)
菅原道真を抜擢した天皇として有名。
民間人を経験して新しい視点を持っていたらしく、平安時代で高評価を受けている改革を行います。
続きを読む土地所有の歴史で時代の主人公が見える。庶民にはずっと縁のなかった話。
日本の歴史では権力を握った歴史の主人公がコロコロと変わってきました。
- 大王・豪族
- 天皇
- 貴族
- 上皇
- 武士
- 国民
それでも変わらなかったことがあります。
全員有力な土地所有者だったこと。土地をもてるものが権力をにぎってきました。
それだけ『土地』と『歴史』は深くつながっています。そこで歴史の勝者を『土地』から見ていきます。
続きを読む第84代 順徳天皇。親父に巻き込まれて島流しの刑を食らった男
順徳天皇(じゅんとく)は、部下の部下から島流しの刑を食らった数少ない珍しい天皇です。
父・後鳥羽上皇の政治闘争に巻き込まれて失脚したので、もっとも不幸な天皇と言えます。
京都では後鳥羽上皇がいたので、天皇の在位中から上皇になっても、自らの力で政治を仕切ることはありませんでした。
続きを読む第31代 用明天皇。蘇我 vs 物部の抗争のバランスを取ろうとするが事態は激化
用明天皇(ようめい)は知らない人が多いでしょう。在位期間が3年なのであたりまえです。
でも、こう言ったらグッと近くの存在になります。『聖徳太子の父』。
聖徳太子は仏教を大事にしたことで有名ですが、用明天皇は初めて仏教を宗教として取り入れた天皇です。その影響でしょう。
続きを読む第25代 武烈天皇。作られた悪王。皇統断絶か? 教科書に載せれないエピソード満載。
武烈天皇(ぶれつ)は、悪王として有名でエピソードを言葉にするとR18指定モノです。
現代の映画だったらサイコパス、AVなら表現できないほどグロいものもたくさん。
そして、聖帝・仁徳天皇の系統はここで途絶えました。本当にいたのか? 疑われている天皇のひとりです。
続きを読む鎌倉幕府成立は1192年に戻したほうが良い理由。いまや少数派になっちゃった話。
いま学校で教える、日本史の鎌倉幕府の成立年は、正確には決められないそうです。一番多いのは1185年で、今まで教わってきた1192年は10%未満らしい。
これはおかしいです。かつての鎌倉幕府成立年の1192年にはちゃんと理由があります。ある人が1192年に死ななければ、どうなっていたか。
続きを読む八幡宮ってどういう神社?なぜ全国にあって、だれが広めたのか?
八幡宮は大小ちがえど、どこに行ってもある神社です。でも八幡さまはもともと、マイナーな神さまで『知る人ぞ知るカミ』でした。
それを全国に広めたのが武士の源氏です。
鎌倉幕府が朝廷に代わり日本統治に乗り出したので、八幡宮を氏神にしていた武士たちが全国に広がりました。そこで八幡信仰が広がります。
続きを読む第81代 安徳天皇。平家待望の即位。しかし既に時遅し。平家といっしょに滅びる。
平家待望の即位だった安徳天皇(あんとく)。しかし、流れは平家からはなれていました。時流に乗れなくて悲しい結末を迎えた天皇です。
歴代天皇の中で、権力闘争が原因で自殺した最後のケース。
『平家の、平家による、平家のための天皇』だったので、平家の衰退に大きく左右されました。本人が意思表示をできないうちに命を落とします。
続きを読む第40代 天武天皇。即位は正義か?裏切りか? 反乱軍の大将が勝って即位する。
第40代 天武天皇(てんむ)は、古代最大の内戦、壬申の乱に勝って即位しました。
どうやって即位したかは日本書紀に書かれているのですが、天武天皇が号令をかけてその子孫が作ったものなので『勝者の歴史』ともいわれます。
勝利した天武天皇は日本で初めて関所を作りました。優秀な武人だった証拠。
続きを読む第49代 光仁天皇。酔拳で生き延びたクセ者。最後の長老天皇で古代が終わる。
第49代 光仁天皇(こうにん)は、王から飛び級で天皇になりました。王たちの殺し合いありのなか、必殺の酔拳で生き延びて天皇にまでなります。
元々、天皇になるはずはなく政治家をしていたほどで、60才を過ぎて即位した『天皇は長老でなければならない』の最後の人であり古代の最後の天皇です。
続きを読む関白(かんぱく)とは何か? どういう役割? いつできたのか?
関白は『かんぱく』と読みます。
『天皇の政務に関わって意見を白す(申す)』の意味で、天皇を補佐する立場の人。
摂政(せっしょう)のように古代からあったものではなく、平安時代に作られた役職です。
天皇の首席補佐官と言ったほうが分かりやすかも? 天皇の一番そばにいる政治家でもいいかな?
続きを読む最澄と空海。相性最悪の仏教2大スター。日本仏教の礎でも方向性がまるでちがう。
最澄は比叡山延暦寺を建てた天台宗の祖で、空海は高野山金剛峯寺を建てた真言宗の祖です。
彼らは同じ時代に生き、今の日本仏教のほとんどはこの二人から始まってる、と言っても過言でないほど大きな影響を与えました。
置かれた立場も生き方も対象的な二人です。
続きを読む第86代 後堀河天皇。なれるはずのない親子が天皇・上皇になる
後堀河天皇(ごほりかわ)は、鎌倉幕府がはじめて天皇の即位に口出した天皇です。
本当なら天皇になるはずはなかったので異例づくしでした。一番びっくりしたのは後堀河天皇の父でしょう。
息子が天皇になったことで、日の目を見ない人生に一発逆転が起きました。
続きを読む第17代 履中天皇。ヤバい事件をのり越えて即位。初めて地方に役人を置く。
履中天皇(りちゅう)は一度、弟に殺されかけて都落ちした天皇です。
またショッキングな事件をのり越えて、天皇の理想像と言われる父・仁徳天皇から引きついだ仕事を見事にやりとげました。
また履中天皇は、日本ではじめて中央政府が地方に役人を置きました。
(このとき派遣されたのは書記官で連絡係程度だった。)
続きを読む第61代 朱雀天皇。菅原道真の呪いで踏んだり蹴ったりの幼帝。縁起が悪いからアンタッチャブル?
第61代 朱雀天皇(すざく)は8才で即位した幼帝です。
菅原道真(すがわら の みちざね)の怨霊に悩まされるだけで終わったババを引いた天皇。
富士山の噴火、平将門・藤原純友の反乱など、この時代の悪いことはすべて道真の怨霊の仕業と思われていました。
続きを読む古代・中世…平安・鎌倉… 時代区分が誰でもわかるまとめ。教科書が絶対ではないという話。
日本の歴史では、時代区分のタイプがいくつかあります。
- 先史、古代、中世、近世、近代、現代
- 飛鳥・奈良、平安、鎌倉、室町、安土桃山、江戸、明治・大正・昭和・平成・令和
それから、土器や稲作の始まり、文化などの区分もあります。
これが結局よく分からないことになっているので、誰でもかんたんに分かる対応表・早見表をつくりました。
続きを読む第72代 白河天皇。院政の創始者。藤原一強時代を終わらせる。
白河天皇(しらかわ)は『ミスター院政』です。天皇を退いてから力を発揮し、60年近く君臨した化け物。
息子、孫、ひ孫を天皇に即位させ、その後見人になって政治の実権を握りました。これが院政の本格的なはじまりです。
また、武士が政治勢力になるきっかけになったという意味で、歴史的に大きなことをしました。
続きを読む第32代 崇峻天皇。蘇我氏と対立して暗殺される。蘇我系天皇なのに反蘇我だった?
崇峻天皇(すしゅん)は、歴代天皇の中で二人しかいない暗殺された天皇のひとりで、歴史の事実として暗殺されたのは崇峻天皇だけです。
また、臣下に殺された唯一の天皇です。
蘇我馬子(そが の うまこ)の甥っ子になるんですが、その叔父さんに殺されました。
続きを読む第42代 文武天皇。日本誕生の手柄をもらったラッキー男。25才で早死して好環境を活かせず。
第42代 文武天皇(もんむ)は大宝律令の天皇として有名ですが、これらのシステムを作り上げたのは先代でおばあちゃんの持統上皇です。
政権の人材もおばあちゃんが用意してくれ至れり尽くせりの好環境だったのに、25才で亡くなってしまい活かせませんでした。
続きを読む今上天皇ってどう読むの? だれのこと? どんな意味があるの?
今上(きんじょう)陛下って言葉はあまり聞いたことがありませんよね?
令和がはじまり、また天皇の継承問題が大きくなってきているのでこの言葉を聞く機会が増えると思います。
(というか、かなり使う人がいるのでスルーしなければ気になるはず。)
これを機に覚えておくのもよいのではないでしょうか?
続きを読む住吉神社ってどういうもの?八幡神社ができなかったかもしれない深い因縁。
住吉神社は海上の交通安全の神さまを祀っているので、海沿いの地域に広がったメジャーの神社です。今では海とは関係ない陸地にもあります。
ほかにもメジャーな神社に八幡宮がありますが、住吉神社の神さまと八幡さまには深い因縁が。両方に神功皇后が祀られているのがヒント。
続きを読む第82代 後鳥羽天皇。部下の部下から島流しの刑を食らった天才
文武両方に優れた才能を発揮した後鳥羽天皇(ごとば)。
しかし、鎌倉幕府の有力御家人に承久の乱で敗れ、島流しの刑を食らうという、歴代天皇の中でも例のない前代未聞の屈辱を味わいます。
この後も院政はつづきますが形式的で、積極的に政治を取り仕切る意味での院政は、後鳥羽上皇が最後です。
続きを読む第40代 天武天皇。大偉業の道半ばに死す。皇親政治の始まり。
第40代 天武天皇(てんむ)は、律令国家建設の大号令をかけて国づくりをおしすすめます。
日本の国のかたちをつくるという意味では明治維新に匹敵するかそれ以上かも。日本のもうひとつの近代化の父と言ってもいい。
ただ、多くの大号令をかけながら完成する前に亡くなってしまいましたが...
続きを読む第50代 桓武天皇。平安時代をスタートさせた改革者。中国が好きすぎて出で立ちが中国風。
第50代 桓武天皇(かんむ)は、平安時代をはじめた天皇です。
政治改革、軍政改革、民の負担軽減など聖帝と言っていいほど仕事をしました。
中国が好きすぎてミーハーになるほどで、母は朝鮮国王の末裔とも言われます。中身も、見た目も、行動も、国際派の天皇。
続きを読む摂関政治とは何だったのか? いつ始まったのか? 藤原氏絶頂の素。
摂関政治は『せっかんせいじ』と読みます。
平安時代に始まり、『摂政(せっしょう)と関白(かんぱく)が中心の政治』という意味。藤原氏が権力を独り占めした政治でもありました。
摂政は古代から元々あって長年使ってなかったのを復活させたもの。関白は平安時代に新しく作ったものです。
続きを読む聖徳太子は厩戸王(うまやとおう)じゃないといけないのか? 厩戸皇子はどこへ行った?
今の歴史の教科書では、聖徳太子は厩戸王(うまやとおう)がちゃんとした正解らしい。『厩戸王(聖徳太子)』と書いてあるそう。
歴史は正確さを大事にしようということらしいのですが、日本人の名前はそうじゃなくてもいいと思う。
だって正確な名前を教科書に書いたら覚えられない人がいっぱい出てくるもん。
続きを読む第87代 四条天皇。自分で仕掛けたドッキリにハマって死んじゃったマヌケ
四条天皇(しじょう)は、歴代天皇の中で一番マヌケな人です。言い方は悪いですがアホです。
『こんな最後の天皇がいるんだ』という意味で面白い天皇かもしれません。ただし、天皇としての功績は何もありません。
少年天皇で、男子特有のアホさでもあるんですが、そのアホさが致命傷でした。
続きを読む第18代 反正天皇。一本歯の天皇は中国の属国になったのか? マヌケ面で中国にナメられなかったの?
反正天皇(はんぜい)は倭の五王の珍といわれます。
これがほんとうなら、反正天皇は中国(宋)の将軍になったことになり、日本は中国の属国になりました。
また反正天皇にはある特長がありました。名前がそのまんまなんですが、ほんとうだったらおマヌケちゃんになる。
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