土地所有の歴史で時代の主人公が見える

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日本の歴史では、権力を握った歴史の主人公がコロコロと変わってきました。

  • 大王・豪族
  • 天皇
  • 貴族
  • 上皇
  • 武士
  • 国民

これだけ変わったにも関わらず、変わらなかったことがあります。

それは、全員有力な土地所有者だったことです。土地を持てるものだけが権力も握れると言ってもいいでしょう。

それだけ、『土地』と『歴史』は深くつながっています。そこで、その歴史の勝者を『土地』から見ていきます。

大化の改新の前は『土地は力で取るもの』

古代の歴史で、これだけ習うと言ってもいいくらいの事件がありました。乙巳の変です。そこから起きた政治改革のことを『大化の改新』と言います。

乙巳の変(いっしのへん)

645年、第35代 皇極天皇(こうぎょく)の目の前で、息子で皇太子の中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)蘇我入鹿(そがの いるか)を殺害した事件。

これをきっかけに、天皇中心の国家建設を目指す政治運動が始まる(大化の改新(たいかのかいしん))。

この大化の改新には、土地制度改革もありました。この改革の前と後で土地の所有についてのルールがガラリと変わります。

改革前のルールは『強いやつがぶんどる』です。

当時の1番の強いやつは豪族でしょう。そして宗教関係者でした。当時の宗教は神道と仏教(寺社勢力)です。

なにより、その上を行くのが天皇です。天皇は神道の代表者で、仏教を広めた功労者で、豪族をまとめるリーダーです。

『天皇・豪族・寺社勢力』の関係者だけで日本の土地を所有していました。

 
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それ以外の人はどうなるの?農民は?漁師は?

と思うかもしれませんが、これらの人々は税金を納めていましたが、土地は持てませんでした。

正確には、当時の法律は『天皇が認める』ことがルールなので、天皇にお伺いを立てられる人だけが土地の所有を認められただけです。

もちろん、一庶民には縁のない話です。

  • 大化の改新の前は、土地の所有権は『天皇が認める』もの
  • 歴史の主人公は天皇・豪族

大化の改新のあとは『土地は国のもの』

大化の改新での土地制度改革のことを『公地公民制(こうちこうみんせい)』と言います。

これは、土地と人はぜんぶ国家の所有になるというものです。大化の改新の前は、人も『強いやつ』の所有物でした。これらをすべて国家のものに変えました。

646年には、班田収授法(はんでんしゅうじゅのほう)が制定されます。これは、6才以上の人に決められた広さの土地をレンタルする法律です。

借り受けた民は決められた税金を納める必要がありました。

国が地主になって収益を徴収する不労所得のビジネスモデルですね?

  • 大化の改新のあとは土地は国のもの
  • 国が地主になって民から収益を徴収
  • 日本は天皇を中心とした律令国家を目指し始めていた
  • 歴史の主人公は天皇
  • 法の整備が急ピッチで進められる
律令(りつりょう)

律(りつ。刑法)と令(りょう。民法、行政法)からなる憲法みたいなもの。

7世紀の当時、世界の先進国の1つだった中国から伝わる。

日本は世界の先進国の仲間入りを目指して導入し始めていた。

律令で統治された国家を律令国家、その政治システムを律令制という。

国の不動産ビジネスが失敗して私有地を認める

国の不動産ビジネスはうまく行きませんでした。

人口増加で貸し付ける土地が足りなくなります。そこで、貸し出す面積を小さくしました。でも、税負担は変えませんでした。これが、民のモチベーションを下げます。

また、レンタル契約も1代限りでした。せっかく耕していい土地にしても、すぐに国に返さなければなりません。これでは長期的なビジネスができませんでした。

結局、脱走者がたくさん出て土地が荒れ果ててしまいます。もちろん国の収入も減りました。

そこで国は、723年、三世一身法(さんぜいっしんのほう)を制定します。

三世一身法は、新しく農地を作ったら、孫の代までその土地の所有権を認めるというものです。

新しく土地を増やして、長期的に安心してビジネスをしてもらおうと考えました。しかし、これには欠点がありました。

『一緒に灌漑施設(用水路とか)を新しく作ったら』という条件だったので、いち民には手が出せませんでした。

これに喜んだのはお金持ちの貴族・地方豪族・寺社勢力です。彼らは、逃げ出した民を雇って、大規模工事でどんどん農地を広げていきました。あまりにも大規模に広げていくので、私有地のようになってしまいます。

そこで国は、20年後の743年、墾田永年私財法(こんでんえいねんしざいほう)を制定して私有地の所有を認めます。

新しく開拓した土地は永久に土地の所有権を認めるというものです。三世一身法がうまくいかなかったので、現実に合わせて国が追随したものでした。

これで、土地はすべて国のものという制度が無くなります。制度ができて100年くらいしか機能しませんでした。墾田永年私財法で切り開かれた私有地が荘園となっていきます。

荘園(しょうえん)

743年に私有地を持てる法律ができたことから始まる、上皇・貴族・寺社勢力・豪族の私有地のこと。

農園と言われることがあるが、鉄の生産など工業も行われた。

室町時代くらいから、武士などの地方の有力者に奪われて失われていく。

豊臣秀吉の太閤検地などの土地制度改革で、私有地はいったん国に返すことになったので消滅する。

  • 土地はすべて国のものは、100年しか機能しなかった
  • 私有地所有を認めることで荘園が発展していく
  • 歴史の主人公は天皇から貴族へ

荘園の発展

貴族・地方豪族・寺社勢力は、自分で切り開くことで荘園を広げてきました。

日本の土地は2つに別れます。荘園(私有地)と国衙領(こくがりょう)(公領)です。
この時代は荘園が注目されやすいですが、国の土地もありました。その管理は、国司が行なっていました。
国司(こくし)

古代から平安時代にかけての中央政府から派遣された地方の役人。646年には存在したが、いつから始まったのかはっきりと分からない。大宝律令・養老律令で確立された。

地方のすべての権限を持っていた。

京都では、生まれがいいのに仕事に恵まれない人がたくさんいたので、その人たちが派遣された。(天下り)

送り込まれる人の家柄がすごかったので、地方ではやりたい放題。(元皇族・藤原氏)

今の県知事・県警本部長・裁判官を一人で務めるようなもの。

偉い順に、守(かみ)、介(すけ)、掾(じょう)、目(さかん)…と続く。

平安時代には、中央政府を無視して自分の国かのように振る舞っていく。中には武士の棟梁になるものもいた。(平清盛・源頼朝の祖先)

鎌倉時代に入ると、地頭に仕事を奪われて形だけの役職になるが、明治になるまで続いた。

戦国武将や江戸時代の武士は国司の役職を持っていた。

  • 織田 上総介(かずさのすけ)信長
  • 徳川 駿河守(するがのかみ)家康

今でいうと、織田信長は、千葉県の副知事。徳川家康は静岡県知事。

織田信長が一番偉くないのが面白い。

養老律令(ようろうりつりょう)

757年、孝謙天皇の時代に施行された律令。701年に成立した大宝律令の修正版とされている。古代。平安時代の半世紀前。

律令は、律(りつ。刑法)と令(りょう。民法、行政法)からなる憲法みたいなもの。

天皇の皇位継承のルールを定めた継嗣令(けいしりょう)もある。

しかし、平安時代に入ると荘園の形が変化します。貴族などが自分の財産で新しい土地を切り開くことはしなくなりました。代わりに『名義貸し』が頻繁に行われるようになります。

 
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名義貸し???

と思った人のために、ちょっと説明が必要ですね?

荘園には特権がありました。

  • 国司の立ち入りの拒否権
  • 納税の免除

ただし、これは特定の地位にある人の荘園の場合です。

また、新しい土地の開拓は、大規模なものだけではありませんでした。小さいながらも開拓して自分の土地を持つ人もいました。

ここで、免税の対象になっていない人たちはどうするでしょうか?考えることは今と変わりません。節税対策です。

その方法が『名義貸し』です。

免税対象の偉い人(貴族・寺社勢力)

地位はあるけど免税対象になっていない人(貴族・寺社勢力)

荘園を管理する人(名主

その他の私有地を持った人や、新しく土地を切り開いた人

最上位の人の荘園ということに名義はなっているけど、実際の土地の所有・開発・管理は名主が行なっていました。それぞれの矢印のところでマージンを取っています。

このマージンが、国司に払う税よりも少ないので『節税』になっていました。そりゃそうですよね?荘園領主(名義上の荘園の持ち主)が税を払っていないのですから。

このビジネスモデルの特長は、荘園経営を実際に行なう名主と、そこから下位の方で雇われている人を除いた、すべての人が不労所得です。

このシステムが出てきたことで、日本の律令制度が終わり、封建制度が始まります。

荘園の管理は、荘官と言いますが、名主が荘園経営にのりだすと荘官は自然消滅したので、ここでは荘園管理をしていた役割を名主とします。
封建制度(ほうけんせいど)

君主が、諸侯(実力者)に土地の所有権を渡して、諸侯が民を統治する政治システム。

君主⬅➡諸侯⬅➡民の間に主従関係があるのが特長。


名主(めいしゅ)

名田を管理する専門の人。公領や荘園の経営を担当した。

名田(みょうでん)は、公領から取り立てる税を決めるための土地の区画。平安時代に荘園にも採用され始めたので、名主が荘園の経営まで行なうようになった。

名主は、地方豪族、地方に根付いた貴族などいろいろな人が担当。この中で軍事力をもって力をつけてきた一部が武士(地侍)になっていく。

名主は、未開の地を開発して荘園を作ったりしたので、それを専門にする人を開発領主(かいはつりょうしゅ)と言います。
また、名義貸しをしている有力貴族などを本家(ほんけ)、本家と名主の間にいる貴族を領家(りょうけ)と言います。
今でも本家本元(ほんけほんもと)という言葉がありますがここからきています。

このように、荘園経営の専門家の荘官と名主の違いが分からなくなり、名義貸しの連鎖で、誰が本当の土地の所有者なのか、ハッキリとしなくなっているのが分かります。

  • 荘園の収益モデルは『名義貸し』
  • 荘園の運営管理は専門家に任せた
  • その専門家の中から武士が生まれる
  • 藤原氏を頂点とした貴族社会が栄華をきわめる

荘園の衰退

平安時代も末期に入ると、貴族の力が衰え始めます。それに変わって歴史の表舞台に登場したのが上皇➡武士です。

その背景には、

  • 土地の本当の持ち主があやふやになっていたこと
  • 何もしないで利益を吸い上げる『名前だけを貸している人』に、不満を持った本当の土地の持ち主(武士)が力をつけてきたこと

があります。

上皇が政治の中心だった院政期は、上皇が荘園を持つようになりました。

  • 院政期の荘園領主は、上皇・貴族・寺社勢力
  • 政治の中心は上皇
  • 武士が中央政府に食い込み始める(平清盛・源頼朝)

また、鎌倉時代に入ると、国司や荘園領主(荘園の名義上の持ち主)とは別に守護(しゅご)地頭(じとう)が設置されます。

国司・守護・地頭は、それぞれ仕事の内容がかぶっています。正直どれが一番偉くてとか判定できません。地域によってさまざまと言ったほうが良いでしょう。

ただ、守護・地頭は幕府、国司、荘園領主は朝廷・寺社勢力なので、争わず、けれども融和せずの微妙な関係だったことは想像できます。

鎌倉幕府はこのような無法地帯をなんとか管理してきました。

  • 鎌倉時代はカオス。
  • 荘園領主・国司・守護・地頭と誰が土地を管理しているのかハッキリしない。(ケースバイケース)
  • 政治の主人公は武士。(幕府政治)
  • 天皇・貴族の力はほとんど無い。

しかし、室町幕府は管理できなくなります。

幕府が管理できなくなると、それに変わって守護が無法地帯をまとめ始めます。今まで手を出してこなかった荘園・公領にも手を付けます。

そして、国人や名主を配下にしたり、対立して争ったりしながら大きく成長して守護大名になっていきます。

国人(こくじん)

地頭を務めた家柄が在地に定住化したもの

この守護大名が戦国大名になっていき、戦国時代になっていきます。

戦国大名は、すべて守護大名から始まったわけではありません。

守護代から始まったものもありますし、国人が成長して戦国大名になった例もあります。

守護代とは、守護に代わって現地で仕事をする人です。室町時代には、守護に任命された人が京都から出ないで、守護代に仕事を丸投げすることもありました。
戦国時代の始まりは、

仕事をせずに、名前だけ貸して利益を得ていた人を、本当に仕事をしていた人たちが排除することから始まった

と言えるでしょう。最近、地道な仕事は外に丸投げしておいしいとこだけ得ようとする企業・経営者がいますが、気をつけたほうがいいです。必ずしっぺ返しがあります。
当時の貴族だって仕事はしていると思っていました。ただ、地道な仕事は『自分の仕事じゃない』と決めつけていただけです。
そして、『効率的に利益を上げる自分こそが優秀であいつらは無能』と思っていたところをひっくり返されたのが戦国時代の始まりです。
今、歴史に学ぶ人はどれくらいいるでしょうか?

  • 室町時代は、守護大名が公領・荘園を自分のものにし始める。
  • 公領・荘園のオーナーの貴族・寺社勢力は力が弱いので認めるしかない。
  • 時代は、軍事力で土地を奪い合う戦国時代に突入する。

荘園公領制の終わり

今まで見てきたように、公領と荘園を土台にした土地制度を荘園公領制(しょうえんこうりょうせい)と言います。これが、戦国時代には事実上崩壊しました。

それを豊臣秀吉が、太閤検地などの土地制度改革で消滅させます。この改革では、土地はいったん国のものになるというものでした。はじめの方の大化の改新のときと同じです。

大化の改新のときと違うのは、土地のレンタルではなく、土地の管理者を豊臣秀吉が決めるということでした。

このやり方は江戸時代になっても変わりません。管理者を決めるのが、秀吉から江戸幕府に変わっただけです。

このときの土地の売買は禁止です。(実際は行われていました。)

これが明治の近代化まで続くことになります。

江戸時代の土地

江戸時代は、土地は大きく5つに分けられます。

よくテレビや映画で『本領安堵(ほんりょうあんど)』って言いますよね?

力の強いものが、もともと持っていた土地の持ち主に『そのままあなたの土地として持ってていいよ』と許すことです。

江戸時代はすべての土地が幕府の本領安堵です。

幕領ばくりょう幕府の直轄領。以前は天領と呼ばれていたが、明治に入ってからの呼び方なので今ではしない。
藩領はんりょう藩の土地。幕府から管理を任された藩主が土地の所有者。
しかし、幕府の命令で取り上げられることもあった。
天領てんりょう皇の地』の意味から朝廷の領地。もともと国司が管理していた公領。
鎌倉時代以降、地頭・守護大名・戦国大名に奪われていったが、残ったものを幕府が本領安堵した(幕府が再配分した)。
以前は幕府の直轄領の意味として使われたが、本当の言葉の意味としてはこちらが正しい。
公家領くげりょう公家の領地。もともと貴族の荘園だったもの。
天領と同じように奪われていったが、残ったものを幕府が本領安堵した(幕府が再配分した)。
寺社領じしゃりょう寺社勢力の領地。もともと寺社勢力の荘園だったもの。
天領と同じように奪われていったが、残ったものを幕府が本領安堵した(幕府が再配分した)。
  • 安土・桃山時代、江戸時代は、土地の売買は原則禁止だが、実際は行なわれていた。
  • 土地の所有者を決めるのは、豊臣秀吉➡江戸幕府

明治維新で阿呆どもに土地を奪われる

皆さんは明治維新にどのようなイメージを持っているでしょうか?

 
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能力のない幕府に代わって薩長を中心とした優秀な人たちが作った政府

と思っている人が多いかもしれません。でもじっさいは違います。

たしかに最初は優秀な人たちが理想に燃えて頑張っていました。しかし、それはごく一部の人だけになっていきます。ほとんどの明治維新の勝者は勘違いしました。

徳川幕府から没収した財産・土地を自分のものにしようと殺到します。その中には勝ち馬に乗ろうとする民間人もたくさんいました。そして、たくさんの汚職事件が起きます。

山城屋事件やましろやじけん。
明治5年、長州出身の山城屋和助が、陸軍省から借りたお金を返せずに自殺した事件。

このお金は、陸軍中将だった元長州藩士 山縣有朋(やまがた ありとも)が、陸軍省の予算の10%の大金を、軍の備品調達と言って山城屋に流したもの。
山城屋は、そのお金を備品調達に使わず、相場に手を出したり、元長州藩士の役人の接待・賄賂やパリでの豪遊に使った。
『金を使いまくる変な日本人がいる』とパリの街でニュースになり、パリの日本大使館から本国に報告されたことで事件が発覚する。

尾去沢銅山事件おさりざわこうざんじけん。
明治6年、大蔵大輔だった元長州藩士の井上馨(いのうえ かおる)が民間人から鉱山を強奪した事件。

商人の村井茂兵衛が南部藩(岩手県)にお金を貸したときの証書が、逆に村井が藩から借りたお金の証拠だとして、明治新政府が村井に一括返済を迫った事件。
一括返済できないほどの大金だったので、村井は鉱山を手放すことになった。
これは、井上と長州出身の商人 岡田平蔵が最初から鉱山を奪うために仕組んだと言われる。

すごいですね? これ当時の汚職のごく一部です。山縣は総理大臣・元老まで務め、井上は大蔵・外務大臣を歴任したほどの人です。犯罪のスケールが違います。

そう言えばいま、長州の安倍とか言う人がモリカケ問題でツッコまれていますね?

彼は、長州の大先輩から良いところも悪いところも学んでいません。だから、スケールが極小のみっともない悪事を働くのでしょう。

これはぼくの偏見ですが、長州の権力者は感違いする人が多いです。とくに国家の財産を自分のものだと思うところがあります。

ぼくの偏見を取り除くためでもあるのですが、これって長州人気質なのか説明できる人いないかな?

そう言えば、桂小五郎や高杉晋作も藩のお金で京都や長崎で遊びまくってたし。

このように明治政府は、ただの阿呆どもの集まりになっていきます。

いま陸上自衛隊の年の予算は2兆円ぐらいです。山縣はいまでいうと、2000億円の公金を横流ししたことになります。スケールの大きさがケタ違いです。
藩が商人からお金を借りる時の証書には『商人が藩から借りた』と書くのが慣例でした。武士のメンツを保つためです。
これは日本各地の慣例なので、井上も大蔵省の役人も違うことは分かっていました。
また井上は、没収した鉱山を破格の値段で岡田に払い下げます。しかも、村井には分割払いを拒否して一括払いを迫ったのに、岡田には安い上に15年の分割払い・無利息です。もうメチャクチャです。

名もなき賊軍が日本の近代化の土台になる

このメチャクチャの中、人知れず戊辰戦争で負けた側の人たちが地道に近代日本を作り上げます。

小栗忠順おぐり ただまさ。上野介(こうずけのすけ)幕府の勘定奉行。
横須賀の海軍造船所をつくり、海軍の基礎をつくった。
日本で最初に株式会社のシステムを導入した兵庫商社もつくる。
戊辰戦争が終わりそうな頃、故郷に帰ったところ官軍に捕まり殺害される。
渋沢栄一しぶさわ えいいち実業家。日本に銀行をつくる。近代日本経済の父。
15代将軍 徳川慶喜の身の回りの世話をする小姓だった。
山本覚馬やまもと かくま会津藩士。初代 京都府議会議長。
いまの京都の基礎をつくった。
西郷菊次郎さいごう きくじろう西郷吉之助の息子。
西南の役で薩摩軍に従軍し賊軍になる。その後、京都市長を務めた。

これだけではありません。ありとあらゆる分野で、敗者の人たちはいまの日本の基礎をつくります。(美味しい汁を吸えなかったのでこうするしかなかったとも言えます。)

  • 明治維新の主人公は薩長を中心とした官軍。
  • 幕府の土地を没収して勝手に自分のものにする
  • ドサクサに紛れて賊軍になった者からも強奪する
  • 明治新政府は阿呆どもの集合体

近代は土地の売買が自由になる

そんな明治政府に『ふざけるな!』という声が大きくなります。士族の反乱と自由民権運動です。

 
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士族の反乱って、維新で命をかけて頑張ったのに美味しい思いができなかった人たちのワガママでしょ?

と思う人も多いのではないでしょうか? しょうがないです。歴史の授業がそう教えるので。

そういう面もありますが、本当のところは違います。

 
命をかけてつくったものがこの程度か! もう1回リセットしてちゃんとした政府を作り直すぞ!

というのが実態です。そして、それに敗れた士族が、

 
暴力では無理だ! これからは言論で戦おう!

となったのが自由民権運動です。

これが明治の日本の動きです。いまの日本人は、明治維新と自由民権運動のつながりが分からない人がけっこういるのではないでしょうか?

そうなるのも当然です。いまの日本は、阿呆どもの正統なる継承者でつくられた社会だからです。この継承者が先輩は本当はアホだったなんて言えないですよね?

明治維新と自由民権運動のつながりは、明治政府のアホさ加減がわからないと絶対に理解できません。

『不平不満の士族が各地で暴発した』という歴史観は早くやめるべきです。阿呆どもの正統なる継承者は阿呆でないといけないということはないのですから。

このようにして近代日本ができていきました。その中で、日本で初めて誰でも土地が所有できるようになります。ただし、実際はお金を持っている人に限られました。

地主制度もありました。この地主制度によって、農家の人はなかなかお金を貯めることができず、自分の土地を持てませんでした。

これが、敗戦後のGHQによって解体させられます。

地主制度(じぬしせいど)

土地を持った人(地主)が、農家を雇い(小作人)、収益の一部をマージンとして取ったビジネスモデル。

小作人がどんなに努力しても、どんなにいいものを作っても報酬が変わらず、また、独立することが難しかった。

戦後、農業の成長を邪魔しているということで解体した。

 

  • 近代の主人公は国民・個人。
  • 誰でも土地が持てるようになる。

最後に

このようにして、歴史の主人公は、つねに土地の所有権を持った人たちで占められています。

これは今でも変わりません。社会を動かすような影響力を持った人は、個人の好みで土地を持たない人はいますが、少なくとも土地の所有権を持てるだけの財力があります。

やはり、歴史の主人公は『水・食料・土地』を握っています。

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