後桜町天皇(ごさくらまち)は、明正天皇から119年ぶりに誕生した女帝です。いまのところ『最後の女帝』です。
そして、千年近くも続いた『院』の称号をおくられた最後の天皇でもあります。
続きを読む天皇の家系図を皇統譜から少しづつたどっていきます。
後桜町天皇(ごさくらまち)は、明正天皇から119年ぶりに誕生した女帝です。いまのところ『最後の女帝』です。
そして、千年近くも続いた『院』の称号をおくられた最後の天皇でもあります。
続きを読む明正天皇(めいしょう)は、859年ぶりに誕生した女帝です。日本が武士の世になってからは初めての女帝で、天皇が直接政治をしなくなってから初めての女帝です。
明正天皇の即位には、江戸幕府と父親の後水尾天皇のバチバチのバトルがありました。
父親が『ブチ切れ』たため即位することになります。
続きを読む後嵯峨天皇(ごさが)は、朝廷が天皇の即位を決められず、鎌倉幕府が決めた天皇です。
そしてこの時代には珍しく、26年の長期間、院政を行なった上皇でもありました。
続きを読む四条天皇(しじょう)は、歴代天皇の中で一番マヌケな人です。言い方は悪いですがアホです。
『こんな最後の天皇がいるんだ』という意味で面白い天皇かもしれません。ただし、天皇としての功績は何もありません。
だからアホなんです。
続きを読む後堀河天皇(ごほりかわ)は、鎌倉幕府がはじめて天皇の即位に口出しして即位した天皇です。
本当なら天皇になるはずはなかったので異例づくしでした。一番びっくりしたのは後堀河天皇の父親でしょう。
続きを読む仲恭天皇(ちゅうきょう)は、歴代天皇で天皇だった期間が最短の記録を持っています(2か月ちょっと)。
祖父・父親の政治闘争に巻き込まれて天皇に即位して、政治闘争の結果ですぐに退位させられました。
鎌倉幕府に退位させられたはじめての天皇でもあります。
続きを読む順徳天皇(じゅんとく)は、部下の部下から島流しの刑を食らった数少ない珍しい天皇です。
父親の後鳥羽上皇の政治闘争に巻き込まれる形で失脚したため最も不幸な天皇とも言えます。
また、天皇の在位中から上皇になっても、京都にいるときは後鳥羽上皇が健在だったため、自らの力で政治を取り仕切るということはありませんでした。
続きを読む土御門天皇(つちみかど)は承久の乱で流罪となった父親の後鳥羽上皇を思って、自分から流罪にしてくれと鎌倉幕府に懇願した人です。
最初は認めなかった幕府も最後は根負けして受け入れることにしました。
文武両方に、優れた才能を発揮した後鳥羽天皇(ごとば)。しかし、鎌倉幕府の有力御家人の北条泰時に承久の乱で敗れ、島流しの刑を食らうという、歴代天皇の中でも例のない、前代未聞の屈辱を味わいます。
この後も院政は登場するのですが、それは形式的なもので、積極的に政治を取り仕切ったという意味での院政は、後鳥羽上皇が最後です。
そしてこれ以降、一部の例外を除いて、天皇が政治の実権を握ることはなくなりました。
続きを読む平家待望の即位だった安徳天皇(あんとく)。しかし、時の流れはすでに平家から離れていました。時流に乗れなかったことで悲しい結末を迎えた天皇です。
安徳天皇は『平家の、平家による、平家のための天皇』として幼くして即位したため、平家の衰退と滅亡に大きく左右されました。本人の意思表示ができないうちに命を落とすことになってしまいます。
いまのところ歴代天皇の中で、権力闘争が原因で自殺した最後のケースになっています。
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