歴代天皇 - 存在は確認されるが本当のことは分からない天皇たち -
福井の40すぎのオッサンが、父が天皇になったのにつられて皇太子になり、天皇にまでなったシンデレラ?ストーリー… その主人公が安閑天皇(あんかん)です。
安閑天皇はヤマト王権の直轄領を地方にはじめて作りました。歴史の教科書にも出てくる屯倉(みやけ)です。
先史・古代 古墳時代
- 皇居
勾金橋宮
(まがりのかなはしのみや)
- 生没年
- 466年 ~ 536年12月17日
雄略天皇10 ~ 安閑天皇2
70才
- 在位
- 531年2月7日 ~ 536年12月17日
継体天皇25 ~ 安閑天皇2
5年
- 名前
- 勾大兄尊
(まがりのおおえ の みこと)
- 別名
広国押武金日尊
(ひろくにおしたけきんひ の みこと)
- 父
第26代 継体天皇
(けいたい)
- 母
目子媛
(めのこひめ)尾張連草香の娘
(おわり の むらじ くさか)
- 皇后
春日山田皇女
(かすが の やまだ の ひめみこ)仁賢天皇の皇女
福井でふつうに暮らしていたのに
安閑天皇は継体天皇の長男で、40才まで越前三国(福井)でふつうに暮らしていました。
皇族だったのかすらあやしいです。200年さかのぼると天皇につながる由緒ある出の人でしたが。
父の継体天皇は
男大迹王(をほどのおおきみ)
です。いちおう『王』なので、純粋な民間人ではありません。
福井に住むギリギリ皇族という感じでしょうか?
このときの安閑天皇はどうなのか分かりません。
ところが、急に父が天皇になり40才を過ぎて皇族・皇太子になります。そして、父の補佐をしながら20年かけてヤマトの都に入りました。
65才のときに父が亡くなります。継体天皇には皇后との間に皇子が生まれていましたが(のちの欽明天皇)、皇太子を優先させて即位します。
安閑天皇です。
性格もマスオさん
安閑天皇は40才を過ぎてから皇族になったので、ヤマトの人にすんなり受け入れられたとは思えません。
513年、安閑天皇は継体天皇と同じように、ヤマトが納得できる仁賢天皇の皇女(春日山田皇女)を妃に迎えます。皇太子になるために婿入りする必要があったのでしょう。
(のちに春日山田皇女は皇后になる。)
安閑天皇は子どものころから性格がよかったようです。
『人の上に立つにふさわしい』と言われてました。だからマスオさんでも天皇になれたのでしょう。
このとき、継体天皇と皇后の間の皇子(のちの欽明天皇)は22才。今ではりっぱな青年ですが、当時ではまだ若すぎるという年齢でした。
安閑天皇は、
『本命じゃないけど、そのまま皇太子から天皇になってもらおうか?』
と、まわりに思われるだけの人格者だったのでしょう。
屯倉を作る
安閑天皇は多くの屯倉を作った天皇です。安閑天皇には皇后と4人の妻がいましたが、子どもがいませんでした。
そこで皇后と妃の名前を残すために多くの屯倉を作ったと言われます。
屯倉(みやけ)
ヤマト王権が地方につくった直轄領。その後の地方支配の基礎になったと言われる。
535年、安閑天皇は五穀豊穣で地方の隅々まで飢餓がないのを喜んでパーティを開きました。
どこまでもいい天皇です。そして70才でなくなりました。
このページの最初の画像に安閑天皇の肖像画を載せていない。有名な肖像画がないから。
どこかよそ者として見ていて、天皇として認められないと思われてきたのかもしれない。