第26代 継体天皇 歴代の中で一番血統の遠い天皇

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歴代天皇 - 存在は確認されるが本当のことは分からない天皇たち -

継体天皇(けいたい)は、歴代天皇の中で一番血統が遠いところから即位した天皇です。即位したときは都にすら住んでいませんでした。

継体天皇の系統がいまの今上天皇まで続いています。

先史・古代 古墳時代

  • 皇居
  • 樟葉宮
    (くすばのみや)

    筒城宮
    (つつきのみや)

    弟国宮
    (おとくにのみや)

    磐余玉穂宮
    (いわれのたまほのみや)

  • 生没年
  • 450年 ~ 531年2月7日
    允恭天皇39 ~ 継体天皇25
    82才
  • 在位
  • 507年2月4日 ~ 531年2月7日
    継体天皇元 ~ 継体天皇25
    24年
  • 名前
  • 男大迹王
    (おおどのおおきみ)
  • 別名
  • 彦太尊
    (ひこふと の みこと)

  • 彦主人王
    (ひこうしの おおきみ)
  • 振媛
    (ふるひめ)

    垂仁天皇の7世の孫

  • 皇后
  • 手白香皇女
    (たしらか の ひめみこ)

    仁賢天皇の皇女

  • 皇妃
  • 目子媛
    (めのこひめ)

    尾張連草香の娘
    (おわり の むらじ くさか)

もともと福井の王だった

先代の武烈天皇は子供がいないまま亡くなりました。ここで皇統が断絶しそうになります。

そこで大連の大伴金村(おおとも の かねむら)が、都から離れたところに住んでいる天皇の子孫たちを探します。

大連(おおむらじ)と大臣(おおおみ)

大連は、古代のヤマト王権の最高の役職。連(むらじ)の姓をもらった氏族の実力者が代々つとめた。大伴氏(おおとも)や物部氏(もののべ)。

大臣も古代のヤマト王権の最高の役職。臣(おみ)の姓をもらった氏族の実力者が代々つとめた。葛城氏(かつらぎ)や蘇我氏(そが)など。

大臣は、300年5代の天皇に仕えたとされる伝説の臣下、武内宿禰(たけうちのすくね)の子孫たちで占められる。

大連は、ヤマト王権では軍事・警察を担当した。

よく、大臣は、もともとヤマトと同格の氏族でヤマトの協力者、大連は昔からヤマトに仕えた臣下といわれるが、武内宿禰が伝説の臣下なのであてはまらない。

ちなみに、大臣は妃を出せるが大連は出せない理由も、もともと同格の大臣からは出せて臣下からは格が違うから出せないとの説で説明される。

しかしこれは、武内宿禰は第8代 孝元天皇の子孫だとされるので、由緒ある家柄だから嫁に出せたという理由の方が説明がつく。大伴・物部氏の祖先は天皇ではない。

連も臣も氏姓制度で設けられた姓。

まずは、丹波(いまの京都・大阪・兵庫の境界付近)に住んでいた第14代 仲哀天皇の5世の孫の倭彦王(やまとひこ の おおきみ)を天皇に迎えようと、武装した使者を送ります。

倭彦王は、武装した人にビビッて山の中に逃げ出してしまいました。

次に金村は、越前の三国(いまの福井県)にいた第15代 応神天皇の5世の孫の男大迹王に即位するようにお願いします。

男大迹王は、疑いながら河内の樟葉宮(いまの大阪府牧方市)に移りましたが、『自分には才能がないし力不足だから』といって即位を断ります。

そこで金村たちは、『もう他にいないんです。お願いします。』といった感じでお願いし続けてようやく天皇に即位することになりました。57才でした。

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宮内庁HPより抜粋 一部筆者加工

後継者がいない原因は第21代 雄略天皇です。この人は、気に入らないことがあると、ことごとく人を殺していくような人で、天皇に即位するために兄を殺した人です。

このように周りの人間を殺しまくったので、直系以外が都の大和にいなくなりました。

もはや赤の他人?

『5世の孫』というワードがピンとこないと思います。

継体天皇は先祖の応神天皇が11代前の天皇です。今上天皇から見ると、暴れん坊将軍の徳川吉宗の時代の第115代 桜町天皇くらい離れています。

いまなら、江戸時代中期に皇統から離れてとどこかの地方に住んでいる人を天皇として連れてくるようなものです。

ちなみに5世の孫は、あの平将門(たいら の まさかど)と同じです。平将門が急に京都に連れてこられて天皇になると考えると、どれだけ血統が遠い人を天皇にしたのか分かります。

正直、だれが見ても『お前だれ?』でしょう。もう赤の他人です。

世代の数え方(1世, 2世...)

『〇世』は、本人を1世として数える。5世は玄孫。

本人1世
こども2世
3世
ひ孫4世
玄孫(やしゃご)5世

『〇世の孫』は〇世孫のことで、本人の次(こども)を1世として数える。5世の孫は『玄孫のこども』。

『5世の人の孫』ではないことに注意。

本人-
こども1世の孫(1世孫)
2世孫
ひ孫3世孫
玄孫4世孫
来孫(らいそん)5世孫

天皇に即位してから19年大和に入れない

継体天皇は即位してから19年間、首都の大和(いまの奈良)に入っていません。大阪で転々と引っ越しを繰り返します。

507年樟葉宮に入る。(大阪)
511年筒城宮に入る。(大阪)
518年弟国宮に入る。(大阪)
526年磐余玉穂宮に入る。(奈良)

これには、大和の相当な反発があったと想像できます。だって『誰だおまえ?』ですから。

そして継体天皇は、すでに妻や子供がいるのに皇后を別に迎えます。手白香皇女です。手白香皇女は先代・武烈天皇の姉です。

それだけ継体天皇の血統があやしいので、大和の人を納得させるために入り婿として結婚しました。

継体天皇はマスオさんです。

人柄はパーフェクト

継体天皇は人柄がよく、農業や養蚕(ようさん)を怠ると国が栄えないとして、福井から連れてきた妻と一緒に自分からすすんで作業したと言われます。

そのおかげで継体天皇の時代は好景気だったようです。

また、大和の臣下は

人柄もよく親孝行で皇位を継がれるのにふさわしい

いろいろ探したけど賢者は男大迹王だけだった

と言ってべた褒めでした。

筑紫磐井の乱

継体天皇といえば朝鮮半島の外交です。朝鮮半島では新羅(しらぎ)が百済(くだら)を攻めて領土を奪いました。

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by Wikipedia

その百済から任那の4県を譲ってほしいと頼まれて、大伴金村はそれを承諾します。しかしこれで、任那が急激に弱くなり新羅に降伏してしまいます。

任那(みまな)

古代の朝鮮半島南東部にあった倭人の支配エリア。伽耶(かや)ともいわれる。

前はヤマトの飛び地(ヤマト領)といわれたが今ははっきりしない。少なくともヤマトに強く影響を受けた倭人が支配していたらしい。

ヤマトは何度か朝鮮半島に兵を送り戦争をしているが、この任那の支配権をめぐって新羅・高句麗と対立したのが原因。

百済は親・任那だったので、ヤマトと連合を組むことが多かった。

継体21年、それに対抗するため近江の毛野臣(けな の おみ)が率いる6万の兵を任那へ送ります。

新羅は、まえから交流のあった筑紫(いまの福岡)の国造磐井(くにのみやつこ いわい)にワイロを贈って決起をすすめます。磐井は前からヤマトに反逆するチャンスを待っていました。

国造(くにのみやつこ)

ヤマト王権で地方を統治する行政官。県知事みたいなもの。

各地域の豪族の実力者がつとめた。

磐井は決起して毛野軍を止めます。それに対して天皇は、物部麁鹿火大連(もののべ の あらかひ の おおむらじ)を派遣して磐井を討ちます。これが古代の有名な戦『磐井の乱』です。

結局、筑紫の鎮圧だけで終わり、朝鮮半島への派兵はなくなりました。3年後、継体天皇は病気で亡くなります。

継体天皇は王朝交代?

継体天皇には王朝交代説があります。理由はあれだけ離れた血統はふつうは赤の他人だと思うからです。

でも継体天皇はマスオさんです。マスオさんは磯野家を乗っ取っていません。それと同じです。継体天皇は入り婿です。

ぼくはこれを『第2マスオさん期』と呼んでいます。継体天皇の福井時代の2人の息子も天皇になるのですが、2人の皇后も仁賢天皇の娘(武烈天皇の姉?妹?)です。

天皇皇后皇后の続柄
継体天皇(父)手白香皇女武烈天皇の姉
安閑天皇(子)春日山田皇女武烈天皇の姉 or 妹
宣化天皇(子)橘仲皇女武烈天皇の姉 or 妹

武烈系統に引き入れようと必死です。それだけこのときの天皇は『武烈家』にこだわっています。

ただし、まわりの評価はどう見ていたかは別です。ちなみに、このページの最初の画像が肖像画ではなく銅像なのに気づいたでしょうか?

じつは、継体天皇と福井時代の息子の2人(安閑天皇・宣化天皇)には、だれでも使えるようなパブリックライセンスの肖像画がありません。

有名な肖像画がないです。それだけ後世の人間が、正当な皇統としてどこか認めていないところがあるからかもしれません。

継体・安閑・宣化の皇后は仁賢天皇の娘ですが、この仁賢天皇もマスオさん(入り婿)です。

だから『第2』マスオさん期です。

いまの天皇の皇位継承の問題で、天皇は男のDNA(家)で受け継がれてきたと言い張る人たちがいますが、完全な間違いです。

だってこの時代は、男の家よりも女の家のほうが大事だったので。はっきり言って『女系』の時代です。

男系は伝統ではない!

ほかにも肖像画がない天皇はいます。それらの天皇は何かしらワケありです。

在位期間が短い。暗殺されたなど。

中国の男系主義から見れば継体天皇で王朝交代が起きています。婿入りを認めるかどうかがポイントです。

男系主義とは?

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第2代~第9代(欠史八代)情報が少なく実在が疑われる8人の天皇
第27代 安閑天皇 2代目マスオさんの奮闘記
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天皇・皇室の本
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『天皇について基本的なことを知りたい』『過去の天皇の人物像を知りたい』という人におすすめの本を選びました。

内容がかんたんで頭に入りやすく、でも内容が薄いわけではありません。むしろ濃いくらいです。

日本人なら知っていてほしい天皇・皇室の基礎知識だけでなく、外国の人に説明できるくらいの知識が身につきます。


天皇の本3選

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