第73代 堀河天皇 院政の陰で自分の才能を磨く

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和柄の画像

歴代天皇 - 内外と権力闘争に明け暮れた天皇たち(院政の時代) -

怪物政治家の白河天皇の息子である堀河天皇(ほりかわ)は、政治的にはほとんど表舞台には立たず、学問と芸術にエネルギーを注いだ天皇です。

政治の実績もなく早くに亡くなり、また前後の天皇が強烈な個性を持っていたため存在感の薄い天皇になってしまいました。

中世 平安時代 - 末期 -

  • 皇居
  • 平安宮
    (へいあんのみや)
  • 生没年
  • 1079年7月9日 ~ 1107年7月19日
    承暦3 ~ 嘉承2
    29才
  • 在位
  • 1087年11月26日 ~ 1107年7月19日
    応徳3 ~ 嘉承2
    22年
  • 名前
  • 善仁
    (たるひと)
  • 藤原賢子
    (ふじわら けんし)

    源顕房の娘
    (みなもとの あきふさ)

    養父は藤原師実
    (ふじわら もろざね)

父親の院政のために8才で即位

父親の政治的な行動の影響で8才で即位します。11才で元服した時、30才近い叔母の篤子内親王(とくし。後三条天皇の皇女)を皇后に迎えました。

妻というよりも母親のようで、この皇后から教育され”末代の賢王”と呼ばれるまでの徳を得るようになります。

政治の表舞台にはにはほとんど立つことはありませんでした。それに代わって、学問、和歌、管弦にエネルギーを注ぎます。

この時代は、父親の白河上皇院政もそれほど力があるわけではなかったので、関白 藤原師通(ふじわら もろみち)の補佐によって政治が行われました。

もともと丈夫な体ではなかったためか、27才で病に倒れ29才で亡くなります。

それなりに在位期間があって、壮年まで生きた天皇で、肖像画のない天皇は堀河天皇ぐらいです。それぐらい存在感のない人だったのでしょう。本稿の画像もとりあえず『和』を感じさせるもので代用しました。

ということで、内容の薄いまま終わりにします。

太上天皇(だじょうてんのう)

退位した天皇のこと。

上皇(じょうこう)

太上天皇の短縮した言い方。

太上法皇(だじょうほうおう)

出家した上皇のこと。たんに法皇という。

院(いん)

上皇の住まい。そこから上皇・法皇のことを『○○院』と呼ぶ。

詳しくは『太上天皇とは何か?』

 

天皇・皇室に関する書籍
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