2017年5月26日深夜放送の「朝まで生テレビ」で象徴天皇について気になる発言がありました。
象徴天皇の ”象徴” はGHQがイギリスの王室を参考にしたというのです。
そのイギリスも王室と近代の民主主義のバランスを考えていました。アメリカの思惑はどうあれ、日本にとってはベストの答えになってるかもしれない。
”象徴天皇” はアメリカ型民主化のための方便?
アメリカは大統領制です。あたりまえですが君主はいません。なので、象徴天皇はアメリカの考える民主化を日本に持ち込むための方便だと思っていました。
アメリカの今までの対外政策を見ると、そこまで相手のことを考えているようには思えません。象徴という言葉はGHQが日本の国体を転換させて、将来的に天皇制を自然消滅させるために使ったのだと思っていました。
今でもその考えはありますが、アメリカが日本のことを全く考えていないことについて少し考えが変わりました。それが冒頭の『象徴はGHQがイギリスを参考にした』です。
2017年5月26日深夜放送の「朝まで生テレビ」の発言内容を文字に掘り起こしてみます。
2017年5月26日深夜放送の「朝まで生テレビ」の発言内容
天皇陛下が退位するにあたってどのように対応するかという話がテーマでのことです。ここで”象徴天皇”の役割についての話になりました。
番組開始から26分あたりです。
その中での発言です。(敬称略)
ウェストミンスター憲章の中で「国民統合の象徴」という言葉がある。
現在の天皇陛下は、『象徴天皇とはどうあるべきか』を考えながら行動してきた。その答えとして、『国民に寄り添う』ことが象徴のあるべき姿だとされた。
国民に寄り添うことは国民と直接コミュニケーションを取るということ。それに対し、右派勢力の中には『あまり表に出ず天皇は奥で祈ってればいい』という人たちがいる。
小林氏は、イギリスを参考にしたGHQの考えの方が、本来の天皇の在り方として近いのではないか?こちらのほうが日本にとっていいのではないか?と言っている。
ウェストミンスター憲章とは?
ウェストミンスター憲章は1931年12月11日に英国議会が発表した憲章のことで、英国議会が制定した法律の形をとっています。この憲章ではイギリス連邦の体系を法律として規定しました。
イギリス連邦とは、イギリス、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドなどで、エリザベス女王が君主の国々のことです。
(現在は53カ国の国家連合。今はコモンウェルスと呼ぶのが一般的。)
憲章発表前
憲章発表前は、イギリス本国以外の国はイギリスよりも低い地位にありました。外交権や軍事行動の権限はイギリスだけにあり、それ以外は内政の統治権だけをもっていました。
カナダ、オーストラリア、ニュージーランドなどは国軍をもっていませんでした。
国王 - イギリス首相 - 各国の総督 - 各国の首相
という序列です。
憲章発表後
各国の代表をイギリス首相の下に置くのをやめました。
国王 - イギリス首相
国王 - カナダ総督 - カナダ首相
国王 - オーストラリア総督 - オーストラリア首相
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このように序列を見直します。国王の下で各国はみな平等。各国が独自に外交権と国軍をもてるようになりました。
これはイギリスの純粋な植民地だったのを緩和したということ。イギリス以外の国々を大人の国として独立させました。
憲章の象徴とは?
GHQの日本国憲法草案作成の当事者だった人の証言もあります。
ケーディス自身は、英連邦の「ウェストミンスター憲章」とそれの基礎になったパルフォア報告書(1926年、パルフォア伯爵が英国議会に提出し報告書)を貪り読んだ記憶があると述べている。その「ウェストミンスター憲章前文」には「王位(クラウン)はイギリス連邦構成国の自由な連合の象徴であり、構成国は、王位(クラウン)に対する共通の忠誠によって結合されている」と定められている
中村 政則 象徴天皇制への道―米国大使グルーとその周辺 (岩波新書)
ケーディスは、チャールズ・L・ケーディスのこと。アメリカの軍人・弁護士。GHQ民政局課長・次長を歴任。日本国憲法を制定するときのGHQ草案作成の中心的役割だった。
たしかに日本の象徴天皇と似てますね。ウェストミンスター憲章からもってきたのも納得です。
GHQがやったことは全部反対は意固地すぎないか?
日本国憲法はGHQの押しつけだというのは分かります。でもその押しつけのすべてがおかしいというのは少し違うかなと思うようになりました。
少なくとも象徴天皇については、草案を作った人がその人なりに真剣に考えた様子がうかがえます。これは日本人として否定するものでもないのではないでしょうか?
天皇は軍人じゃないのが普通
そもそも、近代日本、明治維新後の天皇は1400年の天皇の歴史の中では異質です。
ひとつは天皇自身が軍人でした。大元帥と呼ばれ軍のトップに立っていました。
天皇が軍人のトップに立ったのは明治以降のことで、それ以前はそのようなことはありません。天皇の歴史の中のたった70年間だけです。
たしかに天皇が軍を率いた時代もありました。しかしそれは、大王(おおきみ)と呼ばれた古代のことで、資料が少なく歴史の事実の認定が難しいころの話です。
天皇と呼ばれるようになってから対外戦争で自ら軍を率いたのは斉明天皇くらい。
『天皇は神さま』は7年間だけ
もうひとつは天皇は神さまという考え方です。この考え方をしていた時代はもっと短く、昭和14年ごろから終戦の昭和20年までの約7年間だけです。
このときは日中戦争、大東亜戦争と日本が大規模な対外戦争に突き進んだ時代で、尋常小学校などの少年少女への教育の中で言われました。
当時の大人は天皇に対して今よりも強烈に恐れ多いと思っていましたが、神さまだとは思っていません。思っていたのは7年間の教育を受けた人だけで、この間に小・中学生だった世代だけです。
本当の天皇の姿を見たほうがいい
このように、戦後日本人が教えられた戦前の天皇像は、1400年のうち70年、たった7年の異例中の異例の天皇像のことを言っています。本当の天皇の姿は見ていません。
天皇を否定したがる人、それを批判する人どちらも異例の部分だけを見て天皇を語っています。だからGHQのやったことをすべて受け入れるか、全否定するような見方をするのでしょう。
少なくともメディアで発言をする人のほとんどはそのような発言をしています。1400年の歴史を踏まえて発言する人はごく少数です。
天皇を否定する人、逆に否定する前に、天皇が1400年の中でどのように存在してきたのかを見ることが大事です。否定、肯定どちらにせよ、天皇を語るには必ず見なければいけない視点だと思います。