歴代天皇 - 伝承上の天皇 -
神武天皇(じんむ)は初代天皇なのに、神話上の人なのに、奇跡を起こさない、マッチョでもない、かっこいいヒーローでもありません。
特別な才能を発揮したわけでもない普通の人。たまに神話らしい神がかり的なこともありますが、そこまでミラクルを起こしているわけでもない。
先史 神話の時代 - 人代(ひとのよ) -
神武天皇は普通の人
神武の東征神話をみると、神武天皇は決して神がかっていません。歴史のヒーローというほど強くもないです。ごくごく普通の人。織田信長、豊臣秀吉の方がよっぽどヒーローらしいでしょう。
外国とは少しちがいます。ほかの国なら国をつくった創始者はもっとマッチョで優秀でヒーローのように語ります。
しかし日本では、神話なのに普通の人として描かれます。このあたり親近感がわきます。
神武天皇の年齢がおかしい?
『普通の人』でも神がかっていることもあります。在位期間76年、没年時137才という異常な高齢。
東征を開始したのが45才、天皇に即位したのが60才というのも不自然。
今でも45才で日本一の起業家を目指すと言い出す人は普通じゃないですよね?
これには当時の1年は、今とちがうという説得力のある解釈があります。
中国の史書だったと思いますが、倭国では春秋で1年と書いています。
(春→夏→秋にかけて1年、秋→冬→春にかけて1年、半年が1年の数え方。)
天皇が中心の社会は稲作が中心なので、稲を植えてから収穫まで1年、次の稲を植えるまでの準備期間を1年としても不思議ではありません。『あるかも』と思わせます。
また、先代天皇との親子合算方式なので在位期間が長くなるという説もあります。
いろいろ思うところが出てくるのでこのくらいでやめておきます。さらに勉強しないといけません。
話がそれたので戻しましょう。
神武天皇の即位年は逆算?
神武天皇の即位年には創作説があります。
中国には讖緯説(しんいせつ)があって、21巡目の辛酉(かのととり, しんゆう)の年は大変革が起きるとされます。
(辛酉の年は60年に1度。21巡目は1260年になる。)
聖徳太子が政治家として頭角を現して斑鳩宮(いかるが の みや)を造ったのが西暦601年、そこから1260年を逆算した紀元前660年を神武天皇の即位年にしたという説。
神武天皇にかぎらず第33代 推古天皇より前の、在位期間や年齢が不自然な天皇は、この計算の帳尻合わせのために在位期間、年齢があてられたといいます。
聖徳太子が基準ってなんで?
なんで聖徳太子が基準なんだ? と思うところですが、仏教伝来と同時期に讖緯説が日本に入ってきたからだそう。
日本に仏教が入ってきたのは聖徳太子のお祖父ちゃん、第29代 欽明天皇のころです。
讖緯説を信じるようになったタイミングがたまたま聖徳太子の時代だったということでしょうね?
またこのときは、日本が国家として世界デビューを目指してがむしゃらになっているころなので、少しでも日本の歴史は長いんですよ? と言いたかったのでしょう。
(当時の世界基準は中国なので、讖緯説を採用して世界に認められようとした?)
神武天皇の即位年を決めたのは最近
讖緯説を基準にした紀元前660年は明治に入ってから正式に制定されました。
1677年(延宝5年)に発表された、渋川春海による日本初の長暦『日本長暦』が元になっています
神武天皇の時代も含めて、日本の古代・神話の時代については、
という人もいます。それぐらい断定するのがむずかしいのでしょう。
紀元前660年は江戸時代に提唱された説で、明治時代はとりあえずそのまま採用したのかな? そんなに深い考えはないと思います。
ちなみに、本居宣長(もとおり のりなが)は『日本長暦』に批判的でした。
古来の日本人にこのような時間感覚はない!
と言っています。
本居宣長は『古事記伝』を書いた江戸時代の国学者。それまで古事記は忘れられて、だれも読めない状態だった。
古事記は、漢字を和語にあてはめたので、時代がはなれると意味不明になっていた。
夜露死苦 -> よろしく
みたいな昔のヤンキーのような表現。
古事記伝はその翻訳本。いま古事記が読めるのは、本居宣長のおかげといわれる大著。
(全部で44巻ある。)
神武天皇の不思議
- 45才で天下統一を目指す
- 天皇に即位したのが60才
- 在位期間76年、没年時137才
『建国記念日』じゃないらしい
2月11日は祝日です。『建国記念日』だと思ってたのですが『建国記念の日』らしいですね?
戦争でアメリカに負けるまでは『紀元節』(きげんせつ)と言われてました。紀元前660年1月1日(旧暦)、神武天皇の即位日です。
これを今の暦に変えて2月11日が祝祭日になりました。
戦前は神武天皇の即位を歴史の事実かのようにしていましたが、戦後は廃止されます。
でも、『国家の始まりがないのはおかしい!』という議論が起こって作られたのが『建国記念の日』です。
紀元節 | 1873年(明治6)制定。 | 祭日 |
建国記念の日 | 1966年(昭和41)制定。 | 祝日 |
この祝日の『の』には意味があります。
殴り合ったかどうか分かりませんが、激しくやりあったみたい。
そこで妥協したのが『建国記念の日』。
よく分かってないけど国家の始まりにしとこう。
の部分が『の』に入ってます。ボクがずっと思ってた『建国記念日』は、紀元節の復活を願う人たちの影響が残ってたのでしょう。
祝日と祭日
祝日 | 国が決めた休みの日。 |
祭日 | 皇室が重要な儀式を行う日。 かつては国民の休日だった。 |
かつて国民の休日には祭日と祝日があったが、戦後、祭日は廃止された。
(天皇と国民の濃い関係性を分断させようというアメリカの考えで。)
いまは祭日はない。祝日だけ。
『祝祭日』という言葉があるが、祭日はないので祝日と同じ。
(祝祭日はないという人もいる。)
日本人は神話をどうみたらいいのか?
神武の東征もそうですが、日本の神話はいま全否定することが主流になっています。戦前の教育が原因で。
戦前は帝国主義のど真ん中で必要以上に見栄を張っていました。日本神話はあたかも歴史の事実かのように子供たちに教えていた時期です。
戦後これを反省して、今度は日本神話を全否定する流れができてしまいました。日本神話を全肯定、全否定、どちらでもバランスが悪いです。
日本神話は『日本書紀』、『古事記』をもとに語られていることが多く、日本が中央集権国家としてまとまるため、国家の歴史の再構成をして作られました。
しかし、100%中央集権体制の都合のいいように創作されたわけではありません。
中央集権国家(ちゅうおうしゅうけんこっか)
権力が、都など中心になる場所に集まった国家。
日本は東京に権力が集中しているのでこれに当てはまる。
歴史は『作られる』けどフィクションではない
『古事記』は、もともと日本各地でそれぞれ口伝えで伝わっていた歴史の物語がベースになっています。
例えは悪いですが、詐欺師はほんとうの話の中にウソをまぜながら人をだまします。
当時は中央集権国家としてまとまっていないので、日本各地にそれぞれ独立心旺盛な人々がたくさんいました。
その人たちが、いきなり奈良の都の都合のいい歴史を受け入れるわけがありません。彼らにとっての歴史が入っていないと、歴史書をつくったところで後世に残りません。
ということは、ある一定の既存の歴史の事実が『日本書紀』、『古事記』には入っているというのが自然です。
もっと気軽に神話を楽しもう
日本神話は、NHK大河ドラマを観るように楽しむのがよいでしょう。大河ドラマは歴史の事実をベースにフィクションをまぜているので。
ぼくの個人的な見方は、細かいエピソードは『ウソじゃないか?』から見ます。逆に、物語の大筋の流れは 『ほんとうかも?』から見ます。
神武の東征では、
宮崎から出発して瀬戸内海を東へ上り、大阪で挫折して、紀伊半島から再上陸して奈良に入る。
という流れは本当がかなりあるんじゃないかと。
細かいところ、神がかり的なこと(八咫烏や聖剣でクマを倒すなど)は『ウソだろ?』と思っています。
物語の大枠をウソで固めるのは矛盾だらけになるので、ほぼ不可能だと思うのですが皆さんはどう思いますか?
明治23年、初代天皇を祀るため橿原神宮が創建されました。鳥居は柱が直径1メートル、高さ9メートル。圧巻のデカさです。
表参道を抜けた最初の門・南神門(みなみしんもん)は装飾もなく、釘を使わない木材だけ (屋根は銅板) で作った巨大な門があるなど、スケールはデカイのに素材を全面に出した、ちょっと雰囲気のちがう景色です。
神社好きでなくてもオススメのスポット。
ちなみに、表参道を抜けた二の鳥居(にのとりい)の手前には神橋(しんきょう)という小さな橋があります。これは、
人の世界から神の世界に足を踏み入れる境界
と言われ、神武天皇は人の神の世界をつなぐ役割をしていることが分かります。