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初代 神武天皇。東征神話でヘタレを露呈する。大惨敗の上に兄が戦死。

神武天皇

歴代天皇 - 伝承上の天皇 -

初代 神武天皇(じんむ)は天下統一のため日向(ひゅうが。宮崎)を出発しヤマト(奈良)へ向かいます。道中、英雄らしからぬヘタレを露呈し、大阪では豪族と戦争してコテンパンにやられました。

神武の東征は英雄の遠征記録ではありません。人間味のある成長物語です。

先史 神話の時代 - 人代(ひとのよ) -

神武の東征はフィクションだと言い切れない

神武天皇といえばやっぱり『神武の東征』(じんむのとうせい)でしょう。

東征は、日向の国(宮崎)の王にすぎなかった神武天皇が、統一国家の都にふさわしい土地(奈良)を求めて東へ移動していく天下取りの物語です。

よく神武の東征はフィクションだといわれます。しかし東征の内容を見ると、フィクションにしては神武天皇がヒーローじゃないキャラクタとして描かれています。本当にフィクションと断定してよいのか悩ましいほど。

神武の東征とはどういうものだったのでしょうか?

上の地図は神武天皇の遠征ルートです。15年以上かけて宮崎の高千穂(たかちほ)から奈良の橿原(かしはら)まで移動しました。

これから遠征の内容を見てみましょう。

神武の東征は『日本書紀』と『古事記』に書かれていますが、少し内容がちがいます。ここでは『古事記』を参考にします。

天下平定を決意

神武天皇は15才で後継者に指名されたといいます。その後、日向の国(宮崎)の王になっていました。

神武天皇はヤマトの統一国家建設の決意をします。

神武天皇
古墳時代の人
いまだこの国は、暴れん坊の神々や土着の豪族がそれぞれ勝手なことをしている。
神武天皇
古墳時代の人
天下平定のために、ひとつにまとまらなければならない。

そして、それにふさわしい都を探す旅に出ました。このとき45才。

ぼく
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天下取りを決意するのがおそい。45って...。
ふつうは安定を選ぶでしょ。宮崎の王なんだし。
不自由ないし。ぜったい金持ちだし。
ぼく
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イケイケの起業家と同じメンタリティー?

豊国(とよのくに)の宇沙(うさ)へ到着

まずは、日向国(宮崎)から豊国(大分)へ船で向かいます。ここは日本全国どこにでもある八幡宮の総本社・宇佐神宮があるところ。

いまでも皇室と関係が深いところで、天皇陛下からのお供え物を東京から派遣された使いの人が定期的に奉納しています。

また、第47代 称徳天皇(しょうとく)が、仏僧の道鏡(どうきょう)に皇位を譲ろうとしたとき、カミのお告げを聞いた神社。

話しを戻しましょう。

神武天皇一行が到着すると、豊国は大歓迎し神武天皇の臣下になることを約束しました。

ここでしばらく旅の疲れを癒します。

神武天皇、大分制覇!

豊国(とよ の くに)は日本で長い間使われた令制国以前の地方の国名。

(古墳時代以前。)

今の福岡県東部から大分県全域を指す。

令制国では豊前(ぶぜん。福岡東部)と豊後(ぶんご。大分)に分かれた。

筑紫国(ちくしのくに)の岡田宮(おかだのみや)に到着

豊国で一休みした後、次に筑紫国(福岡県北九州市)の岡田宮へ船で行きます。

『古事記』ではくわしく書いてませんが、ここに1年くらいいました。長旅の疲れをとりながら、情報収集・準備をしていたのでしょう。

神武天皇、福岡制覇!

筑紫国(ちくし の くに)は日本で長い間使われた令制国以前の地方の国名。

(古墳時代以前。)

今の福岡県東部(豊国)を除いた福岡県全域を指す。

令制国では筑前(ちくぜん。福岡北部)と筑後(ちくご。福岡南部)に分かれた。

ちなみに、かの有名なジャーナリストだった故人・筑紫哲也(ちくし てつや)氏は大分県日田市出身。

今でも名字や地名として残っている。

安岐(あぎ)に7年、吉備(きび)に8年滞在する

筑紫国を出たあと瀬戸内海にそって上り、安岐(安芸。あき。広島)の多祁理宮(たけりのみや)に7年滞在しました。そして、吉備(きび。岡山)の高島宮(たかしまのみや)に移動して8年滞在します。

このあたり現実味があります。

神武天皇を神がかり的なものとして描くなら、マッチョなエピソードを満載して『だから天皇は偉いんだ!』と強調すればいいはず。

しかし、まったくそうなっていません。むしろ、東へ向かいながら仲間を集めています。『そんなの不可能だ!』とは言えないくらいにゆっくりと。

源頼朝(みなもと の よりとも)は、関東武士をまとめて鎌倉へ入るのに3年かかりました。織田信長(おだ のぶなが)は、尾張を統一してから天下統一目前まで20年くらいかかっています。

神武天皇が九州・中国・山陽地方をまとめるのに15年かかったというのはごくごく自然です。

ぼく
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初期のドラゴンクエストやファイナルファンタジーを思い出すな。
ぼく
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一部の世代の人にしか分からなくてゴメン。

神武天皇、山陽制覇!

安岐国(あぎ の くに)、吉備国(きび の くに)は日本で長い間使われた令制国以前の地方の国名。

(古墳時代以前。)

安岐は今の広島県、吉備は今の岡山県全域を指す。

令制国では、安岐はなまりが加わって安芸(あき)になり、吉備は備前(びぜん)・備中(びっちゅう)・備後(びんご)・美作(みまさか)に分割された。

(京都から近い順に前・中・後。美作は備前の上の内陸部。)

吉備は古代の日本の三大勢力のひとつと見られ、天皇を中心としたヤマト、出雲(いずも。島根。)に並ぶ勢力があったと言われる。

(大量の古墳がある地域の一つ。)

そこを本拠地にした吉備氏は古代の一大豪族だった。

亀仙人のじっちゃんに出会う

吉備を出たとき、瀬戸内海の渦潮で進路を妨害されてしまいます。

ここで、亀の甲羅に乗った老人(宇豆毘古命(うずびこのみこと))があらわれました。その老人は渦潮を避けるルートを教えてくれます。

神武天皇は喜んで、その亀仙人に槁根津日子(さおねつびこ)という名前を与えました。

このじっちゃんは、国造の祖とされるカミサマです。

国造と県主(くにのみやつこ。あがたぬし)

第13代 成務天皇の時代に作られたといわれる。日本ではじめて作られた地方の行政組織。(当時はヤマト王権)

国造県知事。地方裁判所の最高判事。県警本部長。
県主市長。
ヤマト周辺では王権の直轄地の長。

ヤマト王権から派遣する、もともと地方にいた豪族や集落の長を任命するなど、ケースバイケースで決めていた。

都道府県、市区町村のような地方の区割りもできた。


(くに)
都道府県

(あがた)
市区
ヤマト周辺は王権の直轄地
邑里
(むら)
町村

山や川で国と県を分け、東西南北の道で集落を邑里にまとめた。もともとの豪族の領域、集落などを分断したものではない。

(ある程度はあっただろうが。)

天皇から地方の豪族や有力者に名前を与えることは、地方の豪族や有力者を天皇の臣下にすることを意味します。

このエピソードには、

地方官の任命権は天皇にあるんだよ。

というメッセージが入っています。

また、ここまでの旅で仲間にしてきた各地の豪族、有力者も国造に任命したことも遠回しに言っています。

訪れた土地を領土にして、それを広げながら旅をしている。

と言いたいんですね?

大阪で大惨敗。ヘタレを露呈する

瀬戸内海を抜けた一行は、いよいよ白肩津(しろかたのつ、大阪府東大阪市)に上陸します。

ここで、豪族・那賀須泥毘古(ながすねびこ、長髄彦)と壮絶なバトルになりました。

結果は大惨敗。同行していた神武天皇の一番上の兄・五瀬命(いつせのみこと)が瀕死の重傷を負います。

一行は海へ退却しました。

この場面、『古事記』では神武天皇のへたれエピソードとして描かれます。

神武天皇は神がかっていません。最強の男でもないし、かっこいいヒーローでもありません。

むしろ普通の人です。このあたり神話なのに内容は現実的です。

神武天皇、大阪制覇ならず。

戦で負けた上に兄を失う

海上に逃れて紀国(和歌山県)にたどり着いたころ、兄の五瀬命は死の床にありました。ここで兄は弟の神武天皇に忠告します。

五瀬命
古墳時代の人
陽の昇る東に向かって戦ったのが失敗だった。ここはいったん南に下って東から上陸し、陽を背にして戦え。

この言葉を残して亡くなってしまいました。

紀国(き の くに)は日本で長い間使われた令制国以前の地方の国名。

(古墳時代以前。)

今の和歌山県全域を指す。

令制国では紀伊(きい)になった。

また、紀州とも呼ばれる。州は令制国の別称。

州が一般的に残り使われる地方は珍しい。それだけ昔から重要な土地だったのだろう。

ちなみに州は、前・中・後、上・下の国をひとまとめにすることが多い。

筑前・筑後 -> ともに筑州

豊前・豊後 -> ともに豊州

備前・備中・備後 -> どれも備州

熊野から再上陸

兄の言うとおり、紀伊半島沿いを南進して熊野から再上陸します。ここで、クマにとりついた悪霊と遭遇しました。

そこに天照大神から霊剣を預かったという者があらわれ、その霊剣で悪霊を退治します。

そして、神武天皇の夢に天照大神が出てきて、これからは自分が派遣したカラスに道案内をさせるというお告げを聞きます。

このカラスが八咫烏(やたがらす)。サッカー日本代表のユニフォームに描かれる3本足のカラスです。

この八咫烏の先導でついに宇陀(うだ、奈良県宇陀市)まで来ることができました。

その間にも各地の豪族を味方にしています。

ぼく
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急にファンタジーだらけ。何かあったのか?
ぼく
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何もなかったのか? 言えないことをしたのか?

神武天皇、紀伊半島制覇!

奈良に入ってから急に戦が続く

宇陀に入ってからは突然バトルだらけ。楽勝だったものはありません。あまりにも苦戦して長引いたものもあります。

大阪でコテンパンにやられた那賀須泥毘古とのリベンジマッチもありました。

(勝利してリベンジを果たす。)

神武天皇はヒーローにあるまじきだまし討ちもしています。敵の人間を味方のふりしてパーティーに誘い、酔っぱらったところで皆殺し。

神話なのに奇跡を起こしていません。泥臭いバトルで勝利しています。

ぼく
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このあたり、本当のことがあるんじゃないかな?

近畿は最強の奴らがウヨウヨいた?

東征の話の中で、大阪・奈良の中心地に入った途端いきなりバトルがつづきます。

近畿地方はすでに圧倒的な豪族がいたのではないでしょうか? それだけ魅力的な土地だったのかもしれません。

なんとか勝ちつづけた神武天皇は、橿原宮(かしはらのみや)に拠点を移して即位し初代天皇になります。

このようにして神武天皇は天下を統一しました。そしてこの地で亡くなります。御陵は畝傍(うねび)山の東北(現在の奈良県橿原市)にあります。

やっぱり、初期のドラクエやFFを思い出す。クライマックスが近くなると敵が強くなるし、主人公はヘタレから始まって勇者に成長するし。

もしかすると日本人はこういうストーリーが好きなのかもしれません。

ゲームの脚本家がこういう昔のストーリーを参考にしたのかも? と思ってしまいます。


明治23年、初代天皇を祀るため橿原神宮が創建されました。鳥居は柱が直径1メートル、高さ9メートル。圧巻のデカさです。

表参道を抜けた最初の門・南神門(みなみしんもん)は装飾もなく、釘を使わない木材だけ (屋根は銅板) で作った巨大な門があるなど、スケールはデカイのに素材を全面に出した、ちょっと雰囲気のちがう景色です。

神社好きでなくてもオススメのスポット。

ちなみに、表参道を抜けた二の鳥居(にのとりい)の手前には神橋(しんきょう)という小さな橋があります。これは、

人の世界から神の世界に足を踏み入れる境界

と言われ、神武天皇は人の神の世界をつなぐ役割をしていることが分かります。

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初代 神武天皇。先祖は有名なカミサマだらけ。まるで日本昔ばなしの世界。
初代 神武天皇。神話の中で決して英雄でない普通の人。異常な長生き以外は。
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