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第13代 成務天皇。地方の統治機構を作ってヤマト王権のレベルを上げる

emperor seimu image

歴代天皇 - 存在は確認されるが本当のことは分からない天皇たち -

成務天皇(せいむ)はヤマトタケルの弟で、タケルが行なったヤマト王権の武力討伐のあとを引きつぎました。織田信長を引き継いだ豊臣秀吉に似ている。

そこからさらに、都道府県・市区町村みたいな地方の統治機構を作って国のかたちをワンランク上げます。

(国造・県主(くにのみやつこ・あがたぬし)の登場。)

先史・古代 古墳時代

  • 皇居
  • 志賀高穴穂宮
    (しがのたかあなほのみや)

  • 生没年
  • 84年?月?日 ~ 190年6月11日
    景行天皇14年 ~ 成務天皇60年
    95?, 107? 才
  • 在位
  • 131年1月5日 ~ 190年6月11日
    成務天皇元年 ~ 成務天皇60年
    60? 年
  • 名前
  • 稚足彦尊
    (わかたらしひこ の みこと)
  • 八坂入媛
    (やさか の いりびめ)

    八坂入彦皇子の娘
    (やさか の いりびこ の みこ)

  • 皇妃
  • 弟財郎女
    (おとたからいらつめ)

    建忍山垂根の娘
    (たけおしやまたりね)

緊急登板の即位

先代・景行天皇のあとは日本武尊(やまとたける の みこと)が継ぐはずでしたが、カミにたたって死んでしまいました。

そこで、母ちがいの弟で景行天皇の第4皇子が即位します。成務天皇です。

13代 成務天皇 系図
宮内庁HPより抜粋 一部筆者加工

成務天皇が想定外だったのは妻を見ても分かる。妻は弟財郎女(おとたからいらつめ)で皇族出身ではありません。そして、皇后になれませんでした。

皇后になるには身分が低いということですね?

皇族は名前のうしろが『○○命』(みこと)になり、先祖をたどると皇族につながる人や有力豪族の娘は『○○媛(姫)』(ひめ)になる。

『○○郎女』(いらつめ)は、『○○の女』『○○の娘』という意味。

〇〇は女性の名前ですらない。親の名や出身氏族名、本拠地名だったりする。

身分が低い人に使われる。

成務天皇は4世紀中ごろに活躍したと言われます。この時代の毎度おなじみですが、日本書紀ではさらに300年くらい古いことになっている。

都道府県・市区町村をはじめて作る

都道府県、市区町村はだれでも知っています。地方のグループ分けですね?

これを最初に作ったといわれるのが成務天皇です。


(くに)
都道府県

(あがた)
市区。ヤマト周辺は王権の直轄地
邑里
(むら)
町村

山や川で国、県を分け、東西南北の道で集落を邑里にまとめました。もともとあった豪族の領域、集落を分断するようなやり方ではありません。

(ある程度はあっただろうが。)

また、知事・市区町村長のような地方官も作りました。

国造
(くにのみやつこ)
知事。
地方裁判所の最高判事。
県警本部長。
県主
(あがたぬし)
国造よりもスケールの小さい長。
ヤマト周辺は王権の直轄地の責任者。

国造も県主も、もともとそこに住んでいた豪族や集落の長が任命されました。

豪族の権力を奪うと恨まれて反乱が起きるので、これがいちばん安定していたのでしょう。

じっさい、世の中は安定し平和になったといわれます。

国造や県主は従順なヤマトの部下ではありません。

もとは独立した豪族なので、そこまでヤマトに義理がないんですね?

部下になってやったということでしょう。ヤマトタケルの勇猛果敢さを知ってビビったというのもあるでしょうが。

国造や県主の設置は成務天皇の時代ではないという説が強くある。

(そもそも成務天皇は存在しないとも。)

でも、日本書紀の記録上そうなってるってことですね?

古事記と日本書紀(こじき。にほんしょき)

第40代 天武天皇が号令をかけて作った国家の歴史書。ふたつあわせて記紀(きき)いう。

それ以前の歴史書は、焼失や理由の分からない消失でいまは存在しない。

国記と天皇記

第33代 推古天皇のとき、聖徳太子蘇我馬子(そが の うまこ)が編集長になって作ったと言われる。

国記
(こっき)
国家の歴史書
天皇記天皇の系譜

天武天皇の息子・川島皇子(かわしま の みこ)、忍壁皇子(おさかべ の みこ)が編集長になり作業をはじめた。

そのときにまとめたのが帝紀と旧辞と言われる。

帝紀と旧辞

帝紀
(ていき)
天皇の系譜、功績をまとめたもの。
旧辞
(きゅうじ)
各氏族の系譜をまとめたもの。
氏族や民など、いろいろな人々に伝わる伝承をまとめた。
日本書紀に出てくる『上古諸事』は旧辞を指すとも。

帝紀と旧辞は一体だったとも言われはっきりせず、ふたつとも現存しない。

当時、重要な情報は覚えて口伝えする職業(誦習者。しょうしゅうしゃ)があり、稗田阿礼(ひえだ の あれい)が帝紀・旧辞を覚えた。

帝紀と旧辞が古事記と日本書紀の基本資料になり、飛鳥時代以前の歴史は、古事記、日本書紀にたよる。

古事記(こじき。ふことふみ)

帝紀・旧辞を稗田阿礼に誦習させたが、天武天皇が亡くなると作業が中断した。

712年(和銅5)、第43代 元明天皇のとき、太安万侶(おお の やすまろ)が阿礼の記憶、帝紀・旧辞から文字起こしして書物にまとめたのが古事記。

20年以上の中断があり完成に30年以上かかった。

(阿礼は、帝紀・旧辞だけでなく、無くなっていた数々の歴史書も覚えていた暗記の天才と言われる。)

日本書紀(にほんしょき)

完成は古事記よりもおそく、720年(養老4)、第44代 元正天皇のころに完成。

中断していたのか?たんに時間がかかったのか? 完成までの経緯はよく分かっていない。

天武天皇の息子・舎人皇子(とねり の みこ)が編集長。

古事記倭語を漢字にあてた。
『夜露死苦』(よろしく)みたいに。

国内向け。
国家統一に利用するためか?
日本書紀漢字で書かれた。
(中国人でも読める。)

国外向け。
世界に日本をアピールするために利用か?

武内宿禰伝説のはじまり

成務天皇と同じ日に生まれた武内宿禰という人がいます。

成務天皇は宿禰を大臣にして政治を行ないました。

宿禰はこれから4代の天皇に仕え、300年も生きたという伝説の臣下です。

んなことありえないんですが、このあたりの時代の話は、本当っぽいことと明らかに胡散臭いエピソードが混じり合った世界です。

第21代 雄略天皇以降、胡散臭い話は極端に減っていくんですが、そこから天皇の側で活躍する大豪族は宿禰の子孫ばっかり。

葛城氏(かずらき)・平群氏(へぐり)・蘇我氏(そが)は宿禰の子孫とされる。

なんか、大豪族の正当性の主張に利用されてるような気もするが。

(平群氏はあまり聞かないが、蘇我氏が登場する以前は蘇我氏の最高潮並みに隆盛していた。)

武内宿禰(たけしうち の すくね)

第13代~16代の成務仲哀応神仁徳の4代の天皇に仕えた。

成務天皇と同じ日に生まれ、300才まで生きたという伝説の臣下。

最初の大臣になる。のちに大臣は政治の最高責任者になるが、それをつとめた豪族は宿禰の子孫だといわれる。

隆盛を誇った順に葛城氏(かずらき)、平群氏(へぐり)、蘇我氏(そが)。

大化の改新藤原氏が台頭するまでつづいた。

武内宿禰 系図
宮内庁HPより抜粋 一部筆者加工
大連(おおむらじ)と大臣(おおおみ)

大連は、古代のヤマト王権の最高の役職。連(むらじ)の姓をもらった氏族の実力者が代々つとめた。大伴氏(おおとも)や物部氏(もののべ)。

大臣も古代のヤマト王権の最高の役職。臣(おみ)の姓をもらった氏族の実力者が代々つとめた。葛城氏(かつらぎ)や蘇我氏(そが)など。

大臣は300年4代の天皇に仕えたとされる伝説の臣下、武内宿禰(たけしうちのすくね)の子孫たちが多い。

大連はヤマト王権では軍事・警察を担当。

大臣はもともとヤマトと同格の氏族でヤマトの協力者、大連は昔からヤマトに仕えた臣下といわれるが、武内宿禰はあてはまらない。

ちなみに、大臣は妃を出せるが大連は出せない理由も、もともと同格の大臣からは出せて臣下からは格が違うから出せないと説明される。

しかし、武内宿禰は第8代 孝元天皇の子孫だとされるので、由緒ある家柄だから嫁に出せたという理由の方が説明がつく。大伴・物部氏の祖先は天皇ではない。

連も臣も氏姓制度で設けられた姓。

いまでも政治の最高実力者は総理大臣、外務大臣など大臣(だいじん)というが、ここに由来があるのかは分からない。

(個人的にはあるような気がする。)

本当に子どもがいない?

成務天皇には皇子がいなかったので、日本武尊の皇子・足仲彦尊(たらしなかつひこ の みこと。のちの仲哀天皇)を後継者にしていました。

成務天皇は、古事記では95才、日本書紀では107才で亡くなります。

ぼくの個人的な意見ですが、ほんとうに皇子がいなかったの?と思う。けっこう長生きしているのに。

(そもそも年齢がおかしいですが。)

本流じゃないヤツに皇統を渡してたまるか!

という意見があってもおかしくありません。

当時は皇族同士の殺し合いはあたりまえなので消された可能性もある。もちろん、ほんとうに皇子が生まれなかったことも十分ありえます。

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天皇・皇室の本

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