歴代天皇 - 存在は確認されるが本当のことは分からない天皇たち -
用明天皇(ようめい)は知らない人が多いでしょう。在位期間が3年なのであたりまえです。
でも、こう言ったらグッと近くの存在になります。『聖徳太子の父』。
聖徳太子は仏教を大事にしたことで有名ですが、用明天皇は初めて仏教を宗教として取り入れた天皇です。その影響でしょう。
先史・古代 古墳時代
- 皇居
磐余池辺雙槻宮
(いわれいけのべのなみつきのみや)
- 生没年
- 539年 ~ 587年4月9日
欽明天皇元 ~ 用明天皇2
48才
- 在位
- 585年9月5日 ~ 587年4月9日
敏達天皇14 ~ 用明天皇2
3年
- 名前
- 大兄
(おおえ)
- 別名
橘豊日尊
(たちばな の とよひ の みこと)池辺
(いけべ)
- 父
第29代 欽明天皇
(きんめい)
- 母
蘇我堅塩媛
(そが の きたしひめ)蘇我稲目の娘
(そが の いなめ)
- 皇后
穴穂部間人皇女
(あなほべ の はしひと の ひめみこ)
敏達体制を継承する
用明天皇は、先々代・欽明天皇の第4皇子で先代・敏達天皇の腹ちがいの弟です。体制もそのまま引き継ぎました。
大連 | 物部守屋(もののべ の もりや) |
大臣 | 蘇我馬子(そが の うまこ) |
用明天皇は物部と蘇我のどちらかに肩入れせず、両方のバランスを考えながら政治を見ました。
ただ、天皇自身は仏教を信奉し神道も大事にしました。歴代天皇の中で宗教として仏教を取り入れた最初の天皇です。
宗教の仏教を天皇がはじめて取り入れた。
用明天皇の即位は蘇我馬子のねじ込み?
用明天皇は、蘇我氏がむりやりねじ込んだ天皇です。
系図にあるように、敏達天皇は蘇我系以外からも皇后を迎えています。後継者になるはずの押坂彦人大兄皇子は蘇我氏とは無関係。これが原因で即位できませんでした。
用明天皇の母は馬子の妹なので馬子の甥っ子になります。最初の蘇我系天皇です。
蘇我氏の準備は用意周到でした。欽明天皇の妻の派閥抗争を避けるため、それぞれの皇子に別の蘇我系皇女を嫁がせます。
夫 | 妻 |
---|---|
敏達天皇(母・石姫皇女) | 額田部皇女(推古天皇。母・蘇我堅塩媛) |
用明天皇(母・蘇我堅塩媛) | 穴穂部間人皇女(母・蘇我小姉君) |
ただ完ぺきではありませんでした。小姉君の皇子には妃を迎えていません。
そして、そこから用明天皇の即位に不満をもつ皇子が現れます。穴穂部皇子(あなほべ の みこ)です。
トラブルメーカー・穴穂部皇子
たまにいますよね? 何をしているのか分からない正体不明の親戚のおじさん。しかも、正体不明の割には異常に人にマウントしたがる嫌われ者が。
このときの皇子にもいました。穴穂部皇子です。
敏達天皇が亡くなったとき、
と意味不明に怒ってます。
以外ないのですが、穴穂部皇子には通じません。
分かりやすい悪人・ 穴穂部皇子
家族から嫌われていた人がやることはひとつです。
自分をのけ者にする人の敵に近づく。
分かりやすい、2時間ドラマに出てきてすぐに殺されるクズ人間みたいな行動です。
穴穂部皇子も同じでした。そして近づいた相手は、蘇我馬子の永遠のライバル・物部守屋。
そしてこの皇子、天皇になるために強硬手段に出ます。その方法は、今の時代では極悪非道の犯罪。
悪い皇子の餌食になったのは推古天皇
皇子は、敏達天皇の皇后だった未亡人・額田部皇女(のちの推古天皇)を、レイプしてむりやり妻にして、そのまま即位しようと皇后の家を襲撃します。
(額田部は穴穂部の母違いの姉。)
しかしこれは、敏達天皇の忠実な部下だった三輪君逆(みわのきみさかう)が防ぎました。
今の感覚で見ると信じられないが、当時はそれほど絶対にやってはいけないことではない。良いことでもないが。
ここで、穴穂部皇子の真骨頂が出ます。皇子は物部守屋に命令して三輪君逆を殺してしまいます。
こうして、蘇我氏 vs 物部氏の抗争をさらに盛り上げました。
用明2年、用明天皇は病気を理由に仏教徒になりたいと臣下に相談します。これが蘇我 vs 物部の抗争を激化させました。
守屋を守ろうとした中臣勝海(なかとみ の かつみ。姓は連)が馬子に殺される事件まで発生します。
そんな中、用明天皇は亡くなりました。
用明天皇は厩戸皇子(うまやど の みこ。聖徳太子)の父