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旧皇族家系の人が皇室に復帰することがありえない理由。もう言葉遊びはやめてほしい。

菊花紋章

連載
日本から天皇がいなくなる日 Vol.4

皇室の皇位継承問題で、よく旧宮家の人物の皇族復帰という解決策が言われます。

何も問題はないように思いますが、これには大きな”問題”が隠れています。ぱっと見は大丈夫に見えるのでことは重大です。

(言葉のマジックが散りばめられていて普通は気づかない。)

今、皇室に復帰できる旧皇族(旧宮家)の人はいない

1947年、GHQの命令で『一般国民』になった『旧皇族』で皇族に復帰する人はいません。というか、後継者不足を解消するのに高齢の人を戻しても意味がありません。

『旧皇族家系生まれの人』なら若い男性はたくさんいます。しかし、彼らを皇族にはできません。

彼らは旧皇族ではなく生まれたときから『一般国民』です。特別な人でもなく私たちと何一つ変わりません。

旧宮家の人の皇族復帰』、『旧皇族の人の皇族復帰』の中には、その家に生まれた『一般国民』も含めています。

これはふつうの一般国民をダマしています。『旧宮家、旧皇族の家に生まれた一般国民』をあたかも特別な存在としているから。

こんな言葉遊びで皇位継承問題を語ってはいけません。

この記事のタイトルが『旧皇族家系の人が皇室に復帰することがありえない理由』になっているのはそのためです。

  • 皇室に復帰できる旧皇族はいない
  • 旧皇族の家に生まれた『ふつうの国民の男子』はたくさんいるけど、彼らは皇族だったことがない
  • そのなかで、いま皇室に入ることができる男子は一人もいない

旧皇族の人が皇室に戻った前例はある

この記事のタイトルのようなことを言うと、

旧皇族が民間人から皇室に復帰した例はある!

という反論が聞こえてきそうなので、まずはその答えから。

旧皇族(家系)が民間人から皇室に復帰した例はあります。でもそれを前例としては使えません。まず過去の例を見てみましょう。

第59代 宇多天皇

父の光孝天皇の意向で、源定省(みなもとの さだみ)という名で民間人になる。しかしすぐに次期天皇のなり手がなくなり、再び皇太子として皇族に復帰。民間人だったのは3年間だけ。

第60代 醍醐天皇

旧皇族だった父の源定省の息子で民間人として生まれる。父の皇族復帰に合わせて皇族に入る。

正確には旧皇族からの復帰ではなく、旧皇族家系の民間人男性が皇室に入った例。

第119代 光格天皇

第118代 後桃園天皇には娘しかいなかったため、閑院宮(かんいんのみや)の典仁親王の息子が、養子に迎えられて即位する。

典仁親王は閑院宮2代目当主。115代 桜町天皇のいとこ。

正確には民間人からの皇室復帰ではなく、宮家から皇室への復帰となった例。

傍系でこんなに血統の離れた人が皇室に戻ったことはない!

男系男子継承絶対を主張する人々は、これらの例を必ず言います。でも1947年に臣籍降下した旧宮家の人々は決定的にちがいます。

臣籍降下(しんせきこうか)

皇族が下のりること。

皇族が民間人になって皇室から離れること。

奈良時代は罰として皇籍剥奪として行われることもあり、反省して許されると皇族に戻ることもあった。

平安時代以降は、貴族だけでなく仏門に入る人も増え、皇族数の調整弁に使われることが多くなった。

それは...

民間人だった期間と天皇との距離。

宇多天皇は天皇の息子で、民間人だったのはたった3年です。これなら皇太子として復帰するのに反対する声は出ないでしょう。

もうひとつは天皇との血統の距離です。光格天皇は父が天皇のいとこ。これも天皇の親戚として皇室に入ることはまあ許されるでしょう。

ただ、1947年に臣籍降下した旧宮家の人は70年以上前に民間人になっています。また、室町時代の南北朝までさかのぼらないと、いまの天皇とつながりません。(北朝第3代 崇光天皇

世代で最低でも20世はなれています。(27世はなれてるという人もいる。)

というか遠すぎて、正確な数字が分からん。

旧宮家よりも天皇に近い人はたくさんいる

これを親戚というでしょうか? 赤の他人のレベルです。はっきりいって、これだけ血統がはなれた天皇の子孫は、調べるのが不可能なくらいゴマンといます。

旧宮家よりも天皇と血筋が近い人には、大阪でワインバーを経営している人もいます。(もちろん一般国民です)。

飲食店経営をバカにはしてません。皇室と血筋はつながっても『一般国民』としてふつうに生活している人がいることを言いたいだけ。

これだけはなれた、もう旧皇族とは呼べない人を皇室に入れたことは一度もありません。

もう復帰とも言わない。

旧皇族復帰論を言う人は、最近気づいたのか、『旧宮家家系人物の皇籍取得』と言いはじめました。

どこかの国の総理大臣A・Sも言っているので聞いたことがあるでしょう。ただ、やろうとしていることは同じ。

本当にイヤになります。低レベルの詐欺師でもしないようなバレバレのことを、いい歳こいたスーツ着たオッサンが、『ちゃんとマジメに考えてます』の顔で、メディアを通してしゃべりまくっているんだから。

継体天皇はもともと福井のおっさん

皇室からもっとも離れたところから天皇になったのは第26代 継体天皇です。継体天皇は第15代 応神天皇の5世孫で玄孫の子ども。

世代の数え方(1世, 2世...)

『〇世』は、本人を1世として数える。5世は玄孫。

本人1世
こども2世
3世
ひ孫4世
玄孫(やしゃご)5世

『〇世の孫』は〇世孫のことで、本人の次(こども)を1世として数える。5世の孫は『玄孫のこども』。

『5世の人の孫』ではないことに注意。

本人-
こども1世の孫(1世孫)
2世孫
ひ孫3世孫
玄孫4世孫
来孫(らいそん)5世孫

継体天皇はいまの福井県に住んでいて『王』と呼ばれていました。地方に住む皇族です。

(じっさいは地方豪族になっていたかも?)

先代・武烈天皇が息子がいないまま亡くなったので、臣下たちが地方の皇族系統を探し回って、お願いして即位したのが継体天皇です。

継体天皇は即位してすぐに都に入っていません。大阪に移動して、さらに大阪で何度か引っ越しをして、20年後にやっとヤマト(奈良)に入りました。

しかも、妻や子どもがいたのに皇后は武烈天皇の姉を迎えます。マスオさん天皇です(入り婿)。

(福井の妻は継体天皇と離婚せず、ずっと一緒にいた。妻ランクを下げられて。それが余計にツライ。)

それぐらいしないと、ヤマトの人から認められなかったことが想像できます。

継体天皇の連れ子の息子ふたりは天皇になります。

第27代 安閑天皇

第28代 宣化天皇

継体天皇もビックリしたでしょうが、ふたりもビックリしたでしょう。

福井にいるときすでにアラフォーです。福井のオッサンです。それがいきなり天皇の息子になるんだから。

ふたりも入り婿天皇。武烈天皇の姉・妹を皇后に迎えた。

(継体天皇は即位したとき60才近い。福井のおじい。)

継体天皇は11代前の天皇の系統から復帰しました。今から数えると江戸時代中期の天皇まで戻る感じ。

また、継体天皇の血統の距離は平将門と同じです。平将門にお願いして即位してもらうようなもの。

ほんとうは王朝交代が起きているんじゃないか?

万世一系はウソなんじゃないか?

と言われるゆえんです。

いまの旧皇族家系の人たちは、これよりさらに、もっと、3倍以上も遠い血統です。

歴史上の有名人は天皇の子孫

ちょっと見方を変えます。有名な歴史上の人物は天皇の子孫が多いです。天皇の何世の子孫になるのか見てみましょう。

平将門
(たいら の まさかど)
6世。5世孫。
平清盛
(たいら の きよもり)
10世
源頼朝
(みなもと の よりとも)
11世
足利尊氏
(あしかが たかうじ)
16世
近衛文麿
(このえ ふみまろ)
12世

近衛文麿は、日中戦争開戦から大東亜戦争開戦直前まで総理大臣だった。

五摂家といわれる平安の藤原氏のトップ5の家系。

あまり知られていませんが、五摂家のうち近衛・一条の2家は、江戸時代の後陽成天皇の息子が養子に出されて、鷹司家は、さらに時代が新しい東山天皇の孫が養子に出されて藤原氏になった。

五摂家のうち3家は天皇の血統を受け継いでいる。

この3家を皇別摂家(こうべつせっけ)という。

五摂家(ごせっけ)

平安時代の摂関政治では摂政・関白になれる家は決まっていた。それを摂関家(せっかんけ)という。

鎌倉時代以降、摂関家の中でさらに摂政・関白になれる家柄がしぼられた。その5家のことを五摂家という。

  • 近衛(このえ)
  • 九条(くじょう)
  • 二条(にじょう)
  • 一条(いちじょう)
  • 鷹司(たかつかさ)

くわしくは『摂関政治とは何か?』で。

五摂家は明治に入ってもつづき、華族制度ができてからは華族として位置づけられた。

1947年の華族制度の廃止まで、由緒ある家として知られていた。

いまの旧宮家系統の人は、これよりもっと血統が遠いのに、特別あつかいするのはチャンチャラおかしいです。

それなのに男系男子にこだわる人は、いまの未婚女性皇族は結婚して民間に下らせ、代わりに国民の一部を特別あつかいして皇室に入れようとしています。

彼らの感性は完全に狂っています。彼らは、平清盛、源頼朝、足利尊氏はいざとなれば全員、皇位継承権をもった人だったと言っています。

これだけ皇位継承権をもった人が大勢いるなら、AKBにならって選抜総選挙で皇室メンバーを決めませんか? もちろん1位が天皇陛下です。そして上位7名とその家族が皇室メンバー。

こういうふざけたことを言いたくなるくらい、彼らの主張はめちゃくちゃです。これで皇室の権威は保てるのでしょうか?

いま、一般国民で天皇と男系の血筋がつながる人はたくさんいるが、全員赤の他人レベル。

この話の一番の衝撃は、こんなに血統が遠いのに当人の一部は『特別な人』とマジで思っているところです。

no image person
この人とわれわれは同じ一般国民だよ?なにも変わらないんだよ?

とインターネットTV番組で言われて

No Image Person
たしかに、みなさんと同じ一般国民です。でも血統がちがう

とサラッと言って、一瞬、その場の空気を凍らせました。

(みのもんたのフリーズした顔がちょっとおもしろかった。)

この考え方はとても危険。

ほんの少しでもいい血統が入っていれば無条件に人間の格が上がるというのは、レイシズム(差別主義)です。

ヨーロッパではナチスと同じだとみられる。ナチスはアーリア人の血が濃いからゲルマン人が優秀で、ユダヤ人はそうじゃないからダメって言ってましたからね?

差別どころか残忍な虐殺まで起きています。

そこで凍りついた人が正常な反応です。『旧宮家家系の皇籍取得』をいう人はそれに気づいていません。

(じっさい、番組で『うん。うん。もちろんでしょ?なにか?』と納得していた人もいたようです。)

正直、この話で議論とか話し合いしてる場合じゃないです。別のところから彼らを説得しないといけません。

欧米人に日本人が差別されてしまう。

とんでもないレイシストが平気な顔してベラベラしゃべってる!

それに日本人は賛同している!

こう思われたらTHE・END。

みなさん、この話がメディアで流れたら、まわりの欧米人には見えない聞こえないようにしましょう。

ともだちだったら、両手いっぱい使って目と耳をふさぎましょう。

ほんとうにヤバいことをいう人がいるので。

追記。天皇制はそもそも差別主義じゃないのか?

それなら天皇の存在自体、レイシズム(差別主義)じゃないか? と疑問に思う人もいるでしょう。

答えは Yes。

皇室は前近代的で身分が社会のシステムに組み込まれてる時代からあるもの。近代国家とは相性がよくありません。

でも、近代化の中でどうやって王を残すのかとやりくりしてきた先頭がイギリス王室で、ヨーロッパ各国はそれを参考にしました。

日本の象徴天皇も同じ。

前近代的な王を残すための妥協案がオープン化

イギリスが前近代的な王室を近代化に合わせるために編み出したのがオープン化。

国民に王室の中身を見せましょう。そしてある程度の批判も引き受けましょう。その代わり国民は、王室は親、子、孫と目の前にいるファミリーの血統で続けることを許しましょうになりました。

だからヨーロッパの王室は近年、継承の順位を長子優先に変えたし女王がどんどん出てくるようになってます。

じっさい、今の英国王室はエリザベス女王だし。

王の血が入ってるからと言って、どこのだれだか分からない人は認めないということ。

だって国民は目の前に見える人の血統を許してるんだから、約束がちがうってなる。

日本の皇室もだいぶ変わってる

日本の皇室も国民に寄り添うかたちでオープン化されてます。今の上皇・美智子上皇后陛下が全人生をかけてやってこられたこと。

昭和天皇は前近代の名残がある人だったので一気に変わることはありませんでしたが、上皇陛下は近代の皇室とはなんぞや? と考えて新しい天皇像を作られてきました。

その点から見ても男系男子の継承はありえない。今目の前にいる皇室の方々でできるならいいけど。

ボクは、遠い血統の男系男子の継承は、近代国家とは絶対に相容れない前近代の因習を残すことになると思ってる。

そんなことしたら余計に皇室は滅びる。

だって共産党とかがいきなり、『訳の分からない男(やその子)がいきなりやってきて次の天皇と言われても認めようがない。今まで長年、目の前にいたファミリーは消えるんでしょ?』と言ったら、正論すぎて反論できない。

反論なんて必要ないとか言いそうですが、それこそ皇室は滅びる。

皇室の方々は国民に寄り添い、国民はそれによって得られる安心感が、皇室と国民の相互信頼の源だから。

上皇・上皇后両陛下が天皇・皇后時代に、阪神淡路大震災の被災地を訪れたとき、天皇陛下は体育館の床に膝を付いて被災者に話しかけた。

こんなこと昭和天皇まではありえない。昭和天皇は良くも悪くも国民とのコミュニケーションは上から目線だったから。

(これが皇族と国民の接し方としては普通。)

またこのときの皇后は、体育館に入るときに用意されたスリッパを履くのを拒否した。

被災者が靴下でいるのに自分ではできないと。

さらに、被災者の幼子が皇后に抱きついたときに膝の上に抱っこもしている。

こんなこと天地がひっくり返るような出来事。

今まで、抱っこしてもらうなんてなかったし、抱きつこうとした時点で止められる。

(なんなら、はっ倒されても何も言えない。かつては。)

それぐらい、日本の皇室も変わっている。

この映像はたまに出てくるので見てると面白い。

両陛下のお付きの人の慌てふためくリアクションとか、抱きついた子供の親のビビリ具合がいかに前代未聞かを物語ってる。

大正天皇、昭和天皇だって大きく変わってる

上皇陛下からいきなり変わったわけでもありません。皇位継承に関係してるところでは、大正天皇は側室をもちませんでした。

病弱で女の子ばかりが生まれてたので、周りから側室を持ってくださいと頼まれたのに拒否。

(結果的に昭和天皇を含め4人の男子が生まれたが。)

昭和天皇は宮中の女官の制度改革をしました。それまでは独身で若い女性が住み込みで働く条件だったのを、29才定年制の廃止、既婚女性だけを採用、自宅からの通勤と大きく変えます。

実は昭和になっても、宮中では大奥のようなものがありました。表向き宮中のお世話係の女官は、もうひとつ天皇・皇太子の側室候補の顔ももっていました。

昭和天皇のやったことは側室制度の廃止。ここまでやったのは歴代天皇でも昭和天皇しかいません。

昭和天皇が事実上、男系男子の継承を壊している

これも十分、伝統の破壊ですよね? でも昭和天皇を責める人はいないし納得しない国民もいないでしょう。

むしろ先進的です。あのころは愛人がいても何とも無いし、ゲスなんて考えもしない時代だったから。

男系男子の継承は側室制度とセットじゃないと成立しません。歴代天皇の約半分は側室の子。明治・大正天皇だって側室の子です。

側室制度を昭和天皇が止めた時点で、男系男子の継承も終わってました。

そういう意味では、皇位継承問題は100年近く前からあって日本人はだれも解決しようとしなかったということになります。

それなのに、男系男子にこだわる人ってなんなんだろう。『滅亡に向かうこそ正義』『滅亡してこそ幸せ』を言い続けてきたんだから。

それに納得する政府・政治家もわからん。というかやべーよ。国を動かす人が『滅亡に向かって走れ!』と言ってるんだから。

日本も血統の距離は関係ないなんて一度も言ったことはない。

ちなみに日本の皇室も、古代から親、子、孫...と目の前に見えるファミリーで受け継ぐのが伝統です。

古代は天皇の子や孫、かつての天皇の子孫の王はたくさんいたのに女帝が多かった時代。

それらの王はそれなりにチヤホヤされてましたが、皇室とは明確に区別されてました。

天皇の孫くらいは天皇になれる可能性が十分ありましたが、かつての天皇の子孫は純粋な民間人だし周りもそう扱ってきました。

男系男子が伝統ならなんであのとき女帝が出たの? って疑問になんで答えないんだろう。男系男子にこだわる人は。

律令政治になると皇族の序列は露骨に出る。

日本の律令政治は皇親政治で、皇族はイコール政治家・官僚だったので、そのときの天皇に近い皇族たちが政権の中枢に入った。

天皇の子孫でも現在の天皇とは距離のある王は政治家・官僚のポストも低い。官位を与えられず無職の人すらいた。

政権中枢の皇子も天皇になれる確約はなく、むしろ、天皇・皇太子を支える臣下の意味合いが強い。

天皇の血筋の男子でさえあれば天皇・皇族になれるなんて考えは日本の歴史では一切ない。

今目の前にいる天皇の家族であることが大事。もちろん男女の区別はない。

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天皇の皇位継承の解決策は既にある。あとは選ぶだけだ!
天皇の男系男子の継承は伝統じゃない!
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【連載】日本から天皇がいなくなる日 Vol.4

天皇・皇室の本

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『天皇について基本的なことを知りたい』『過去の天皇の人物像を知りたい』という人におすすめの本を選びました。

内容がかんたんで頭に入りやすく、でも内容が薄いわけではありません。むしろ濃いくらいです。

日本人なら知っていてほしい天皇・皇室の基礎知識だけでなく、外国の人に説明できるくらいの知識が身につきます。

文章が苦手な人にはマンガ本もあります。

コメント

  1. 藤井 より:

    何も知らない馬鹿が公害ブログ作るな
    塵屑が塵屑ばら撒くなよ

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