太上天皇(上皇)と太上法皇(法皇)の違いは?意味は?

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上皇は皇位を次に譲った天皇の尊号で、出家した上皇が法皇です。

生前に皇位を譲る(譲位)ことがあったため、天皇に代わる尊称として生まれました。

2019年5月1日に、250年ぶりに上皇陛下がおられることになったので、身近に感じるでしょう。

「譲位」が現れたので太上天皇(上皇)が必要になった

皇位を譲位した元・天皇は、『天皇』を名乗れません。そこで出てきたのが『太上天皇』(だいじょうてんのう)という尊号です。

譲位(じょうい)

天皇が生前に退位して次の天皇を即位させること。退位した天皇は上皇になる。

第35代 皇極天皇が乙巳の変(いっしのへん)の責任をとっておこなったことから始まる。

はじめは天皇の目の前で暗殺事件がおきるというアクシデントだった。

大宝律令で制度化され天皇の終わり方の常識になる。最初に制度化された譲位をしたのは第41代 持統天皇。

持統天皇から今上天皇まで80代の天皇がいるがそのうち60代は譲位。

(制度化されてから2/3が譲位)

なかには亡くなっているのをかくして、譲位をしてから崩御を公表する『譲位したことにする』天皇もいた。

それだけ譲位が天皇の終わり方の『あたりまえ』だったことが分かる。

譲位の理由はいろいろ

次世代が育つ
そのときの権力者の都合。
自分の娘を皇太子に嫁がせているので早く天皇にしたいとか。
権力闘争に利用される。
病気
仏教徒になりたい
幕府に抗議するため
そのた天皇の意思
理由なし。
あたりまえだと思っていた

-> くわしくは太上天皇とは?で

太上は『もっともすぐれた人、至上、最上』という意味です。『スーパー』と同じようなものです。

一般的には略して『上皇』(じょうこう)と呼ばれます。

天皇は日本で最高位にいます。それを経験して天皇を譲っているので、さらにその上を行く

スーパー天皇 = 上皇

になります。

これまでの上皇は、会社の社長より偉い『会長』のようなものでした。天皇よりも影響力があった人はたくさんいます。

しかし、これからの上皇は会社の『顧問』のようなかたちになります。あくまで天皇が『最高位』です。

2019年5月1日から、上皇はショートカットではなく正式名称です。

上皇陛下・上皇后陛下といいます。

上皇后(じょうこうごう)は新しくつくられたもので、太上天皇・皇太后(こうたいごう)といういい方はしません。

なぜショートカットを正式名称にするのか、なぜ上皇后という新しい名称をつくるのか納得できない部分はあります。でもちゃんとした説明をする人がいません。

太上天皇・皇太后がダメな理由がわかりません。

まちがっても『平成天○』と言ってはいけません。理由はこちらにまとめました。

上皇は女帝(持統上皇)から始まる

『天皇』『大上天皇』(上皇)という呼び方は、702年に制定された大宝律令で制度化されました。

日本の歴史上、最初の上皇は女帝の第41代 持統天皇(じとう)です。

上皇といえば院政を思い浮かべるので、歴代天皇で最初の上皇が女性というのは意外に思うかもしれません。

しかし、そもそも譲位というものを最初に行ったのも女帝の第35代 皇極天皇(こうぎょく)です。

大宝律令(たいほうりつりょう)

702年に制定された日本で最初の律令。律は刑法。令は行政法や民法など。

持統上皇・文武天皇時代に完成した。

令には、官位や皇族のルールなどもある。

『天皇』『皇太子』『太上天皇(上皇)』をはじめて制度化した。

令は、近江令(おうみりょう)やそれを改良した飛鳥浄御原令(あすかきよみはらりょう)をもとにつくられたといわれ、大宝律令は、これに律を追加したともいわれる。

律令(りつりょう)

律(りつ。刑法)と令(りょう。民法、行政法)からなる憲法みたいなもの。

7世紀の当時、世界の先進国の1つだった中国から伝わる。

日本は世界の先進国の仲間入りを目指して導入し始めていた。

律令で統治された国家を律令国家、その政治システムを律令制という。

譲位の歴史は古い

皇極天皇が譲位をしたきっかけは乙巳の変(いっしのへん)です。

暗殺を実行した中大兄皇子(なか の おおえのみこ)は皇太子だったので、皇極天皇が責任を取って退位しました。

乙巳の変(いっしのへん)

645年、第35代 皇極天皇(こうぎょく)の目の前で、息子で皇太子の中大兄皇子(なか の おおえ の みこ)が蘇我入鹿(そがの いるか)を殺害した事件。

これで蘇我氏は一気に衰退する。

これをきっかけに、天皇中心の国家建設を目指す政治運動が始まる。

大化の改新(たいかのかいしん)

律令(りつりょう)

律(りつ。刑法)と令(りょう。民法、行政法)からなる憲法みたいなもの。

7世紀の当時、世界の先進国の1つだった中国から伝わる。

日本は世界の先進国の仲間入りを目指して導入し始めていた。

律令で統治された国家を律令国家、その政治システムを律令制という。

このときは制度があったわけではなく、想定していない突発的なアクシデントでした。

急だったので太上天皇という制度もありません。『皇祖母尊(すめみおやのみこと)』という尊号を使っていました。『偉大な天皇の母』のような感じです。

歴代天皇で最初の上皇は持統天皇ですが、事実上の最初の上皇は皇極天皇です。ただしアクシデントですが。

持統天皇は2番目に譲位をした天皇で、皇極天皇の孫で中大兄皇子の娘です。

持統天皇の時代は、飛鳥浄御原令(あすかきよみはらりょう)を発展させた大宝律令(たいほうりつりょう)が完成間近でした。

この大宝律令で譲位を制度化します。

大宝律令では、譲位という天皇の終わり方を制度化しました。

そのとき

天皇を退位した人をどうするか?

になったので、上皇ができました。

上皇を作ろうとしたのではありません。天皇の終わり方を決めたら必要になっただけです。

史上初の上皇を皇極天皇か持統天皇かどちらにしても、最初の上皇は女帝です。

皇室の歴史のあたりまえは、女帝が始めたことが多いことはあまり知られていません。

上皇と日本国家は誕生日が一緒

持統上皇のとき、整備されたのは太上天皇だけではありません。国号も『倭(わ。やまと)』から『日本』に変えました。

ここから日本の歴史がはじまります。日本という国を動かすためにいろいろなものが大宝律令で整備されました。

そのなかで皇室のありかたも決めます。

大宝律令の皇室改革

天皇の埋葬土葬から火葬に
天皇の葬式盛大な殯(もがり)の儀式をやめて、簡単な葬式に
天皇の陵墓大きなものをつくるのをやめる。
完全に古墳の消滅。
譲位譲位をシステム化。
天皇の終わり方の常識にする。

太上天皇の制度化以外にもこれだけの皇室改革をしました。

すべて天皇のカリスマ性の否定です。

これまでは、皇族同士の争いや権力をもった豪族をまとめる必要があったので天皇に力を集中させる必要がありました。

葬式を壮大にしたり、陵墓を大きくするのは、カリスマ性の誇示です。

死ぬまで天皇でなければならないのも、カリスマがふたりいると混乱しますからね?

それを日本という国に変えたタイミングでやめました。大宝律令という最高法規が完成したので、天皇のカリスマ性はいらないと判断したのでしょう。

持統上皇は、父・天智天皇が身内、仲間を殺すところを見ていたでしょうし、兄・大友皇子と叔父で夫の大海人皇子が対立した壬申の乱を経験しました。

壬申の乱(じんしんのらん)

天智天皇の弟・大海人皇子(おおあま の みこ)と息子・大友皇子(おおとも の みこ)のだれが天皇になるのかの争い。

古代最大の内乱。

両軍ともに皇位継承権のある皇族が大将になり指揮した戦で国を2分した。日本の歴史上、ここまで国を分けた戦いはない。

大海人皇子は皇太弟、大友皇子は太政大臣だった。

天智天皇は大海人皇子を指名したが、皇子が断って吉野(和歌山)に引っ込んだことが原因。

672年(天武元)7月24日、大海人皇子は、大友皇子に反乱の罪をきせられると思い、先手を打って挙兵、勝利して第40代 天武天皇になる。

どっちが裏切ったのか、正義があるのかは意見が分かれる。

古代の資料は日本書紀・古事記からだが、天武天皇が号令をかけて作られたので、大海人皇子に都合の悪いものは書けなかったともいわれる。

(ここに書いた内容も日本書紀から。)

大友皇子は、歴代天皇に入ってなかったが、明治3年、明治天皇が『弘文天皇』という諡をおくって歴代天皇に加わった。

いまは、どっちがよかった、悪かったという評価ができるほど事実が分かっていない。

その悲惨さから、だれが天皇になるのかの権力闘争をなくして安定させたかったのでしょう。

王朝交代が起きず皇室は安定した

ここがほかの国の皇帝とちがいます。外国の皇帝はずっとカリスマを守ろうとしました。

だからカリスマがなくなると、べつの人にとって替わって王朝交代がおきます。中国は王朝交代のくり返しですよね?

でも日本は天皇が自分から放棄しました。カリスマがないので、とって替わろうという野心家が出なかったんですね?

『象徴天皇』に言葉を変えてもいいかもしれません。

象徴天皇は本来の天皇の姿

です。象徴天皇は1945年の敗戦からと思っている人が多いでしょうが、1000年以上も前にすでになっていました。

その典型が譲位です。ここから80代の天皇のうち譲位したのは60代です。譲位がふつうで、亡くなるまで天皇でいることがアクシデントでした。

亡くなったことをかくして、譲位してから亡くなったことにした『ダマし譲位』をした天皇もいます。

生前退位ならぬ死後退位ですね?

太上法皇(法皇)とは何か?

太上法皇』(だいじょうほうおう)は出家した上皇の尊称です。一般的には略して『法皇』(ほうおう)といいます。

天皇は、日本古来の神道の祭祀を司る祭祀王で神道の代表者です。出家すると仏教に帰依することになるので、天皇の在位中に出家することができなかったのでしょう。

しかし、上皇は出家するようになって、法皇になる人があたりまえになります。上皇という立場は天皇よりは自由だったのでしょう。

最初の法皇は平安時代の宇多天皇

歴代天皇で最初に法皇になったのは、平安時代の第59代 宇多天皇(うだ)です。

宇多天皇は民間人を経験した珍しい天皇です。こういう人だったからこそ新しいことができたのでしょう。

今のところ、江戸時代の第112代 霊元天皇(れいげん)が出家して最後の法皇になっています。

もしいまの上皇陛下が出家したら、約280年ぶりに法皇が誕生するかもしれません。

〇〇院と呼ぶのはなぜか?

上皇や法皇の住まい(御所)のことを『』(いん)と言います。

そこから上皇のことを〇〇院と呼ぶようになります。〇〇は天皇・上皇の(おくりな)だったり、住まいの地域名だったりします。

後鳥羽院(ごとば)は諡で、讃岐院(さぬき)は崇徳院の別称です。島流しされた場所が讃岐だったのでそう呼ばれます。

皇族の名前を呼ぶときは、名前ではなく住んでる場所を使うことがあります。例えば、皇太子のことを『東宮』(とうぐう)と呼ぶこともあります。

東宮は皇太子の住まいのことです。いまでも東宮御所といいますよね?

天皇・皇室の本
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『天皇について基本的なことを知りたい』『過去の天皇の人物像を知りたい』という人におすすめの本を選びました。

内容がかんたんで頭に入りやすく、でも内容が薄いわけではありません。むしろ濃いくらいです。

日本人なら知っていてほしい天皇・皇室の基礎知識だけでなく、外国の人に説明できるくらいの知識が身につきます。

文章が苦手な人にはマンガ本もあります。


天皇の本10選

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