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第31代 用明天皇。蘇我 vs 物部の抗争のバランスを取ろうとするが事態は激化

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歴代天皇 - 存在は確認されるが本当のことは分からない天皇たち -

用明天皇(ようめい)は知らない人が多いでしょう。在位期間が3年なのであたりまえです。

でも、こう言ったらグッと近くの存在になります。『聖徳太子の父』。

聖徳太子は仏教を大事にしたことで有名ですが、用明天皇は初めて仏教を宗教として取り入れた天皇です。その影響でしょう。

先史・古代 古墳時代

  • 皇居
  • 磐余池辺雙槻宮
    (いわれいけのべのなみつきのみや)

  • 生没年
  • 539年 ~ 587年4月9日
    欽明天皇元 ~ 用明天皇2
    48才
  • 在位
  • 585年9月5日 ~ 587年4月9日
    敏達天皇14 ~ 用明天皇2
    3年
  • 名前
  • 大兄
    (おおえ)
  • 別名
  • 橘豊日尊
    (たちばな の とよひ の みこと)

    池辺
    (いけべ)

  • 蘇我堅塩媛
    (そが の きたしひめ)

    蘇我稲目の娘
    (そが の いなめ)

  • 皇后
  • 穴穂部間人皇女
    (あなほべ の はしひと の ひめみこ)

敏達体制を継承する

用明天皇は、先々代・欽明天皇の第4皇子で先代・敏達天皇の腹ちがいの弟です。体制もそのまま引き継ぎました。

大連物部守屋(もののべ の もりや)
大臣蘇我馬子(そが の うまこ)

用明天皇は物部と蘇我のどちらかに肩入れせず、両方のバランスを考えながら政治を見ました。

ただ、天皇自身は仏教を信奉し神道も大事にしました。歴代天皇の中で宗教として仏教を取り入れた最初の天皇です。

宗教の仏教を天皇がはじめて取り入れた。

用明天皇の即位は蘇我馬子のねじ込み?

用明天皇は、蘇我氏がむりやりねじ込んだ天皇です。

30-33 emperor image
宮内庁HPより抜粋 一部筆者加工

系図にあるように、敏達天皇は蘇我系以外からも皇后を迎えています。後継者になるはずの押坂彦人大兄皇子は蘇我氏とは無関係。これが原因で即位できませんでした。

用明天皇の母は馬子の妹なので馬子の甥っ子になります。最初の蘇我系天皇です。

蘇我氏の準備は用意周到でした。欽明天皇の妻の派閥抗争を避けるため、それぞれの皇子に別の蘇我系皇女を嫁がせます。

敏達天皇(母・石姫皇女)額田部皇女(推古天皇。母・蘇我堅塩媛)
用明天皇(母・蘇我堅塩媛)穴穂部間人皇女(母・蘇我小姉君)

ただ完ぺきではありませんでした。小姉君の皇子には妃を迎えていません。

そして、そこから用明天皇の即位に不満をもつ皇子が現れます。穴穂部皇子(あなほべ の みこ)です。

トラブルメーカー・穴穂部皇子

たまにいますよね? 何をしているのか分からない正体不明の親戚のおじさん。しかも、正体不明の割には異常に人にマウントしたがる嫌われ者が。

このときの皇子にもいました。穴穂部皇子です。

敏達天皇が亡くなったとき、

穴穂部皇子
古墳時代の人
死んでる王に仕えるのに、なんで生きてる王(自分のこと)には仕えないんだ!

と意味不明に怒ってます。

人の声
No Image Person
あんたの人望がないからです。

以外ないのですが、穴穂部皇子には通じません。

分かりやすい悪人・ 穴穂部皇子

家族から嫌われていた人がやることはひとつです。

自分をのけ者にする人の敵に近づく。

分かりやすい、2時間ドラマに出てきてすぐに殺されるクズ人間みたいな行動です。

穴穂部皇子も同じでした。そして近づいた相手は、蘇我馬子の永遠のライバル・物部守屋。

そしてこの皇子、天皇になるために強硬手段に出ます。その方法は、今の時代では極悪非道の犯罪。

悪い皇子の餌食になったのは推古天皇

皇子は、敏達天皇の皇后だった未亡人・額田部皇女(のちの推古天皇)を、レイプしてむりやり妻にして、そのまま即位しようと皇后の家を襲撃します。

(額田部は穴穂部の母違いの姉。)

しかしこれは、敏達天皇の忠実な部下だった三輪君逆(みわのきみさかう)が防ぎました。

今の感覚で見ると信じられないが、当時はそれほど絶対にやってはいけないことではない。良いことでもないが。

ここで、穴穂部皇子の真骨頂が出ます。皇子は物部守屋に命令して三輪君逆を殺してしまいます。

こうして、蘇我氏 vs 物部氏の抗争をさらに盛り上げました。

用明2年、用明天皇は病気を理由に仏教徒になりたいと臣下に相談します。これが蘇我 vs 物部の抗争を激化させました。

守屋を守ろうとした中臣勝海(なかとみ の かつみ。姓は連)が馬子に殺される事件まで発生します。

そんな中、用明天皇は亡くなりました。

用明天皇は厩戸皇子(うまやど の みこ。聖徳太子)の父

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第32代 崇峻天皇。蘇我氏と対立して暗殺される。蘇我系天皇なのに反蘇我だった?
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