LINEで送る
B! はてぶでブックマーク
Pocketでブックマーク
RSSフィード

大相撲の女人禁制と天皇の男系男子継承は根が同じ

菊紋 image

連載
日本から天皇がいなくなる日 Vol.6

天皇の男系男子継承の伝統は、大相撲の『女人禁制』の伝統とよく似ています。伝統になったのは明治になってから、近代に入ってからの新しい習わしということです。

じつは伝統ではなく因習だったという点でも共通しています。

大相撲の”女人禁制”は伝統ではなく”因習”

大相撲の巡業で、舞鶴市の市長が土俵上で倒れたことをきっかけに、女性が土俵に上がってはいけない『女人禁制』の伝統について話題になっています。

海外では『女性蔑視』の思想として批判的なコメントが目立ちます。

国内では『男尊女卑ではない』とコメントを出す人がたくさんいます。しかし、大相撲の『女人禁制』はまちがいなく『男尊女卑』です。

ここではかんたんに説明します。

相撲で祀っているのは女神だから、女性が土俵に上がると女神が嫉妬して怒ってしまう

それらしい理由ですが、これは『男尊女卑』の正当性をもたせるための方便です。

この伝統は明治の近代化の中で『確立』しました。これは天皇の男系男子に限定した皇位継承の伝統も同じです。

天皇の伝統と相撲の伝統の類似性

天皇と相撲の伝統はとても似ています。女性が排除された時期が同じで、それより前は排除されていなかったことです。

大昔から女性が排除されていて、それが日本人の宗教観としてあって、日本人に理解されつづけたなら、伝統としてもよいですがじっさいはちがいます。

天皇の男系男子の継承や相撲の女人禁制は、伝統ではなく『因習』のほうがしっくりくるでしょう。

相撲の土俵から女性を排除したのは明治から

『女性は土俵に上がれない』は新しい因習

明治より前、近代以前は女相撲は確実にありました。女性が上半身裸で相撲を取っていたくらいです。

これはこれでどうかと思いますが、少なくとも土俵から女性を排除していません。

日本の最古の歴史書である『日本書紀』でも女相撲の記述があります。

古事記と日本書紀(こじき。にほんしょき)

第40代 天武天皇が号令をかけて作った国家の歴史書。ふたつあわせて記紀(きき)いう。

それ以前の歴史書は、焼失や理由の分からない消失でいまは存在しない。

国記と天皇記

第33代 推古天皇のとき、聖徳太子蘇我馬子(そが の うまこ)が編集長になって作ったと言われる。

国記
(こっき)
国家の歴史書
天皇記天皇の系譜

天武天皇の息子・川島皇子(かわしま の みこ)、忍壁皇子(おさかべ の みこ)が編集長になり作業をはじめた。

そのときにまとめたのが帝紀と旧辞と言われる。

帝紀と旧辞

帝紀
(ていき)
天皇の系譜、功績をまとめたもの。
旧辞
(きゅうじ)
各氏族の系譜をまとめたもの。
氏族や民など、いろいろな人々に伝わる伝承をまとめた。
日本書紀に出てくる『上古諸事』は旧辞を指すとも。

帝紀と旧辞は一体だったとも言われはっきりせず、ふたつとも現存しない。

当時、重要な情報は覚えて口伝えする職業(誦習者。しょうしゅうしゃ)があり、稗田阿礼(ひえだ の あれい)が帝紀・旧辞を覚えた。

帝紀と旧辞が古事記と日本書紀の基本資料になり、飛鳥時代以前の歴史は、古事記、日本書紀にたよる。

古事記(こじき。ふことふみ)

帝紀・旧辞を稗田阿礼に誦習させたが、天武天皇が亡くなると作業が中断した。

712年(和銅5)、第43代 元明天皇のとき、太安万侶(おお の やすまろ)が阿礼の記憶、帝紀・旧辞から文字起こしして書物にまとめたのが古事記。

20年以上の中断があり完成に30年以上かかった。

(阿礼は、帝紀・旧辞だけでなく、無くなっていた数々の歴史書も覚えていた暗記の天才と言われる。)

日本書紀(にほんしょき)

完成は古事記よりもおそく、720年(養老4)、第44代 元正天皇のころに完成。

中断していたのか?たんに時間がかかったのか? 完成までの経緯はよく分かっていない。

天武天皇の息子・舎人皇子(とねり の みこ)が編集長。

古事記倭語を漢字にあてた。
『夜露死苦』(よろしく)みたいに。

国内向け。
国家統一に利用するためか?
日本書紀漢字で書かれた。
(中国人でも読める。)

国外向け。
世界に日本をアピールするために利用か?

雄略天皇の時代。天皇が優秀な職人に『失敗はしないのか?』と質問されました。

その職人は『失敗しません』と答えます。

そこで崇峻天皇は女性をふんどし姿にさせて相撲を取らせました。

すると職人はその女性の裸姿に気を取られ失敗してしまいました。

日本書紀

Doctor-Xならぬ、スケベーのShokunin-Xみたいな話です。雄略天皇は古墳時代の天皇で、聖徳太子の時代のもっと前です。それくらい前から女相撲はあります。

明治政府はこれを問題視しました。女性がおっぱい丸出しで相撲を取るのは、野蛮で文明国としてふさわしくないと思ったからです。

そこで

相撲で祀っているカミは女神だから、女性が土俵に上がると女神が嫉妬して怒ってしまう

という物語を、元々あったのか作ったのか分かりませんが、女性を土俵に上げない理由に利用したのでしょう。

日本には『女人禁制』、『男人禁制』の伝統はある?

この理由を考えた人はとても優秀だと思います。

女神を祀る祭祀の行事は男性に限る

という習わしは、まったく何もないところから出てきたわけではないからです。

日本のいろいろな女人禁制

世界遺産にも認定されてる福岡県の沖ノ島にある沖津宮には、宗像三女伸の1柱が祀られていて、いまでも島全体が女人禁制です。

また、富士山にある浅間神社に祀られているのも女神で、瓊瓊杵尊(ににぎ の みこと)の妻・木花之佐久夜毘売(このはな の さくやびめ)です。かつては富士山の2合目から上は女人禁制でした。

木花之佐久夜毘売は、海幸彦山幸彦の母親です。

もともとあったものから、相撲の『女人禁制』という新しい伝統に利用したというのが本当のところではないでしょうか?

ちなみに、沖ノ島の『女人禁制』と男尊女卑、女性蔑視との関係はわかりません。

逆に沖縄には、女性しか祭祀に参加できないものがあって、『男人禁制』の区域もあります。

このように、日本には多くの『女人禁制』『男人禁制』があります。因習もあれば伝統もあるかもしれません。

沖縄はもともと日本とは別の国だから関係ない

という反論が聞こえてきそうですが、沖縄の風習は本土で忘れられた古代の日本とむしろ近いと言われます。

言語学でも古代の日本人の言葉の名残は、日本の北と南の地域に多く存在するともいいます。

天皇の男系男子の継承も『男尊女卑』『女性蔑視』から来ている

相撲の女人禁制の伝統がつくられた明治時代、大日本帝国憲法を制定すると同時に、天皇の皇位継承を制度化するため、皇室典範について議論していました。

皇室典範(こうしつてんぱん)

明治22年、大日本帝国憲法と同時につくられた皇室のルールを定めた典範。

憲法の下の法律ではなく、憲法と同格のものとしてつくられた。

これを典憲体制(てんけんたいせい)という。

1947年(昭和22)、日本国憲法の発布にあわせて、いち法律として格下げされる。

明治の典範は国会・内閣に典範を改正する権限はなく皇族がもっていた。

戦後、いち法律になったことで国会と内閣に改正する権限が移る。皇族会議はあるが最終決定権は皇族にない。

皇位継承についても皇族はタッチできないので、自分の家について意見は言えるが何もできないという問題点がある。

このとき、天皇の男系男子に皇位継承を限定することに

なぜ、女帝・女系を排除するのか?

という意見がありました。

伊藤博文(いとう ひろぶみ)は男系男子を優先するという姿勢でしたが、女系・女子を排除していません。

過去をさかのぼれば女帝がいたし、女帝、女系を排除しない法典、養老律令継嗣令があったからです。伊藤はそれを知っていたのかも。

大宝律令と養老律令

古代の近代化(律令国家をめざす)の基礎になる法典。憲法みたいなもの。

近江令(おうみりょう)、飛鳥浄御原令(あすかきよみはらりょう)は自分たちで作ったが、大宝律令は中国の丸コピーだった。

律令は、律(りつ。刑法)と令(りょう。民法、行政法)からなる。

大宝律令(たいほうりつりょう)

701年(大宝元)撰定、702年(大宝2)施行。

中国のを丸コピーして日本に必要なものだけを選んだので1年で完成させた。

第42代 文武天皇の時代。

(じっさいは持統上皇が行なった。)

大宝律令は飛鳥浄御原令の失敗から『とりあえずパクった』もの。

養老律令(ようろうりつりょう)

718年(養老2)撰定、757年(天平宝字元)施行。

大宝律令の改訂版。

突貫工事でつくった大宝律令は中国のコピーなので、日本に合わないことがあった。

養老律令では、日本に合うように修正。(オリジナルの追加・変更)

撰定は第44代 元正天皇、施行は第46代 孝謙天皇。どちらも女帝。

天皇の皇位継承のルールを定めた継嗣令(けいしりょう)もある。

養老律令は『パクっただけだとなんか合わない。改良しよ!』になったもの。

養老律令 = 大宝律令 + 飛鳥浄御原令 + さらに改良

撰定から施行まで40年もかかっている。

オリジナルを作るのに苦労したのか? あいだの第45代 聖武天皇がサボったのか? よくわからない。

女帝のほうが憲法の大切さを分かっていて国作りに熱心だったのかも。

(大宝律令の持統上皇も女帝。)

(聖武天皇は仏教マニアで国作りに興味なし。)

この議論を終わらせたのは『男尊女卑、女性蔑視』でした。

井上毅(いのうえ こわし)などの主張が採用されました。

明治の人
女性は男性よりも政務の能力が劣る。
明治の人
日本の社会通念として『男性上位』の考えがある以上、国民の賛同を得られない。

これはまったくの『男尊女卑』です。当時はそれがあたりまえでした。

井上毅の名誉のために。

男系男子にこだわる理由は『男尊女卑』だけではありません。長くなるのでここで割愛します。

日本はもともと『女性』が上位にいることが自然の社会

古代の日本は、女性が男性の上位にいることが自然の社会でした。

  • 女王・卑弥呼・その後継者・台与(とよ)
  • 応神天皇の母・神功皇后
  • 飛鳥・奈良時代の半分は女帝
  • etc...

古代の日本には、女性がエネルギッシュに活動したエピソードがたくさんあります。むしろ男性よりも積極的で好戦的だった面もあります。

日本の伝統は男の血筋にとらわれない、男系男子にこだわらない

が本来の姿です。

日本の伝統に男尊女卑はない。むしろ女性上位の時代もある。

前のページ
天皇の男系男子の継承は伝統じゃない!
天皇の男系男子継承の伝統はいつ始まったのか?
次のページ

天皇・皇室の本

post-cta-image

『天皇について基本的なことを知りたい』『過去の天皇の人物像を知りたい』という人におすすめの本を選びました。

内容がかんたんで頭に入りやすく、でも内容が薄いわけではありません。むしろ濃いくらいです。

日本人なら知っていてほしい天皇・皇室の基礎知識だけでなく、外国の人に説明できるくらいの知識が身につきます。

文章が苦手な人にはマンガ本もあります。


天皇の本10選

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください