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貴族の面目を保った村上源氏
平安時代が終わっても、たまに左大臣にまで出世する源氏はいましたが、藤原氏ほどではなくなっていました。
このまま没落してもおかしくないのをキープし続けたのが村上源氏。村上源氏は、『貴族の源氏 = 村上源氏』といっていいほど、藤原氏に次ぐナンバー2の座を守り続けます。
源氏の中で一番多くの太政大臣を出したのも村上源氏。(3人)
また、後醍醐天皇の側近で建武の新政を指揮した北畠親房(きたばたけ ちかふさ)や、その子孫で伊勢(いせ。三重)一帯で活躍した北畠氏も村上源氏です。
(親房は『神皇正統記』(じんのうしょうとうき)を書いた歴史家でもある。)
さらに、明治新政府の重鎮になった岩倉具視(いわくら ともみ)も村上源氏。村上源氏は、堂上源氏を一番多く出した家でもありました。
久我家(くが) |
中院家(なかのいん) |
六条家(ろくじょう) |
岩倉家(いわくら) |
千種家(ちぐさ) |
久世家(くぜ) |
東久世家(ひがしくぜ) |
梅渓家(うめたに) |
愛宕家(おたぎ) |
植松家(うえまつ) |
次は
真打ち登場。武士の源氏(清和源氏)
前は
フェードアウト後の第1期源氏
- P1 源氏だけじゃない天皇の子孫の氏族
- P2 源氏は何天皇の子孫?
- P3 第1期 左大臣を送り込む貴族の一大勢力
- P4 フェードアウト後の第1期源氏
- P5 貴族の面目を保った村上源氏
- P6 真打ち登場。武士の源氏(清和源氏)
- P7 河内源氏(かわちげんじ)って何だ?
- P8 源氏はヤンキー気質
- P9 フェードアウト後の第1期のつづき
- P10 第2期 幕府の都合で源氏になる