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源氏ってなんだ?どこから来たの?なぜ武家政権のトップであり続けたの?

武士 画像

ご覧のページは 5 / 10 です。先頭ページはこちら。

貴族の面目を保った村上源氏

平安時代が終わっても、たまに左大臣にまで出世する源氏はいましたが、藤原氏ほどではなくなっていました。

このまま没落してもおかしくないのをキープし続けたのが村上源氏。村上源氏は、『貴族の源氏 = 村上源氏』といっていいほど、藤原氏に次ぐナンバー2の座を守り続けます。

源氏の中で一番多くの太政大臣を出したのも村上源氏。(3人)

また、後醍醐天皇の側近で建武の新政を指揮した北畠親房(きたばたけ ちかふさ)や、その子孫で伊勢(いせ。三重)一帯で活躍した北畠氏も村上源氏です。

(親房は『神皇正統記』(じんのうしょうとうき)を書いた歴史家でもある。)

さらに、明治新政府の重鎮になった岩倉具視(いわくら ともみ)も村上源氏。村上源氏は、堂上源氏を一番多く出した家でもありました。

久我家(くが)
中院家(なかのいん)
六条家(ろくじょう)
岩倉家(いわくら)
千種家(ちぐさ)
久世家(くぜ)
東久世家(ひがしくぜ)
梅渓家(うめたに)
愛宕家(おたぎ)
植松家(うえまつ)
村上源氏の堂上家
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