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源氏ってなんだ?どこから来たの?なぜ武家政権のトップであり続けたの?

武士 画像

ご覧のページは 3 / 10 です。先頭ページはこちら。

第1期 左大臣を送り込む貴族の一大勢力

源氏の始まりは藤原氏に匹敵するほどの上流貴族です。嵯峨源氏から始まる初期の源氏は左大臣を何人も送り込みました。大納言は源氏のためのポストと言ってもいいほど。

当時は摂政関白はまだなく太政大臣も長い間不在でした。事実上・日本の政治のトップは左大臣でした。

太政大臣飛鳥時代の高市皇子(たけち の みこ)
以来、長い間不在。
左大臣常設の役職のトップ。
総理大臣みたいなもの。
右大臣副総理みたいなもの。
大納言重要閣僚みたいなもの。
中納言常設が廃止され令外官として復活。
重要閣僚みたいなもの。
参議令外官。
新人閣僚みたいなもの。
ここでキャリアを積んで政権トップに
出世していく。
当時の政治権力中枢

色付き文字の役職は令外官です。左大臣は常設の役職の一番上なのである意味責任が一番重い。

それだけ大事な役割だったのが源氏。

令外官(りょうげのかん)

律令制度の令(行政法)にない官位のこと。特別職。臨時職。

にある(令にない)位』。摂政関白太政大臣内大臣など。

正式な官位じゃないので比較的自由な立場で仕事ができた。また、正式な官位と兼務ができた。

第50代 桓武天皇は軍政改革で、征夷大将軍検非違使を新たに作った。

律令制は法が現実に合わなくなってもそのままにして、新しい法を追加して臨機応変に変えていくので、それにならって令外官も都度追加された。

ただ、正式な官位よりも重要なものも多い。

やばかった藤原氏の凋落

『平安は藤原の時代』というイメージがありますが、平安初期の貴族は源氏も中心にいました。当時の藤原氏は天皇家の親戚としても貴族としても信頼を失っていたから。

ここでは簡単に言います。平城上皇をそそのかしてクーデーターを計画したのは、藤原氏の中で主流派だった式家です。

そのクーデターを阻止したのが嵯峨天皇で、嵯峨源氏は信頼を失った藤原氏の穴を埋めるために作られました。

信頼を失った藤原氏は、天皇の皇后に娘を出すことさえできなくなりました。

落ち目の藤原氏を救ったのは源氏

そんな落ち目の藤原氏を復活させたのは藤原北家です。式家の没落のあと天皇家や源氏に協力して、藤原氏を着々と復活させてきました。

決定づけたのは藤原良房(ふじわら よしふさ)でしょう。

良房は人臣初の摂政になり人臣初の太政大臣になった超大物です。良房の後継者で息子の時代には関白もできました。

いわば良房は摂関政治の創始者。

この良房、前代未聞のことをします。天皇の娘を正妻に迎えました。当時、皇族の娘は皇族か天皇の子孫氏族に嫁ぐのが常識でした。

純粋な臣下に嫁がせると、天皇の娘を利用して成り上がろうとする氏族が出てくるから。

それを良房は、臣籍降下した嵯峨天皇の娘(源潔姫(みなもと の きよひめ))を娶るというウルトラCをかまします。

源氏は男だけというルールはありません。天皇の娘から始まる源氏もありました。

プチ皇親政治の要員のための源氏

嵯峨上皇がやりたかったのはプチ皇親政治です。平安時代より前の皇族は若いころに政治家デビューもしていたから皇親政治ができました。

しかし、平安時代に入ると、一応は各省庁のトップの役職などになっていましたが実務は貴族に任せてます。皇族は政治顧問みたいになっていました。

嵯峨上皇は政治の中心が貴族になったのを戻さずに皇親政治をするために源氏を作ります。そこまでは上皇の思うようにいい感じに進んでいました。

嵯峨上皇が死んでプチ皇親政治の源氏も死ぬ

第54代 仁明天皇のころは二人の上皇がいました。嵯峨上皇とその弟・淳和上皇(第53代 淳和天皇)。二人の上皇が840年、842年と立て続けに亡くなると一気に空気が変わります。

仁明天皇が一番信頼していたのは藤原良房(よしふさ)でした。あとになって摂関政治を始めたあの男。

その良房は自分の甥っ子を皇太子にするために皇太子クビ事件を起こします。(承和の変

ここでプチ皇親政治の終了。

プチ皇親政治のために作られた源氏は一有力貴族になってしまいました。プチ皇親政治はここで終わりますが、平安時代にちょくちょく出てくる天皇親政はその後継です。

源氏を衰退させたのは復活した藤原氏

復活した藤原氏は、摂政関白の娘を天皇の妻に送り込むようになり、源氏の力を頼らなくてもやっていけるくらいにV字回復します。

(その後も藤原氏と源氏と天皇家の婚姻関係はつづいた。)

そうなるとやってくるのがいつもの権力闘争。

摂関政治が始まってからは、徐々に源氏は政権中枢に人材を送り込めなくなっていきます。

平安時代は、摂関政治のときは藤原氏が中心になり、天皇親政のときは源氏が中心になりのくり返しです。

藤原道長のイメージが強すぎてずっと藤原氏の天下だったように見えますが、平安時代は藤原氏と源氏が入り乱れた時代でした。

1嵯峨源氏
(さが)
藤原氏と並ぶ政治家一門だったが
フェードアウト。

渡辺氏、松浦氏、蒲池氏など知る
人ぞ知る武士に残った程度。
2仁明源氏
(にんみょう)
同じく有力な政治家一門だったが
フェードアウト。

仁明源氏の中から平氏に枝分かれ
したのもいる。
仁明平氏

その後、目立った人は出ていない。
3文徳源氏
(もんとく)
同じく藤原氏と並ぶ政治家一門だ
ったがフェードアウト。

その後、目立った人は出ていない。
名門貴族の源氏(第1期)
次は フェードアウト後の第1期源氏
前は 源氏は何天皇の子孫?
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