歴代天皇 - 鎌倉幕府が認めないとなれなかった天皇たち -
四条天皇(しじょう)は、歴代天皇の中で一番マヌケな人です。言い方は悪いですがアホです。
『こんな最後の天皇がいるんだ』という意味で面白い天皇かもしれません。ただし、天皇としての功績は何もありません。
少年天皇で、男子特有のアホさでもあるんですが、そのアホさが致命傷でした。
中世 鎌倉時代
- 皇居
平安宮
(へいあんのみや)
- 生没年
- 1231年2月12日 ~ 1242年1月9日
寛喜3 ~ 仁治3
12才
- 在位
- 1232年10月4日 ~ 1242年1月9日
貞永元 ~ 仁治3
11年
- 名前
- 秀仁
(みつひと)
- 父
第76代 後堀河天皇
(ごほりかわ)
- 母
藤原竴子
(ふじわら そんし)藻壁門院
(そうへきもんいん)九条道家の娘
(くじょう みちいえ)
- 女御
九条彦子
(くじょう げんし)宣仁門院
(せんにんもんいん)九条教実の娘
(くじょう のりざね)
病弱な父親に代わって早くも即位
父の後堀河天皇が病弱だったため、生まれてすぐ皇太子になり、その翌年には即位します(2才)。
これには、はやく外祖父になってやりたい放題したかった九条道家の後押しがありました。
母が即位の翌年に亡くなり、父もさらに翌年に亡くなりました。4才で後見人がいなくなってしまいます。
頼れるのは、九条道家だけになってしまいました。ここから、朝廷の実権は九条道家と道家の義理の父の西園寺公経(さいおんじ きんつね)がにぎります。
西園寺公経は、鎌倉将軍と天皇の祖父・ひいおじいちゃんになった珍しい人。もっていた権力は規格外。
もちろん、幕府寄りのことを言う人だったので、また、自分の欲ばかりを追う人だったので、力はあるけれどかなり嫌われていた。
死にざまがダサい
ある日、宮中の人にいたずらしようと、御所の廊下に滑石(石鹸みたいな石)をまいたら、自分がその石で転んで、そのまま死んでしまいました。
いちおう事故死なのですが、あまりにあっけない終わり方です。
頭の方で『マヌケ』『アホ』と言ったのはこのためです。享年12才なので、満だと10才から11才。
まだまだ子供なので、『マヌケ』『アホ』の連呼は言い過ぎかも。子どもの不幸な事故死でした。