ツイート
シェア
LINEで送る
B! はてぶでブックマーク
Pocketでブックマーク
RSSフィード

平氏ってなんだ?どこから来たの?なんで有名な武士になれたの?

武士 画像

ご覧のページは 2 / 7 です。先頭ページはこちら。

平氏は何天皇の子孫?

そんな天皇の子孫の氏族・平氏は、平安時代の幕開けだった第50代 桓武天皇の孫から始まります。

桓武平氏(かんむへいし)と言います。

平氏は4人の天皇から始まり、すべて平安時代の初期から中期までの天皇から独立した氏族ですが、桓武平氏以外は歴史の表舞台に出てくるほどの活躍ができていません。

祖先の天皇
桓武平氏
(かんむ)
第50代 桓武天皇
仁明平氏
(にんみょう)
第54代 仁明天皇
桓武天皇の孫。
文徳平氏
(もんとく)
第55代 文徳天皇
仁明天皇の子。
光孝平氏
(こうこう)
第58代 光孝天皇
仁明天皇の子。

鎌倉、室町、江戸時代とあとになって無名の3平氏の末裔だという人は出てきますがかなり怪しい。

一般的には、平氏は桓武平氏のことを言います。

そして、桓武平氏には大きくふたつの系統があります。ひとつは貴族の平氏、そしてもうひとつは国司の平氏。

なぜ平氏はひとつしか残らなかったのか?

平氏が桓武平氏しか残らなかった理由は、平氏の兄貴分、源氏が強かったから。

(源氏は814年、平氏は825年に最初の臣籍降下が行われる。)

源氏は桓武天皇の息子・第52代 嵯峨天皇の息子から始まり、21人の天皇から生まれました。

平氏の生みの親、仁明天皇文徳天皇光孝天皇からの源氏も出ています。そして源氏は、平氏と同じ平安の初期から中期にかけて大量生産されました。

そりゃ、ひとつしか残らないですよね? 圧倒的な数の源氏がいて、平氏と同時に源氏が出ている天皇が3人もいたら。

平氏は平安時代の天皇の子孫氏族のはしりですが、兄貴が強すぎて影の薄い弟分になっちゃいました。

というか、源氏が一大勢力になったら平氏を出す意味がなくなってしまったようです。

平氏は源氏のおまけ?

ボクは平氏の誕生は源氏のおまけだと思っています。

第52代 嵯峨天皇はたくさんの子どもがいて、後継者の候補を数名残してあとは源姓を与えて民間人にしました。皇女から源になった人もいます。

平氏を作ったのは退位した嵯峨上皇です。たくさんの甥っ子・姪っ子を源氏にしたあとに、それ以外で宙ぶらりんになった王たちがかわいそうになったのでしょう。

弟・葛原親王(かずわら)の息子を平氏にします。どうやらここで気を使ったらしい。

最初の源氏・嵯峨源氏の第1世代は第50代 桓武天皇の孫です。そして葛原親王の息子も同じ桓武天皇の孫。

ここで源氏にしてしまうと、先輩・嵯峨源氏よりも古い・桓武源氏になってしまいます。

源氏とはちがう流派ということで平氏になったと思います。

次は 桓武平氏の祖は二人の王
前は 平氏だけじゃない天皇の子孫の氏族
コメントを残す

*