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平氏ってなんだ?どこから来たの?なんで有名な武士になれたの?

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ご覧のページは 5 / 7 です。先頭ページはこちら。

坂東平氏(ばんどうへいし)とは?

上総国(かずさ。千葉)から東国一帯へ広がった武力に強い平氏のことを坂東平氏といいます。

高望流・平氏 = 坂東平氏と言っていいでしょう。『坂東』はいまの関東のこと。京都から見て山の向こうの東一帯の辺境の土地です。

坂東平氏の第一世代、高望の息子たちは東国の国司として散らばりました。当時の常備軍の最高司令官・鎮守府将軍になった人もいます。

鎮守府(ちんじゅふ)は国司以外で唯一と言っていい常設軍をもった組織で、陸奥国(むつ。福島・宮城・秋田・山形)にあった。

主に東北の反乱を抑えるために置かれた組織。東国一帯に睨みをきかせる組織でもある。

鎮守府将軍は、鎌倉幕府の将軍が征夷大将軍になるまで、日本の軍事の一番上の司令官として見られていた。

征夷大将軍は臨時総司令官だったので。

坂東(ばんどう)と関東(かんとう)

坂東の坂は箱根連山に連なる足柄峠(あしがら)、碓氷峠(うすい)のこと。

簡単に言うと、箱根を越えた東が坂東。古代・奈良時代には言葉として定着していたらしい。

関東は日本で最初にできた『所の』のことで古代からあった。領域は広く都の東一帯、東国のことを指す。

鎌倉時代になると、畿内・西国の朝廷の影響下に対抗して、幕府の管轄内の領域のことを関東というようになる。

(静岡・神奈川・山梨・長野・新潟も含まれる。)

室町時代には関東管領(かんとうかんれい)という役職ができる。越後の上杉謙信がなれたのは、当時の関東は越後(新潟)も入っていたから。

江戸時代になると、幕府の重要な関所が箱根にあり、『箱根の関所の東』が関東になる。

江戸時代の関東がほぼ坂東と同じ領域なので、『坂東』という言葉は使われなくなっていった。

江戸時代の関東が今でもつづく。

箱根の関所の3ヶ所のうち、足柄峠に箱根関、碓氷峠に碓氷関があった。坂東といまの関東の境界線が同じなのが面白い。

狙ってやったんだろうか?

ちなみに、板東英二が関係しているかは不明。

坂東平氏のスーパースター・平将門(たいら の まさかど)

坂東平氏のスーパースターといえば平将門でしょう。将門は平高望(たかもち)の孫です。

将門は新皇を名乗って反乱を起こしたことになっていますが、本当は関東一帯に広まった坂東平氏の内部衝突を抑え込んだだけでした。

高望の子どもたちは武将だったのでバトルロワイヤルが絶えません。将門は平清盛(きよもり)の祖先・平国香(くにか)を殺しています。

将門の敵は叔父さんたちで、そこに参加した国司・郡司など、立場を超えて武力に自信のある者が入り乱れていました。

最後は、国香の息子・平貞盛(さだもり)に鎮圧されて終わります。

(貞盛も清盛の先祖。)

将門は国司・郡司など地方の有力な役職ではなく、若い頃に才能を認めてくれた当時の関白藤原忠平(ふじわら ただひら)に願い出たが、満足のいく地位はもらえなかった。

ただ忠平の信頼は厚く、忠平の直属の部下みたいになっていた。

関白は将門を地方任官の国司ではなく手元に置きたかったのだろう。

桓武平氏 坂東平氏 系図
宮内庁HPより抜粋 一部筆者加工
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