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第68代 後一条天皇。藤原道長の絶頂期。3人の娘が皇后になる。

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歴代天皇 - 絶好調の藤原氏と天皇たち -

第68代 後一条天皇(ごいちじょう)は、藤原氏最強の男・藤原道長(みちなが)の孫です。

藤原道長が栄華を謳歌できたのは、天皇一家が道長の子孫で固められたから。

3人の娘を皇后に出したのは道長ただ一人。前代未聞。というか後にも先にもこれを超えた人はいない。

中世 平安時代 - 中期 -

  • 皇居
  • 平安宮
    (へいあん の みや)

  • 生没年
  • 1008年9月11日 ~ 1036年4月17日
    寛弘6 ~ 長元9
    29才
  • 在位
  • 1016年1月29日 ~ 1036年4月17日
    長和5 ~ 長元9
    21年
  • 名前
  • 敦成
    (あつひら)
  • 藤原彰子
    (ふじわら しょうし / あきこ)

    上東門院

    藤原道長の娘
    (ふじわら みちなが)

  • 中宮
  • 藤原威子
    (ふじわら いし / たけこ)

    藤原道長の娘
    (ふじわら みちなが)

後一条天皇 系図
宮内庁HPより抜粋 一部筆者加工

いきなり約束を反故

先代・三条天皇は、自分の息子・敦明親王(あつあきら)を次期皇太子にするのを条件に退位しました。

最大実力者の左大臣藤原道長(みちなが)はそれを守ります。後一条天皇が即位し敦明親王が皇太子になりました。

... というところまでは良かったんですが、そこは道長、これでは終わりません。

三条天皇は退位して1年後には亡くなります。イジメのターゲットがいなくなった道長一派(政権幹部)は、今度は敦明親王に目を向けました。

父・三条天皇のときと同じ、『早く辞めろよ』コールのオンパレード。敦明親王もそれに耐えかねて皇太子を辞めます。

道長が次に皇太子にしたのは、後一条天皇の弟・敦良親王(あつなが。のちの後朱雀天皇)。

皇太子じゃなくて皇太弟です。

後一条天皇と敦良親王は母が同じで道長の孫。

皇太弟(こうたいてい)

天皇の弟が次の天皇に指名されたときに使う。

皇太子は、天皇の子供が指名されたときに使うので、弟の場合は使えない。

毎度恒例のネガティブキャンペーン

この頃の藤原氏は、自分たちが気に入らない一派はネガティブキャンペーンで追い落とすのが大好きでした。

トランプ大統領みたいなものでしょうか? 彼の相手への攻撃は天下一品だったので。

(好き嫌いは別にして。)

その相手は、天皇だろうが皇子だろうがおかまいなしです。

敦明親王もそのターゲットになりました。皇子は気性が荒く、荒くれ者だったと評価されます。

ただこれは、妹の内親王から金を借りたのに返さないとか、理由があってのことでした。

(金を返さないやつを拉致監禁してボコボコにしたらしい。)

やってることは正義感あふれるヤンキーそのものですが、それをネガティブキャンペーンに利用されました。

たしかに、敦明親王にはこういう暴力沙汰が多くありました。しかも天皇の長男なので宮廷ではざわついたらしい。

藤原道長の悲願達成

藤原道長(みちなが)は、先々代・一条天皇のころから自分の孫を天皇にという野望がありました。

わざわざ、一条天皇・三条天皇関白にならずに左大臣にとどまったほど。

そのために、三条天皇とその息子・敦明親王を前代未聞のイジメで辞めさせました。

自分の孫が天皇になったので満を持して摂政になります。25年前から夢見ていた悲願の達成。

一条天皇、三条天皇は成人していたので、もともと摂政はいらない。

後一条天皇は8才で即位しているので関白ではなく摂政になった。

三后がすべて道長の娘に

藤原道長(みちなが)は前代未聞なことばかりです。三后(さんこう。太皇太后、皇太后、皇后)がすべて道長の娘。

三代の天皇の皇后を3連チャンで出したのは道長ただひとり。そしてスゴいのは、3人とも後一条天皇が即位したとき健在で、そろい踏みだったこと。

後一条天皇からすると、天皇家の母、叔母さん3人がバックアップしています。力強いと言うか、うっとうしいというか。

天皇からすると近親なので力強かったのでしょう。

太皇太后
(たいこうたいごう)
2代前の皇后。藤原彰子
(しょうし)

後一条天皇の母。
皇太后
(こうたいごう)
先代の皇后。藤原妍子
(けんし)

後一条天皇の叔母。
皇后
(こうごう)
天皇の正妻。藤原威子
(いし)

後一条天皇の叔母。

皇后の中でも、一番先輩の太皇太后が一番発言力があり、それが天皇の母。

後一条天皇はお母ちゃんに反抗できなかったんじゃないかな?

その後ろに道長もいるし。

藤原道長の絶好調を示すあの有名な歌

この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたる事も なしと思へば

藤原道長

勉強嫌いの人でも、聞いたことある和歌だと思います。後一条天皇の時代に藤原道長が詠んだ歌。

意味はそのまま読んでもなんとくなく分かりますが、こんな感じ。

この世は自分のためにあると思う。

この満月のように、自分には欠けているところが何一つない。

イキってます。ドヤってます。

自分に持ってないものはないって。天狗になるってこのことでしょう。

天皇はコントロールできるし、天皇家も自分の娘で固めてるし、日本の歴史の天下人の中でも、ここまで天下を獲った自覚のある人はいないでしょう。

ただ、何をした天下人か? と言われれば思いつかない。

天皇を追い出し、皇太子を追い出し、天皇家を掌握しただけで、民のために何をしたかなんて皆無。

ボクは数ある天下人の中で一番の無能が道長だと思ってます。

普通どんなイヤな奴でも、天下人なら何かしら治世の功績があるのに道長にはないから。

ただ道長は文化人としてはかなり優秀。

圧倒的に存在感のない天皇

後一条天皇は、歴代天皇の中でも存在感のない天皇で、どんな人だったのかすら分かりません。

21年も天皇だったのに有名な肖像画もないし。

分かっていることは、当時としては珍しく、妻がひとりしかいなかったことと、29才で天皇のまま亡くなったこと。

(糖尿病だったと言われる。)

娘が二人いたみたいですが息子はいませんでした。

ほかに妻が持てなかったのは、藤原道長や、天皇家のおババ様たちが許さなかったのでしょう。

ここまで固められると、嫁に出そうという人も怖くてできなかったことが想像できる。

『この天皇、幸せだったんだろうか?』

『29才の若死にって、ストレスが影響してるんじゃないの? 』

と思ってしまいます。

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第69代 後朱雀天皇。比叡山の抗争で京の街が荒れる。心を痛めて天然痘で死ぬ。
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天皇・皇室の本

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『天皇について基本的なことを知りたい』『過去の天皇の人物像を知りたい』という人におすすめの本を選びました。

内容がかんたんで頭に入りやすく、でも内容が薄いわけではありません。むしろ濃いくらいです。

日本人なら知っていてほしい天皇・皇室の基礎知識だけでなく、外国の人に説明できるくらいの知識が身につきます。

文章が苦手な人にはマンガ本もあります。

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