藤原氏は古代の中臣氏から始まり、平安時代には日本の政治のトップに君臨して、明治の近代化になるまで日本の政治の中心にいました。
1000年以上もつねに政治の中心に居続けた氏族は他にいません。
天皇の子孫の源氏や平氏、圧倒的な力を持っていた戦国武将たちでもできませんでした。
続きを読む藤原氏は古代の中臣氏から始まり、平安時代には日本の政治のトップに君臨して、明治の近代化になるまで日本の政治の中心にいました。
1000年以上もつねに政治の中心に居続けた氏族は他にいません。
天皇の子孫の源氏や平氏、圧倒的な力を持っていた戦国武将たちでもできませんでした。
続きを読む天皇がリーダーシップを取る政治には天皇親政(てんのうしんせい)と皇親政治(こうしんせいじ)があります。
二つのちがいは時代、システムもありますが、いちばん特長的なのは天皇を支えた人がちがう。
皇親政治のほうが天皇も含め皇族に政治力が求められていました。
続きを読む第55代 文徳天皇(もんとく)は、母の実家も嫁の実家も藤原氏です。
この外戚の力で藤原氏は復活しました。復活どころか1000年以上、親戚であり仕事のパートナーであり続けます。
藤原氏に対抗しそうな勢力の大量リストラもありました。文徳天皇の意思なのかは不明。
続きを読む第47代 淳仁天皇(じゅんにん)は、女帝に指名されて天皇になったのに、その女帝に天皇をクビにされました。
最後は幽閉されて、脱出した翌日に理由も分からないナゾの死。
長い間歴代天皇にも数えられず、淡路廃帝(あわじはいてい)という汚名まで着せられてしまいます。
続きを読む第46代 孝謙天皇(こうけん)は、はじめて女性で皇太子になり、天皇になってから皇太子をクビにし、上皇になっても天皇をクビにするこわ~い女帝です。
天皇になれそうな王たちを拷問にかけて死なせたりもしました。
激しい権力闘争を勝ち抜いた女傑とも言えます。
続きを読む第45代 聖武天皇(しょうむ)は、仏教を愛し天平文化をつくった人ですが、政治には興味がありませんでした。
ちょうどこのころ、皇族の政治から藤原氏の政治への転換点で、あっち行ったりこっち行ったり、落ち着きません。
政権幹部が疫病でバタバタ死んで二人しか残らない事態も起きます。
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