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藤原北家を復活させた藤原冬嗣
平城上皇のクーデーターを抑えた第52代 嵯峨天皇は、平安時代の基礎を作ったと言われるほどターニングポイントになる天皇です。
嵯峨天皇は、
上皇派の残党をどうするか?
乱れた朝廷をどうするか?
やることがいっぱいでした。そのすべてを天皇に代わって実行したのが藤原冬嗣(ふじわら ふゆつぐ)。嵯峨天皇の治世は冬嗣が一人でやったと言われるほど。
天皇の嫁の実家としてはダメだけど政治家としては必要だった
藤原北家はもともと、式家に追い落とされるまでは左大臣をするほどの藤原氏筆頭。政治手腕は忘れられてなかったようで、政治家としては必要とされてました。
(天皇の嫁としては嫌い。嵯峨天皇の皇后は橘氏出身。)
冬嗣は多くの藤原氏の中でも有名なひとりです。歴史の試験でも必ず出てくるでしょう。
冬嗣の子孫が摂関政治を始め、摂関家になり、五摂家になって広がります。『上流貴族の藤原氏』のすべてが冬嗣の子孫。
冬嗣に足りなかったのは、自分の娘を皇后にできなかったことくらい。
(一応、娘を天皇に嫁がせることはできた。)
藤原冬嗣が『藤原氏本流は北家』の流れを作り、以降、それが変わることはなかった。
残りの南家、式家、京家も残るが、中・下流貴族にとどまる。
次は
史上初。人臣摂政と人臣の太政大臣
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藤原四兄弟。藤原氏の流派が生まれる
- P1 神話の時代から仕える側近中の側近
- P2 藤原氏の祖・藤原鎌足
- P3 律令国家建設の中心人物・藤原不比等
- P4 藤原四兄弟。藤原氏の流派が生まれる
- P5 藤原北家を復活させた藤原冬嗣
- P6 史上初。人臣摂政と人臣の太政大臣
- P7 摂関政治の完成。初代関白・藤原基経
- P8 歴代の藤原氏で最強の男・藤原道長の登場
- P9 摂関政治の衰退から院政へ
- P10 御堂流の分裂。五摂家の誕生。『藤原』を名乗るのをやめる。