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最澄と空海。相性最悪の仏教2大スター。日本仏教の礎でも方向性がまるでちがう。

最澄と空海

ご覧のページは 4 / 8 です。先頭ページはこちら。

ニュー仏教2大スターの対象的な帰国

最澄は予定通り1年で帰国します。そして、桓武天皇の期待通りにニュー仏教のスターとして比叡山延暦寺に戻って自分の活動を再開しました。

さらに1年後、自分がちょこっとだけ勉強した密教の継承者になった若造が博多で止められていることを知ります。

その若造こそ帰国した空海。

(空海は勝手に帰ってきて密入国者になっていた。)

密教のことをくわしく知りたい最澄は、政府に働きかけて空海を釈放させます。桓武天皇も中国大好きミーハーなので、中国で大師匠の後継者になった空海に興味をもったでしょう。

空海が2年で帰れたのは偶然で奇跡的。

遣唐使は定期便ではなく日本が必要としたときに出すものだったので、自費留学の空海は二度と帰れない可能性が高かった。

20年の修業が課されている留学生は帰りの切符をもってないのも同然で、中国で骨を埋める覚悟が必要なもの。

じっさい遣唐使で渡った留学生には、帰りの船が来るのを待ち続けてそのまま中国で死んでしまった人も多い。

優秀でそのまま中国の官僚になる人もいた。

桓武天皇が一番喜んだのが密教。

桓武天皇は帰国した最澄から密教の話を聞いて喜びました。当時天皇は病気でふさぎ込みがちで、怨霊に呪われていると思ってたから。

そもそも平安京は怨霊から逃げるために作った巨大な結界です。桓武天皇にとってはワラをも掴む思いだったでしょう。

仏教界のニューリーダーになっていた最澄は焦ります。

自分が1ヶ月しか勉強できなかった密教は、加持祈祷(かじきとう)で病を治したり悪霊を追い払ったりすることができるから。

これは日本の既存仏教にはなかったことでした。もちろん最澄の天台宗でも。

ものすごい炎の近くで汗だくになり、念仏を唱えるシーンを見たことあるでしょうか?

あれが密教の加持祈祷。最澄は密教の真髄を習得できなかったことを後悔したでしょう。

密教は既存の仏教とは大きくちがいました。

これまでの仏教はあの世で幸せになるものに対し、現世でも幸せになれるものだったから。

現世利益(げんせりやく)という。)

密教特有の加持祈祷は、この世で幸せになるために病気を治したり、悪霊を退治する儀式。

これが根本的にちがう。

中国で皇帝が弟子になるほど爆発的に人気になったのは、今幸せになれるものだったから。

あの世に行くまで待てねーよってこと。

空海は日本の宝になっていた。密教の威力は絶大。

空海の師匠の恵果は、唐の3代の皇帝を弟子にした伝説の仏僧です。そんな人の後継者になった空海はいくら無名でも都の人にとっては無視できません。

とくに、密教の魅力を知っていた最澄や、呪いを解きたい桓武天皇にとっては喉から手が出るほどの情報を空海はもっていました。

しかも、20年分の留学費用をつぎ込んで買いまくった密教の経典や法具、曼荼羅をもっていた。

空海は買い物するときに日本にないものを選んだそう。それを選ぶ確かな目と、日本に足りないものを知っていた知識はただ者ではない。

やっぱり空海は天才。

曼荼羅は密教をひと目で分かるように図にした仏のランキング図。

密教では仏にランクがあり、修行の習熟度によって上位の仏になるというシンプルなもの。

密教の最大の魅力と言っていい。修行してなくても読み書きができなくても、だれでも見ただけで密教のことが分かるから。

空海の野心。天皇を弟子にするぞー!

無名の空海には壮大な野心がありました。師匠が中国皇帝を弟子にしたように、日本で天皇を弟子にするという夢物語のような野心。

空海は密入国で太宰府(だざいふ。福岡)に止められていたとき、朝廷に手紙を書いてアピールしまくったそう。

この手紙を御請来目録(ごしょうらいもくろく)という。

目録には、いかに自分が価値あるものを持っているかをこれでもかと書いてありました。プレゼンですね?

ただ朝廷の人は犯罪者の言い分なので無視したそう。たったひとりを除いて。

その一人が最澄。最澄は桓武天皇を救うのは密教だと気づいて焦っていたので、空海のプレゼンに愕然としました。

密教の習得どころか後継者になって帰ってきたのが無名の若造だった驚きもあったでしょう。

最澄もただ者ではありません。空海の価値に一人だけ気づいたんだから。

空海からするとしてやったりでしょう。自分のプレゼンに釣られたのが仏教界のニューリーダーだったから。

最澄はどこから空海のことを知っていたか?

最澄はいつから空海のことを知っていたのでしょうか?

個人的な意見ですが、御請来目録を見たときにはじめて空海の存在を知ったと思います。

最澄と空海は同じ遣唐使で留学しましたが、空海は自分の金で無理やり連れて行ってもらったひとりの若造です。

一方、最澄はすでにニュー仏教界のリーダーで超有名人。遣唐使留学もVIP待遇。乗り込んだ船も違います。

留学先でも、恵果のところで学んでいた空海に対して最澄は天台宗の勉強。会うことはなかったでしょう。

最後の1ヶ月間だけ密教の勉強をしていたときに、世間話で密教の後継者に指名された日本人がいるという噂程度のことは聞いていたかもしれません。

ただその日本人が日本に帰るとは想像もしてなかったでしょう。名もなき若造なら帰りの切符をもってないことは知ってたはずなので。

次は 最澄が空海の弟子になる。でもすぐに絶縁。
前は エリート層で有名人の最澄(さいちょう)。
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