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最澄と空海。相性最悪の仏教2大スター。日本仏教の礎でも方向性がまるでちがう。

最澄と空海

最澄は比叡山延暦寺を建てた天台宗の祖で、空海は高野山金剛峯寺を建てた真言宗の祖です。

彼らは同じ時代に生き、今の日本仏教のほとんどはこの二人から始まってる、と言っても過言でないほど大きな影響を与えました。

置かれた立場も生き方も対象的な二人です。

なぜ最澄と空海が出てきたのか?

日本の仏教は第29代 欽明天皇のころ(古墳時代。500年代中頃)に始まります。朝鮮半島の百済から経典や仏像が持ち込まれて日本に伝わりました。

欽明天皇はあまり有名でないですが、聖徳太子のお祖父ちゃんといったら分かりやすいでしょう。

日本に入ったころはまだ宗教というより最新の学問として受け入れられていました。

本格的に宗教として大事にされるのは、第33代 推古天皇の時代(飛鳥時代。500年代後半)。その摂政が聖徳太子です。

(推古天皇は欽明天皇の娘。)

聖徳太子は奈良の首都を中心にたくさんの寺院を造ります。蘇我氏など有力豪族たちも造りました。

今でも奈良に由緒ある寺として残っています。法隆寺が有名ですよね?

飛鳥時代以前の都は大阪も奈良に匹敵するぐらい多かった。

だから古墳が多い。(大仙古墳(だいせんこふん。仁徳天皇陵)など。)

そして古い寺も多い。

聖徳太子が建てた四天王寺が有名で日本最古の寺とも言われる。

政治に手を出して干される奈良仏教

時代は150年くらい経って、第46代 孝謙天皇の時代には東大寺が完成しました(752年)。

修学旅行で見ることも多い奈良の大仏さまです。

東大寺は孝謙天皇の父・第45代 聖武天皇が建立したんですが、政治はそっちのけなのに仏教マニアなもんだから、そこにはやる気を出す人でした。全国に国分寺(こくぶんじ)を造ったりもしています。

このときが仏教の最高潮。

(孝謙天皇も父と同じで仏教マニア。)

第48代 称徳天皇は孝謙天皇と同一人物で、すでに出家しての即位。仏教徒がはじめて現役バリバリの天皇になった瞬間。

称徳天皇は僧の弓削道鏡(ゆげ の どうきょう)に皇位を譲ろうとした天皇です。まわりの大反対にあって実現しませんでしたが。

道鏡はその後失脚し、官位剥奪、名前の剥奪、奴隷並みに落とされて亡くなります。(事実上の死刑。)

仏教の信頼も失墜しました。

ライセンスの導入。それが一部の仏僧の増長に。

奈良時代になると仏教にライセンス制を導入します。本場中国ですでに使われていたもの。

第45代 聖武天皇の発案。さすが仏教マニア。最新仏教の情報に対するアンテナの貼り方は尋常じゃありません。

そこで日本にはライセンスを発行できるだけの高僧がいなかったので、中国から招かれたのがあの有名な鑑真(がんじん)です。

仏教のライセンス発行のことを授戒(じゅかい)といいます。

ただライセンス制にすることで、ライセンスを発行する側とされる側で力関係が生まれてしまいました。

仏教徒でも人間は人間。与える側になると少なからず変わってしまいます。良い意味でも悪い意味でも。

鑑真が亡くなったのは763年、道鏡が失脚して亡くなったのは772年。

ライセンス制導入と道鏡の増長に直接の関係はないでしょうが、リンクするように調子に乗ってしまいました。

平安京は脱・奈良仏教

政治を混乱させた仏教は、第50代 桓武天皇の時代に大きな転換を迎えます。桓武天皇は平安時代を始めた人。

今までは、都を移すときには寺院も引っ越しをしていましたが、平安京では引っ越しを許しませんでした。

その代わり、若手の人材を育ててニュー仏教で盛り上げようとします。オールド仏教は奈良に置いたまま。

そこで育った人材が最澄。そして、予想外のところから出てきたのが空海。

日本仏教の2大スターの最澄と空海は、奈良仏教が調子に乗らなければ、政治に手を出して混乱させなければ出てこれなかった人材です。

桓武天皇が仏教の大掃除をしなければスターになれなかったでしょう。

奈良仏教という宗派はない。日本仏教の宗派は平安時代にできるので、それ以前の俗称として言われる。

また、古代の寺院は大阪にも多く、四天王寺聖徳太子が建てた寺として有名。

大阪は奈良と並んで古代の都がたくさんあったから。

次は 非エリートで無名だけど天才的な空海(くうかい)

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