
鎌倉時代は、本格的な武士の時代のはじまりです。その中心、鎌倉幕府の将軍は、ほとんどが武士ではありませんでした。
武士の棟梁が武士ではない不思議な時代です。鎌倉幕府の将軍を少しずつ見ていきます。
続きを読む日本の歴史を時代ごとに見ていきます。なるべく時代ごとに切れてしまわないように、ひとつの流れに見えるようにしていこうと思います。
鎌倉時代は、本格的な武士の時代のはじまりです。その中心、鎌倉幕府の将軍は、ほとんどが武士ではありませんでした。
武士の棟梁が武士ではない不思議な時代です。鎌倉幕府の将軍を少しずつ見ていきます。
続きを読む日本の歴史上で官軍が賊軍にコテンパンにやられたのは承久の乱(じょうきゅうのらん)以外にありません。
後鳥羽、土御門、順徳の3人の上皇が島流しの刑にあい、仲恭天皇が退位させられる異例の結果となりました。
続きを読むいま学校で教える、日本史の鎌倉幕府の成立年は、正確には決められないそうです。
一番多いのは1185年で、今まで教わってきた1192年は10%未満らしい。
これはおかしいです。鎌倉幕府成立年・1192年にはちゃんと理由があります。
続きを読む平治の乱(へいじのらん)は、平清盛が源頼朝を伊豆へ追い出し、義経を寺に入れ、源兄弟の父・義朝が殺されるところが有名です。
しかし、これはメインではありません。戦いのメインは後白河上皇と二条天皇の対立で、内部の複雑な権力闘争です。
どさくさに紛れて力を発揮したのが平清盛で、いちばん得をしました。
続きを読む保元の乱(ほうげんのらん)は、鳥羽上皇と崇徳上皇の親子ゲンカからはじまり、それが後白河天皇 vs 崇徳上皇の兄弟ゲンカになって大爆発します。
この戦は、皇族・貴族・武士、政治にかかわるすべての勢力が参加しました。ここまで日本を二分した例はほかにありません。
そしてじっさいに戦ったのは、それぞれに味方した武士でした。彼らの活躍が政治勢力として飛躍するきっかけをつくります。
続きを読む鎌倉幕府の不思議なところは、将軍ですらお飾りにして、その部下たちが実質的な政権をコントロールしたところです。本来なら政治権力を握るはずのない人たちが権力者でした。
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