歴代天皇 - 存在は確認されるが本当のことは分からない天皇たち -
崇神天皇(すじん)は、歴代のなかでもキーパーソンに位置づけられた天皇で、それは名前にもあらわれています。
『日本列島にはじめて国を作った天皇』『中興の祖』です。
愛の教育あり。R18指定のエピソードあり。そしてファンタジーな出来事も。
女王・卑弥呼と同時代の人です。
先史・古代 古墳時代
- 皇居
磯城瑞籬宮
(しきのみずかきのみや)
- 生没年
- 紀元前148年?月?日 ~ 紀元前30年12月5日
開化天皇10年 ~ 崇神天皇68年
168?, 120? 才
- 在位
- 紀元前97年1月13日 ~ 紀元前30年12月5日
崇神天皇元年 ~ 崇神天皇68年
68? 年
- 名前
- 御間城入彦五十瓊殖尊
(みまきいりびこ い にえ の みこと)
- 父
第9代 開化天皇
(かいか)
- 母
伊香色謎命
(いかがしこめのみこと)大綜麻杵の娘
(おおへそき)
- 皇后
御間城姫命
(みまきひめ の みこと)大彦命の娘
(おおびこ の みこと)
やけに孝元天皇につながる
先代で父・開化天皇が亡くなった翌年、開化天皇の第2皇子で皇太子だった御間城入彦五十瓊殖尊(みまきいりびこ い にえ の みこと)が即位します。崇神天皇です。
崇神天皇の母・伊香色謎命は、先々代でお祖父ちゃん・孝元天皇の元妻で、父・開化天皇の皇后でした。
そして、自分の皇后には孝元天皇の孫でいとこ・御間城姫命を迎えます。
なんで孝元天皇にこだわってるんですかね?
当時は近い親戚で次の世代の家族を作ってファミリーの結束を固めるのが多いです。たまたま孝元天皇につながったのでしょう。
実在が確認されたいちばん古い天皇
崇神天皇は実在が確認されています。それより前はいまだに分かっていません。欠史八代(けっしはちだい)といいます。
崇神天皇は3世紀に実在したといわれ、前方後円墳が作られはじめた時代です。
あの女王・卑弥呼と同時代。
実在の最古の天皇には、第21代 雄略天皇説もあり有力視されている。
また最古の実在天皇はいろいろな説があり確定していない。
崇神天皇説はもっとも古い。ここでは、いろいろな説がある中で一番古いところから最古の実在天皇とした。
政治理念はメンタルの『天下統一』
崇神天皇は、ものごとの良し悪しの判断にすぐれ、大きな仕事をしたがる人だったようです。
リーダーとして慣れたころには心が広く、出しゃばることもない、いいかげんなことはしない、すばらしい人でした。
崇神天皇の理念は、
愛をもって民を教育する。
品のある行動で政治をする。
(天皇の徳で統治)
これを日本全国に広めることでした。
反対勢力にとっては地獄
理念では、いいことをしているように見えます。いい人だし。
ただこの時代は、独立心旺盛の豪族がウヨウヨいます。大王(のちの天皇)中心のヤマトの勢力は、奈良、和歌山、大阪ぐらいでしょう。紀伊半島周辺だけといってもいいです。
それ以外の豪族はどう思うでしょうか?
愛をもって教育する
↓
お前らを教育してやる
完全に上から目線。
じっさい、崇神天皇の『愛の教育』には『愛のムチ』が入ってました。ムチのレベルがけた違いの。
崇神天皇のいい人は『ヤマトにとって』で、それ以外には『迷惑な人』
四道将軍を全国に派遣して強引な『愛の教育』
崇神天皇の愛の教育は『軍隊の派遣』です。
4人の将軍を全国に送り込んで『愛の教育広めよう作戦』を行ないました。抵抗するものは成敗します。
この将軍のことを『四道将軍』(しどうしょうぐん)といいます。学校ではまったく習わないですが、かなり有名。
将軍 | 天皇との関係 | 遠征先 |
---|---|---|
吉備津彦命 (きびつひこのみこと) | 第7代 孝霊天皇の皇子。 崇神天皇の祖父の兄。大叔父。 桃太郎のモデルといわれる。 | 山陽道 |
大彦命 (おおびこのみこと) | 第8代 孝元天皇の皇子。 崇神天皇の父の兄。叔父。 | 北陸道 |
武渟川別命 (たけぬなかわわけのみこと) | 第8代 孝元天皇の孫。 大彦命の子。 崇神天皇のいとこ。 | 東海道 |
丹波道主命 (たんばのみちぬしのみこと) | 第9代 開化天皇の孫。 崇神天皇の弟の子。おい。 | 丹波地方 (山陰道) |
将軍といっても崇神天皇の親戚でりっぱな皇族です。二人は天皇の兄。
ちなみに吉備津彦命は桃太郎のモデルといわれます。いまの岡山県(吉備)を平定したから。名前にもついてますね?
岡山県が桃太郎やきびだんごをPRするのはここからきています。
吉備津は桃太郎伝説の一番古い人物とされるが、岡山出身ではない。
生まれはヤマト(奈良)。
天皇の息子なので当然といえば当然。
岡山の桃太郎伝説を伝承している人々もそこははっきりと言っている。
たまに地元贔屓が過ぎてあきらかにウソをいう人がいますが、桃太郎伝説については正直でまっとう。
ちなみに吉備津は岡山を平定しただけでこの地に根付いていない。平定後、都に帰ってる。
四道将軍は4つの街道沿いにそれぞれ担当したのでそう呼ばれます。
担当の分け方は、戦国時代の織田信長と似ています。信長がまねしたんじゃないか? と思うくらい。
四道将軍 | 信長の家臣 | 遠征先 |
---|---|---|
吉備津彦命 | 羽柴秀吉 | 山陽道 |
大彦命 | 柴田勝家 | 北陸道 |
武渟川別命 | 徳川家康 | 東海道 |
丹波道主命 | 明智光秀 | 丹波地方 (山陰道) |
四道将軍がそれぞれ平定して、崇神天皇の『愛の教育』が完成しました。
日本列島にはじめて国家を作った
このように、ときには強引に豪族をまとめながら、いろんなことをします。
はじめて戸口調査を行ない税金を取る。(人口を把握して税制を整備)
農業振興。
海辺の民の交通の便が悪いことを知り、国々へ船の建造を命令。
水が少ない土地の治水工事。
etc...
結果、世の中は安定に向かったといわれます。敵にとってはうっとうしいけど、政治家としてはバツグンだったようですね?
国家建設の中興の祖
崇神天皇はべつの呼ばれ方があります。
はつくに しらす すめらみこと
ただ、これとまったく同じ呼ばれ方をした天皇がもうひとりいます。初代・神武天皇。ただし、あてられた字がちがう。
神武天皇 | 始馭天下之天皇 |
崇神天皇 | 御肇國天皇 |
『はつくにしらす』は、
はつ → 初めて
くに → 国(天下)を
しらす → 統(し)らす。治める
で、それぞれ当てられた字に意味があります。
始馭天下 | 初めて天下を治める |
御肇國 | 初めて国を治める |
神武天皇は『日本列島で初めて天下を取った人』、崇神天皇は『日本列島で初めて国を作った人』なんですね?
崇神天皇は、神武天皇とならんで称されます。中興の祖(ちゅうこうのそ)みたいなもん。
『すめらみこと』は『天皇』のもともとの日本語の読み方。『すめらぎ(き)』ともいう。
『てんのう』は漢(中国)風の読み方で、『エンペラー』みたいなもん。
外来語を自国語にするのは世界中であるが、『てんのう』もそのひとつ。
崇神天皇と神武天皇は、同じ呼ばれ方をするので同一人物説がある。また、崇神天皇が初代天皇説もある。
どれも『歴史の飛躍』を消し去るものではありません。
カミのお告げで動くシャーマン
崇神天皇は、天のカミと地のカミを大事にしました。(天神地祇)
天皇の徳が通用しないときはカミのお告げにたよります。
今ではこんな怪しいことはありませんが当時ではあたりまえ。卑弥呼もカミのお告げや占いで政治をしました。同じような感じですね?
崇神天皇は古事記では168才、日本書紀では120才で亡くなります。
シャーマニズム(Shamanism)
宗教のひとつのかたち。
神のお告げや占い・呪術で悩みや未来の不安を解決する。これを行なう人をシャーマンという。
日本の土着宗教・神道もシャーマニズム。巫女、イタコ、陰陽師は日本のシャーマン。
日本人の占い好きはシャーマニズムの影響。
天神地祇(あまつかみくにつかみ)
日本のカミは大きく天界のカミと地上(国土)のカミに分かれる。
天のカミ | あまつかみ。 てんじん。 | 天津神。 天神。 天上界で生まれたカミ。 |
地のカミ | くにつかみ。 ちぎ。 | 国津神。 地祇。 地上界で生まれたカミ。 |
天のカミの代表はアマテラス(天照大神)。地のカミの代表はオオクニヌシ(大国主大神)。
アマテラスは伊勢神宮の内宮、オオクニヌシは出雲大社に祀られている。
オオクニヌシの先祖はスサノオで、アマテラスとスサノオは姉弟。
ふたりはケンカ別れをしているので天津神と国津神は系統がちがう。
この分別は、日本列島に国が作られていく過程と関係が深く、天津神は天皇とそのまわりの氏族、国津神はそれぞれの地域で独立していた豪族をあらわす。
天津神の子孫、初代・神武天皇は、国津神の子孫の豪族たちを味方につけながら、戦争して討伐しながら天下統一を目指し、ヤマト(奈良)に都を作った。
崇神天皇の政治は女王・卑弥呼とそっくり
まるで卑弥呼?倭迹迹日百襲姫命
崇神天皇のシャーマニズム政治には、倭迹迹日百襲姫命(やまとととびももそひめのみこと)が多く出てきます。
倭迹迹日百襲姫命は、崇神天皇の大叔母で皇族。
(第7代 孝霊天皇の娘。四道将軍・吉備津彦命と第8代 孝元天皇の妹。)
この皇女は、まるで女王・卑弥呼のようです。
倭迹迹日百襲姫命は名前が長いので、あとは百襲姫と書きます。
イタコになって災難を救う
崇神5年、疫病が流行りたくさんの人が亡くなりました。また、農民が逃げたり反乱を起こしたりして世の中が乱れます。崇神天皇はなにもできませんでした。
そこで占いで解決しようとします。そのとき、百襲姫にカミが声がのりうつり、災いの原因は大物主神だと分かりました。
大物主神(おおものぬし の かみ)
日本の多くのカミサマの中で重要なカミサマ。
地のカミ(国津神)の中では、出雲のカミサマ(大国主神。おおくにぬし の かみ)に匹敵する。
古事記では、国づくりに悩んでいた大国主神の前にあらわれ
われを東の山にまつれば解決する
と言って、大国主神はその山に大物主神をまつった。この山が三輪山(みわやま)。
日本書紀では、大国主神の仮の姿とされ
大国主神 = 大物主神
になっている。
三輪氏の祖。
崇神天皇が大物主神をまつると、疫病はおさまり農作物の収穫もよく、国内が安定したそうです。
叔父さんの裏切りを察知して殺す
四道将軍が遠征しているとき、百襲姫は、第8代 孝元天皇の皇子・武埴安彦(たけはにやすひこ)とその妻・吾田姫(あたひめ)の謀反を予言します。
崇神天皇は、四道将軍の吉備津彦命と大彦命の二人を呼び戻して、武埴安彦を討ちました。
R18指定!箸墓古墳の由来は残酷なセクシー映像
纏向遺跡(まきむくいせき)に、箸墓古墳(はしはかこふん)ってありますよね?
箸墓古墳は、一番古い前方後円墳ともいわれる有名な古墳です。
いまの日本史の教科書には出てくるかもしれません。でも、箸墓古墳の名前の由来は授業では教えられません。
内容が、日本昔ばなしのようなファンタジーだしセクシー映像よりもエグいので。
ファンタジー!大物主神の妻になる
崇神天皇の政治で大活躍してきたシャーマン・百襲姫は、人間なのに災いの原因だったカミの大物主神の妻になります。
大物主神は三輪山にまつられていましたが、正体(ご神体)は小蛇(こおろち。小さなヘビ)でした。
百襲姫の恥ずかしい最期
百襲姫は、夫の正体を見ない約束だったのに見てしまいます。落ち込んだ夫・大物主神は三輪山へ行ったきり戻ってきませんでした。
百襲姫はショックで座りこんでしまい、そのとき百襲姫のアソコ(陰部。女性器)に箸(はし)がささって死んでしまいました。
そして墓に葬られます。それが箸墓古墳です。
ね? 授業でできないでしょ? よっぽどメンタルの強い教師じゃないと。
そのまま説明するとセクハラで職を失いかねない。よっぽど高度な話術がないとムリ。
箸墓古墳は女王・卑弥呼の墓ともいわれます。どっちもシャーマンで、それを使って政治を行ないました。同一人物に見えるんでしょうね?
個人的には卑弥呼の正体は百襲姫なんじゃないかと思う。時代は合致するしやってることは同じだし。
ちなみに、卑弥呼は中国の歴史書に出てくるだけで実在、正体は分かっていません。
卑弥呼はほとんど表に出ることはなく、卑弥呼の言葉を弟が受け取り政治を実行したと言われる。
弟と甥っ子でちがうが、それが崇神天皇に見えなくもない。
神道、皇室の本質はシャーマニズム
皇子
皇女
巫女
これは、ぜんぶ同じ読み方ができます。『みこ』。ちなみに、
親王
内親王
も『みこ』と読めます。
これからも、皇族の人はシャーマンだということが分かります。
また、歴代の天皇の本名は、平安時代の初期まで尊(みこと)が使われました。古事記では『命』があてられ、天皇以外の皇族の名前にもついていました。(女性も)
これもシャーマンの『みこ』からきてるんじゃないだろうか?
そういえば『天皇』の『すめらみこと』もついている。
今思いついたので確証はありません。でもけっこう当たってる気がする。
『尊』『命』は、日本神話の神々の名前でもよく出てくる。
(日本書紀は尊。古事記は命を使う。)
元をたどればこれが理由かもしれない。天皇・皇族はカミに近い存在ということなんじゃないだろうか?
イタコなんだからそう思われてもおかしくない。