今の歴史の教科書では、聖徳太子は厩戸王(うまやとおう)がちゃんとした正解らしい。『厩戸王(聖徳太子)』と書いてあるそう。
歴史は正確さを大事にしようということらしいのですが、日本人の名前はそうじゃなくてもいいと思う。
だって正確な名前を教科書に書いたら覚えられない人がいっぱい出てくるもん。
続きを読む今の歴史の教科書では、聖徳太子は厩戸王(うまやとおう)がちゃんとした正解らしい。『厩戸王(聖徳太子)』と書いてあるそう。
歴史は正確さを大事にしようということらしいのですが、日本人の名前はそうじゃなくてもいいと思う。
だって正確な名前を教科書に書いたら覚えられない人がいっぱい出てくるもん。
続きを読む藤原氏は古代の中臣氏から始まり、平安時代には日本の政治のトップに君臨して、明治の近代化になるまで日本の政治の中心にいました。
1000年以上もつねに政治の中心に居続けた氏族は他にいません。
天皇の子孫の源氏や平氏、圧倒的な力を持っていた戦国武将たちでもできませんでした。
続きを読む第47代 淳仁天皇(じゅんにん)は、女帝に指名されて天皇になったのに、その女帝に天皇をクビにされました。
最後は幽閉されて、脱出した翌日に理由も分からないナゾの死。
長い間歴代天皇にも数えられず、淡路廃帝(あわじはいてい)という汚名まで着せられてしまいます。
続きを読む太政大臣(だじょうだいじん)は、明治の近代化の前までの、日本の役職の一番トップです。ほかの役職とは圧倒的な力の差があるほど、誰でもなれるものではありませんでした。
歴史も長く、古代の飛鳥時代に始まり日本の歴史の大部分でトップであり続けました。
そして、時代によってなれる人も変わっていきました。
続きを読む第42代 文武天皇(もんむ)は大宝律令の天皇として有名ですが、これらのシステムを作り上げたのは先代でおばあちゃんの持統上皇です。
政権の人材もおばあちゃんが用意してくれ至れり尽くせりの好環境だったのに、25才で亡くなってしまい活かせませんでした。
続きを読む女帝の第41代 持統天皇(じとう)が、国名を倭から日本に変えたことはあまり知られていません。
それ以外にも、国家・日本の基本が完成したのは、持統天皇(上皇)の時代です。
まさに『日本の母』。
この人がいなければ、日本人の当たり前がなかったことがたくさんあります。
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