保食神社は一般的に『ほしょくじんじゃ』と呼ばれますが、本当は『うけもちじんじゃ』。
規模が小さく祠のようなものもあり、おそらく数で言えば日本一の神社です。
田舎出身の人の地元の小さな神社が保食神社の可能性大です。
保食神は伊勢神宮の外宮のカミと同一視されることも多い。どこにでも外宮があるようなもの。
なぜ、『保食』と書いて『うけもち』という?
『保食』を『うけもち』と読める人は何人いるんでしょうか?
読めないから一般的に『ほしょく』になってるんでしょう。PCやスマホの変換候補ですら『ほしょく』は出ますが『うけもち』では出ません。
でも、『うけもちの』と打ったら、『保食命』『保食神』が出てきます。
この出てきたものが保食神社の主。『うけもち の みこと』『うけもち の かみ』です。
『ウケ』は、古代の日本語で穀物や食物を表します。保食神は字のとおり食べ物の神さま。五穀豊穣のご利益があります。
伊勢神宮の外宮には豊受大神(とようけ の おおかみ)が祀られてますが、豊受はアマテラスのお食事係のカミ。
『食べ物(受)が豊かになるカミ』でそのまんまですね?
『ウケ』は日本に漢字が入ってくる前からの言葉なので、当てられる漢字はさまざまです。稲荷神社の神さまにも『うけ』の付く食物のカミがいます。
伏見稲荷大社の主祭神には、宇迦之御魂大神(うか の みたま の おおかみ)がいる。
『うか』は『うけ』の語源になるさらに古い言葉で、稲の精霊のこと。
ちなみに伏見稲荷の主祭神は複数いる。お稲荷さまはグループ名。
SMAPみたいなもの。ちょうど5柱だし。
嵐でもいいよ?
保食神が殺されて生まれた昼の世界と夜の世界
日本の神話では、古事記と日本書紀の両方に出てくるカミも多いんですが、保食神は日本書紀にしか出てきません。
しかも、登場してすぐに殺されてしまいす。
古事記と日本書紀(こじき。にほんしょき)
第40代 天武天皇が号令をかけて作った国家の歴史書。ふたつあわせて記紀(きき)いう。
それ以前の歴史書は、焼失や理由の分からない消失でいまは存在しない。
天武天皇の息子・川島皇子(かわしま の みこ)、忍壁皇子(おさかべ の みこ)が編集長になり作業をはじめた。
そのときにまとめたのが帝紀と旧辞と言われる。
帝紀と旧辞
帝紀 (ていき) | 天皇の系譜、功績をまとめたもの。 |
旧辞 (きゅうじ) | 各氏族の系譜をまとめたもの。 氏族や民など、いろいろな人々に伝わる伝承をまとめた。 日本書紀に出てくる『上古諸事』は旧辞を指すとも。 |
帝紀と旧辞は一体だったとも言われはっきりせず、ふたつとも現存しない。
当時、重要な情報は覚えて口伝えする職業(誦習者。しょうしゅうしゃ)があり、稗田阿礼(ひえだ の あれい)が帝紀・旧辞を覚えた。
帝紀と旧辞が古事記と日本書紀の基本資料になり、飛鳥時代以前の歴史は、古事記、日本書紀にたよる。
古事記(こじき。ふことふみ)
帝紀・旧辞を稗田阿礼に誦習させたが、天武天皇が亡くなると作業が中断した。
712年(和銅5)、第43代 元明天皇のとき、太安万侶(おお の やすまろ)が阿礼の記憶、帝紀・旧辞から文字起こしして書物にまとめたのが古事記。
20年以上の中断があり完成に30年以上かかった。
(阿礼は、帝紀・旧辞だけでなく、無くなっていた数々の歴史書も覚えていた暗記の天才と言われる。)
日本書紀(にほんしょき)
完成は古事記よりもおそく、720年(養老4)、第44代 元正天皇のころに完成。
中断していたのか?たんに時間がかかったのか? 完成までの経緯はよく分かっていない。
天武天皇の息子・舎人皇子(とねり の みこ)が編集長。
古事記 | 倭語を漢字にあてた。 『夜露死苦』(よろしく)みたいに。 国内向け。 国家統一に利用するためか? |
日本書紀 | 漢字で書かれた。 (中国人でも読める。) 国外向け。 世界に日本をアピールするために利用か? |
アマテラスの弟(妹)に殺される保食神
保食神が登場する神話のキャストは天皇の皇祖神・アマテラスとその弟 or 妹(性別不詳)のツキヨミ(ツクヨミ)です。
(アマテラスは天皇の血統の第1世。)
アマテラスがツキヨミに葦原中津国(あしはらなかつくに)にいる保食神(女神)を見てくるように言いました。
ツキヨミがそこに行ったら保食神が、
陸に向いて米を吐き出し。
海を向いて魚を吐き出し。
山を向いて獣を吐き出し。
これらを宴会のごちそうとして振る舞ったとのこと。
ツキヨミは『ゲロったものを食わせるんじゃねー!』と怒って斬り殺しました。保食は食物の神さまで、最大級のもてなしをしただけなのに。
保食神が登場するのはたったこれだけ。ちなみにツキヨミもこれ以外に大したエピソードはありません。
そして大事なのは、この神話では保食神は女神だとされています。
葦原中津国は、天上界と黄泉の国(あの世)の間にある世界。
アマテラスとツキヨミのその後。- 世界が昼と夜に分かれる
保食神を殺してしまったツキヨミに、アマテラスはブチ切れて『二度と顔を見せんじゃねー』と絶縁を宣言しました。
これが、1日に昼と夜が訪れるようになったという神話。
ツキヨミは漢字で書くと『月読尊(月夜見尊)』。(尊は命もあり。)
アマテラスは太陽神で昼の世界を表し、ツキヨミは月の神さまで夜の世界を表します。
太陽が隠れないと月は出ない、月が隠れないと太陽は出ないので、今でも二人は絶縁状態。
長~い兄弟げんかの真っ最中。太陽系の形態がひっくり返らないかぎり仲直りはありません。
宇宙レベルのケンカ。
保食神と豊受大神は同一視されていることも
この神話から、保食神を祀った保食神社は『食べ物に困らないように五穀豊穣を願う』神社として全国に広まります。
人の願いはまず餓死しないことが一番なので広まりやすかったのでしょう。
また保食神社は規模が小さく祠のようなものも多いです。鳥居すらないこともあり、なんの神社か分からないものもあります。
かくいうボクも20数年ぶりに故郷に行くことがあり、近所の神社がスケールアップしてて初めて保食神社だと知った。
昔はホラー映画に出るような鳥居もない小さな祠だったのに。
保食神社は宮司・神主がいないことが多い。これは全国共通。
田舎出身の人は、地元の一番身近な小さな神社や祠が保食神社かもしれない。
昼と夜の誕生神話も広がった理由のひとつじゃないかな?
『今日も一日無事に過ごせました。明日も明後日もずっとつづきますように。』みたいな祈りをして。
伊勢神宮の外宮と同じ可能性あり
この保食神は、伊勢神宮の外宮に祀られている、豊受大神(とようけ の おおかみ)と同一視されていることも多いです。
豊受は、アマテラスが食事に困ったらダメだからと、丹波(大坂)から伊勢神宮に移された食物の神さま。
(これも女神。)
ボクが生まれたところの近所の祠も保食神社で、説明の碑に豊受大神を祀ってあると書いてありました。
(『な~んだ。わざわざ伊勢神宮に行かなくても良いじゃん』と少し思った。)
昔の日本は伊勢信仰、お伊勢参りが一大レジャーだったので、それにあやかってるんじゃないかな?
バブル期に収益とか無視して、遊興施設を作りまくったみたいな。
『オラが村にもお伊勢参りができるところを作ろう』が、保食神社が全国に広まった理由のひとつなのかもしれません。
ちがうか...。それなら伊勢の主人公、内宮のアマテラスを祀るはずだし。
伊勢神宮の外宮を造ったのは第21代 雄略天皇。
天皇のまわりの皇子たちを皆殺しした、歴代天皇の中でも大悪王として有名。