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なぜ河内源氏だけが大きくなれたのか?
河内源氏が凄いのは、ほかの武将の源氏とちがって都まわりから東国へ勢力を拡大したところです。
河内源氏は最初から摂関家に近づいて勢力を拡大してきました。摂関政治の最高潮・藤原道長(ふじわら みちなが)のときに四天王に入っていることからも分かります。
河内源氏の頭がいいのは、東国から京都への出入り口と、東国の主要拠点をすべて押さえているところです。新幹線と高速道路にアクセスがいいところ、主要都市を押さえるようなもの。
オセロの4隅を最初に獲っちゃう感じでしょうか?
なんで先輩武将でガチで強い坂東平氏を抜き去って歴代鎮守府将軍までなるのか分かります。
美味しいところをぜんぶ押さえたから。東山道は完全制覇で都と東北を一直線に結んでいます。
美濃 (みの) | 岐阜。 東国から都に入る玄関口。 |
甲斐・信濃 (かい・しなの) | 山梨・長野。 東国内陸部の幹線沿い。 (東山道) |
常陸 (ひたち) | 茨城。 |
上野 (こうずけ) | 北関東(群馬) 東山道と東北をつなぐ。 |
下野 (しもつけ) | 北関東(栃木) |
陸奥 (むつ) | 福島・宮城・岩手・青森 東北の中心。 鎮守府があった。 |
出羽 (でわ) | 山形・秋田 |
五畿七道(ごきしちどう)
古代から平安時代にかけての日本の首都圏と、幹線道路とその周辺の地方ブロック。
首都圏を畿内(きない)と言い5つに分けた。
道路は7つに分けた。〇〇道は道路周辺の地方も指す。州みたいなもの。
畿内 | 首都圏。 おもに、奈良、滋賀、京都、大阪。 |
山陽道 | 本州西部の瀬戸内海側。 おもに、兵庫南部、岡山、広島、山口。 |
山陰道 | 本州西部の日本海側。 おもに、京都北部、兵庫北部、鳥取、島根。 |
南海道 | おもに、四国、淡路。 |
西海道 | 九州全域。 |
東海道 | 本州東部の太平洋側。 おもに、三重、愛知、静岡、関東圏。 |
東山道 | 本州東部の山間部と東北全域。 山間部はおもに、滋賀、岐阜、長野、群馬、栃木。 |
北陸道 | 本州東部の日本海側。 おもに、福井、石川、新潟。 |
北海道、沖縄は入っていない。当時の日本人に領土意識がないから。奄美を含む南西諸島、小笠原諸島は微妙。
今でも『北海道』にその名残がある。当時は七道に入ってなかったのに。
強い坂東平氏は避けた?
ただ、武将の先輩、坂東平氏の拠点は外しています。すでに平氏の勢力が強いところはケンカせずで空いたところを埋めていきました。
〇〇源氏と〇〇平氏と呼ばれるもので両方ともある地域はほぼありません。常陸(ひたち。茨城)ぐらいじゃないかな? あるのは。
常陸は最初に平氏が入って常陸平氏になり、その後、河内源氏が入ったときに土着した棟梁の妻を常陸平氏から迎え、その勢力を吸収して常陸源氏になった。
次は
武士の源氏と八幡さま
前は
河内源氏のクライマックス。八幡太郎義家(はちまんたろうよしいえ)
- P1 もともと源氏は藤原氏と双璧をなす貴族
- P2 国司になって軍団を使えるようになる
- P3 最初は失敗の連続。ポンコツの清和源氏
- P4 ひと味ちがう。河内源氏の祖・源頼信(みなもと の よりのぶ)
- P5 河内源氏のクライマックス。八幡太郎義家(はちまんたろうよしいえ)
- P6 なぜ河内源氏だけが大きくなれたのか?
- P7 武士の源氏と八幡さま
- P8 その後の河内源氏