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国軍の放棄。軍事の地方分権
第50代 桓武天皇は平安時代の最初の天皇です。この天皇、ただでさえ国軍がないのに、さらに軍政改革をすすめました。
軍事力を地方に分散させ国司を軍の司令官にします。これだと首都が手薄になるので、近衛府とはべつに検非違使(けびいし)を作りました。
警察の仕事は検非違使がすべて行うようになり、近衛府は左大臣などに出世していく貴族の通過儀礼の役所になっていく。
(エラい人は途中で右近衛大将、左近衛大将を歴任する。)
近衛府は警察のキャリア官僚。検非違使はノンキャリア官僚。
また、地方に分散させた司令部・国司をまとめる征夷大将軍を作りました。
このときの日本の軍隊は、ふだんは国司が地方の争いを解決し、規模が大きくなると征夷大将軍が国司を集めて臨時国軍を作って戦争をしました。
(といっても、国軍を使うほどの戦争はほとんどなかった。)
『征夷大将軍は臨時職』は不思議に思う人もいるでしょう。それは、鎌倉時代以降の幕府の将軍 = 征夷大将軍のイメージがあるからです。
検非違使と征夷大将軍も令外官です。
征夷大将軍は臨時職。
常設軍をもっていたのは地方の国司。
手薄になった都の警護のために検非違使を作る。
征夷大将軍と検非違使はセットで、桓武天皇が軍事を地方に丸投げしたから作ったと覚えよう。
征夷大将軍は最初、大規模な戦闘が起きるときだけ任命されていた。坂上田村麻呂(さかのうえ の たむらまろ)など。
鎌倉幕府ができて、征夷大将軍が継承され常にいるようになると、軍司令ナンバー1は鎮守府将軍から征夷大将軍に変わる。
(鎮守府は幕府の影響が東北にまで及ぶと鎌倉政権に吸収・廃止された。)
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