『男尊女卑』『女性蔑視』の思想はどこから生まれたのでしょうか?
それは『男系主義』という考え方が大きく関係しています。男系主義とは何かを見ていくと、男尊女卑・女性蔑視の答えが分かります。
まずは男系主義から見て、男尊女卑、女性蔑視を見ていきましょう。
男系主義とは何か?
男系主義とは、男性のDNAが『家』という集団で最も価値がある考え方です。
昔は『家の後継者は長男』という常識がありましたね?これにも男系主義が入っています。
この『家の中の常識』が『一族』、『地域』、『国家』、『社会』と広がっていって男性優位の社会になります。その中で『男尊女卑』『女性蔑視』の思想も生まれ、集団の規模が大きくなればなるほどその思想も広がっていきます。
男系社会の誕生には戦争が関係している
男系主義が浸透した社会を『男系社会』と言います。
男系社会は、暴力・戦闘の価値が最も高まる戦乱が続いた社会で生まれるといわれます。暴力・戦闘は男性が女性に勝っている能力だから。
ここでは日本の男系社会についての話なので、東アジア、とくに中国の男系社会について話しましょう。
中国はもともと母系社会でした。中国では紀元前、秦が統一国家をつくる前の春秋・戦国時代を経験して完全な男系社会になったといわれます。
当時の日本には男系主義は入っていません。日本はまだ各地に小さな集落をつくっていたぐらいの集団生活の弥生時代です。
まだ小国家が集まっていたくらいのものでした。
これぐらいの感覚だったでしょう。
- 日本に男系主義はなかった。
- 男尊女卑の思想もなかった。
『男尊女卑』『女性蔑視』の思想は輸入されたもの
日本列島には男系主義が入っていないので、男尊女卑、女性蔑視なんてものがあるはずがありません。いまの女性から見ると羨ましいかぎりの世界でしょう。
では日本の男系主義は自分でつくり出したものでしょうか?
そうではありません。日本の男系主義は中国に大きく影響されています。
男系主義は、5世紀の倭の五王の時代に日本に入ってきたのが有力です。古墳時代です。聖徳太子の登場の100年ぐらい前といえば、どのくらい古いか分かるでしょう。
倭の五王(わのごおう)
中国の『宋書』に書かれた日本の5人の王のこと。
5世紀のおよそ100年間、日本が中国に貢ぎ物をして、その見返りに王の称号をもらっていた。
それが5人の天皇だったといわれている。(確定していない。)
また、中国の将軍にも任命されていた。
宋書の王 | 与えられた将軍 | 天皇 |
---|---|---|
倭国王・讃 (さん) | ??? | 第16代 仁徳天皇 |
倭国王・珍 (ちん) | 安東将軍 | 第18代 反正天皇 |
倭国王・済 (せい) | 安東将軍 | 第19代 允恭天皇 |
倭国王・興 (こう) | 安東将軍 | 第20代 安康天皇 |
倭国王・武 (ぶ) | 安東大将軍 ↓ 鎮東大将軍 ↓ 征東大将軍? | 第21代 雄略天皇 |
ランク | 将軍 | ランクイメージ |
---|---|---|
1 | 車騎将軍 | 皇帝直属の将軍。 中国軍本体。 戦車・騎馬隊? |
2 | 征東大将軍 | 東部方面司令の大将 |
3 | 鎮東大将軍 | 東部方面司令の中将 |
4 | 安東大将軍 | 東部方面司令の少将 |
5 | 征東将軍 | 東部方面司令の大佐 |
6 | 鎮東将軍 | 東部方面司令の中佐 |
7 | 安東将軍 | 東部方面司令の少佐 |
※ 中国からみた東国を担当する将軍。
※ 『東を征服する』『東を鎮圧する』『東を安定させる』の順にランク付け。
これが日本と中国の本格的な外交のはじまりで、将軍は中国皇帝の部下なので中国の属国になる。安東将軍はランクが低い。
(日本は朝鮮王より低いランクから始まった。それからランクアップしていく。最終的に朝鮮に並んだとかいないとか。このへんは微妙。)
天皇のまわりの豪族たちにも欲しいと日本から要求したので、称号は天皇以外ももらっていた。
九州などの豪族たちも、ヤマトを無視して称号をもらっていたとされる。
損をしているように見えるが、中国の世界最先端の技術・文明が日本に入ってきた。
このとき、母系社会の日本に男尊女卑・男系思想が入ってきたと言われる。
当時の中国は南北朝時代で、日本は南朝の宋(劉宋)と国交を結んでいた。
(北朝はすぐに東西に分裂し南朝よりも不安定だった。)
このとき倭(わ。やまと。日本の前身)は、いままで経験したことがないくらい外国、南朝の宋と親密な外交関係を結んでいました。そこから男系主義が入ってきたとされます。
しかし当時の日本の社会は、まだ男系社会になっているとはいえません。
日本に男系主義が入ってきたのは聖徳太子が登場する100年前。
東アジアの男系主義
東アジアの男系主義は中国が中心です。中国は春秋・戦国時代を経験して、紀元前3世紀に男系社会になりました。
いまでも中国は『夫婦別姓』です。男女平等とは真逆の意味で。
男の家に嫁いだ女性は、死ぬまで男の家のものとして認められない
という意味で、中国の女性は結婚しても、名前では自分の父の家の人として生きます。
中国では、
女性は家の後継者を産む要員で家族ではない
という、これぞ男尊女卑になっています。
中国に強く影響された朝鮮半島も夫婦別姓です。理由はおなじ。
また『家』という単位で、最近まで女性は排除されてました。同じ姓をもつ、同じDNAのルーツをもつ者同士の結婚は認められませんでした。
(同姓でも出身地が違えば認められます。)
日本人の感覚では兄妹が結婚するようなものです。それだけ気持ちの悪いもの、やってはいけないタブーでした。
- 東アジアの夫婦別姓は男尊女卑の名残り。
- 近親結婚は男系主義ではタブー。
男系主義に抵抗するいじらしさ
日本の場合、男系主義が入ってからも天皇の近親結婚はあたりまえでした。飛鳥・奈良時代だけでも数えるのが大変なくらい。
飛鳥・奈良時代は歴代天皇の半分が女帝です。これも男系主義ではありえないことです。
しかし、少しずつ男系主義に寄っていく様子が見えてきます。
飛鳥時代なると、天皇の異母兄弟の結婚がなくなっていきます。叔父と姪、伯母と甥など、近親結婚でも少しづつ血統が遠くなりました。
平安時代には、あれほど出ていた女帝がパタリと誕生しなくなりました。
近親結婚は激減します。男系主義が伝わってから300年もたってようやく浸透しはじめたようです。
日本が男系主義を徹底できなかった名残り
同じ東アジアの日本では男系主義が徹底されませんでした。
日本はいまでも、いとこ同士の結婚が認められています。また、日本には女性の家に男性が入る婿養子があります。
これは、中国や、中国に強く影響された朝鮮半島などの国ではありえない考え方です。男系社会では許されません。
日本という国は、何でも自分流に変えたくなる性格をもっているようです。男系主義も300年寝かせたことで自分流に変えてしまいました。
日本人のこういうところが、中国や朝鮮にとってイラッとするところです。
しかも、この自分流が欧米などで『日本のカッコいい文化・姿』として評価されることがあるのでよけいに。
日本人は大マジメに『改良』しているつもりが、中国や朝鮮から見れば
マジメに取り組んでいない
本気で学ぼうという気がない
と見えるのでしょう。
このように、日本は中国に強く影響されていますが、日本独自の『男系・女系にこだわらない』という思想が、『不完全な男系主義』としていまでも残っています。
- 日本は男系主義を受け入れるのに300年かかっている。
- それでも完全な男系主義になれなかった。
男系・男中心の社会はいつ始まったのか?
日本で『男尊女卑』があたりまえになったのはいつからでしょうか?男系・男中心の社会がいつはじまったのでしょうか?
これははっきりしません。長い時間の中で少しずつそうなったというのが本当のところでしょう。ただしある程度の推測はできます。
最初に男系を取り入れたのは大化の改新
男系主義は5世紀の倭の五王の時代に中国との親密な交流で日本に入ってきました。
そして、最初に男系のかたちがあらわれるのが645年の大化の改新です。
大化の改新では身分制度をきちんと決めました。男女の法です。
その中で、いい家に生まれた男といい家に生まれた女の子どもは父の氏族に属するというルールがありました。
これぞ、男系主義です。
これも中国の影響大です。大化の改新は国のかたちを律令国家にするというスローガンです。
律令国家は男系主義がベースにあります。律令制度を取り入れたので男系ステップがワンランク上がりました。
律令(りつりょう)
律(りつ。刑法)と令(りょう。民法、行政法)からなる憲法みたいなもの。
7世紀の当時、世界の先進国の1つだった中国から伝わる。
日本は世界の先進国の仲間入りを目指して導入し始めていた。
律令で統治された国家を律令国家、その政治システムを律令制という。
ちなみに、良家の男と身分の低い家の女の間の子は賤民(奴隷みたいなもの)というルールもありました。
これは日本のオリジナルです。中国の男系主義では、男性のDNAが大事で女性の身分は関係ありません。
良家の男の子どもは、母の身分はどうでもいい
それが日本では、女性の身分が子供の身分に影響しました。女系重視が残っています。
平安時代に受け入れた?
このように日本では、中国の男系主義を100%受け入れていません。
飛鳥・奈良時代は、天皇の近親結婚、多くの女帝の即位などから、完全な男系社会になっているとはいえません。
しかし平安時代になると一変します。
女帝が即位しなくなり、天皇が近親者と結婚するのも激減しました。また、通い婚から嫁取り婚へ変わっていきます。
通い婚(かよいこん)
結婚しても一緒に住まない形態。
男性が女性の家に通うことが名前の由来。女性は男性の家に行くことはない。男性は複数の妻を持つことができた。
一夫多妻制の別居婚。
生まれた子どもは妻の実家で育つ。
通い婚は、妻問婚(つまどいこん)の一種で、母系社会にある結婚のかたちです。
財産はそれぞれで管理し、子どもは母の家が育てます。
女性が独立していたんですね?
これが、女性が男性の家に嫁ぐスタイルに変わります。
このころ武士が台頭するのですが、武士にとって都合のいいスタイルだったのでしょう。
武士にとって男系は都合がいい
平安末期になると武士の台頭で男性優位の社会を否定することができなくなります。
武士は戦争の専門家なので男系主義を受け入れやすい体質をもっています。また武士はもともと下流社会の人々です。
それが上流社会だけにあった男系主義を日本の社会全体に広めたと思われ、結局これが現代までつづいてきました。
このように見てみると、日本の男系・男中心の社会はいつはじまったのか?と言われれば、
考え方はすでに古墳時代に入ってきていて、300年の熟考・試行錯誤の期間を経てから平安時代に一気に広まった
とするのが一番納得のいく答えだと思います。
『男尊女卑』『女性蔑視』思想は明治に入ってからが強烈だった
日本は『武士の国』というイメージが強いですが、じっさいは『農業国家』です。
農民には男系主義なんてどうでもいいですが、戦争になると武士になるので男の子が大事になります。
戦争で死んでしまったら力仕事をする人が減っていきますからね?
このように武士の時代にじわじわと男系主義が広がったのでしょう。
明治維新が男系主義の最終形態
そして、男系主義の完成形が明治維新です。
国民国家は国民皆兵
が基本です。いざというとき動ける男は軍人になります。これが男系主義をさらに強化させました。
天皇の皇位継承や相撲から女性を排除したのも明治に入ってからです。
この時代は帝国主義のど真ん中で、日本人は外国から攻められて奴隷にされるのではないかといつもビクビクしていました。また、戦争に備えるため、国家も国民も覚悟していた時代です。
だからこそ男系主義が必要だったのでしょう。でもこれは『男尊女卑』『女性蔑視』が強く出てしまいました。
明治、大正、昭和の日本は『男尊女卑』が充満していました。もしかすると日本の長い歴史の中で一番『女性蔑視』が行われたのかもしれません。
日本は近代に入ってからのほうが男尊女卑が強い。
男系主義は因習
いまの時代、
男が女より無条件にえらい
といったら袋叩きです。そんなことを言う旦那さんがいたら離婚されます。それぐらい男系主義は昔の遺物になっています。
それにはウーマン・リブ(女性解放運動)の影響があるでしょうが、ぼくは、国民国家の『国民皆兵』が減っているのも関係している思います。
いま男性で、
いざというとき、自分は軍人になる
と思っている人はどれくらいいるでしょうか? ほとんどいないと思います。ぼくも微塵も思っていません。
昔と比べて今は、男性が女性より優位な暴力を使う機会がありません。
いま男性が優位にあるのは、出産がないので仕事に没頭できる、自分のキャリアが一時停止しないくらいでしょう。
これだけ世界が変わるなか、
男系主義が伝統
と言っていいのでしょうか?
男系主義は必要があったから出てきたものです。日本にはもともとなく、輸入したんだから伝統のはずがありません。
これはいまや因習です。必要になったから取り入れただけで、不要になれば捨てても良いものです。
よく男系天皇を女性蔑視とか、不平等とか耳にします。本当にそうなのでしょうか? 男性は男系天皇の血統がないと天皇陛下として皇室には入れません。しかし女性は極端な話ですが、日本女性なら誰しも皇后陛下として皇室に入れます。従い、女性蔑視と騒ぐのはただ単に、天皇陛下の存在を認めたくない、皇室を破壊したい輩だけなのです。
コメントありがとうございます!
最初のコメントをもらうとやっぱりいいですね。
ちょっと話がながくなります。それだけの指摘だったので。
男系天皇を『女性蔑視』の点から見るのは2パターンが考えられます。
ひとつは、ジェンダーフリーの考え方。『不平等』もつける人たちですね。
ぼくは、これに100%賛成はできません。ジェンダーフリーは急進的な運動になってわけが分からないところに行くこともあるので。
ご指摘のように、この中には潜在的に『天皇制反対』の道具に使うために女性蔑視、不平等を言う人もいると思います。いや絶対にいるでしょう。
もうひとつは、男系継承に伝統の面から異論が出ていても、それでも女性を否定するのは、もう男尊女卑から抜けてないとしかいいようがないですよね?という意見。
ぼくはこっちのほうです。
いまの皇室は過去に例がないことをしないと続きません。
ひとつは女系を認めること。
もうひとつは、男系血筋でいえば過去に例がないほど血統が遠いところから連れてくること。
選択肢は2つです。これを選ぶ以外解決策はないです。
ぼくは女系容認ですが、理由はあります。
『天皇が天皇たるゆえんは女系を否定していない』から。
天皇の正統性は神話のカミサマの世界を無視したら担保されません。
天上界のカミサマのリーダーのアマテラスから孫・ニニギノミコトに、
『地上を統治しなさい』
『ニニギノミコトの血統で継承しなさい』
といった『天壌無窮の神勅』(てんじょうむきゅうのしんちょく)です。
そして、それを証明するために与えられたのが『三種の神器』です。
三種の神器はカミサマの世界でしか説明できません。
それをいまでも引き継いでいるのが『天皇が天皇であるための証』です。
その証拠に、上皇陛下の退位と今上陛下の即位の儀式で、細長い箱と玉手箱みたいなものを職員が持ち運んで、ただの箱なのに?すごい神聖なものとしてお辞儀をしてましたよね?
あの箱の中身が三種の神器のうちの2つです。細長い方が『草薙の剣』(くさなぎのつるぎ)、玉手箱の方が『八尺瓊勾玉』(やさかにのまがたま)。
もうひとつは『八咫鏡』(やたのかがみ)ですが、これは動かすものではないのであの儀式ではありませんでした。
カミサマの世界から天皇の正統性を見ないのならあの光景はいらないはずです。
この神話の天皇の正統性の話で、『男系の継承』は絶対条件に入ってないですよね?
そもそも、ニニギノミコトがアマテラス(女神)の女系血統ですから。
初代・神武天皇は血統ではアマテラスの6代目子孫です。
宮内庁所管の『皇統譜・旧譜』にもアマテラスは『世系第一』、神武天皇は『世系第六』と書かれています。
神武天皇も血統からみた正統性でいえば、『アマテラスの女系子孫6代目』です。
初代天皇ですら女系血統を否定できません。それをしたら、歴代天皇の全員の血統はどうでもいいことになります。
だから、女系継承でも問題ないと考えます。そもそも天皇の血統が女系はじまりなので。
それと、天皇は血統だけに正統性があるわけではありません。
天皇の帝王学には『血統を理由にヨイショしてくる臣下には気をつけろ!』という注意喚起が昔からあります。
天皇には『皇統にふさわしい行動・言動をとれ!』という教えが昔からあります。
天皇陛下自身が『血統だけ』で天皇になっていないことを分かっていらっしゃいます。
そんなところに、『男系の血統をもっている』というだけで入れるでしょうか?
皇室の方々は拒否します。『血統だけ』の人には気をつけますから。
血統+αの総合力で、女性皇族の内親王よりも旧宮家家系の一般国民男子の方が天皇にふさわしいというなら、それを証明しないといけません。
ただ、愛子さま、眞子さま、佳子さまのポイントは想像以上に高いですよ?
あの上皇陛下、上皇后陛下のお孫さんで生まれたときからご家族として触れられ教育されてますから。
そもそも『内親王』は皇位継承権をもっている女性のための称号です。もともと。
その内親王の方々よりも、男系男子の国民の方が天皇にふさわしいと言っているのに、それを証明している人はいますか?
ただ『男系の血統だけ』を言いつづけてますよね?10年以上も。
それよりは女系の方がいいと言っているわけです。
さいごに、ジェンダーフリーを完全否定しないのは、『天皇は時代に合わせて変化する』からです。
ジェンダーフリーにも、世の流れの『あたりまえ』になる部分はあります。
ほんの数十年前まで、女性の就職は男性社員のお嫁さん候補のためでしたよね?会社は戦力としては見ていませんでした。
ことばは悪いですが、女性の就職面接は男性社員に女をあてがうための『いい女探し』でした。
ナンパするヒマもないほど働かせたくて、会社が『ナンパ代行業』もしていました。
でもいまそんなことすることはありえないです。それだけ世の中のあたりまえは変わっています。
それなのに天皇だけ特別だからとしたら、国民と皇室の信頼の距離が遠くなってしまいます。
信頼関係のない皇室はその時点でおわりです。皇室はずっと時代の要請に応えてきました。
そうじゃないと、民衆が暴動を起こしてどこかで殺されてたでしょう。ほかの国の皇帝みたいに。
ぼくのいう男系継承=男尊女卑は、天皇の歴史の中から女系のことを無視して『男系継承が伝統だ』はちがうんじゃないですか? ということです。
『女系の伝統もみましょうよ』という意見です。
それでも女系を無視するなら、その原因は男尊女卑いがい何がありますか?という意見です。
もっと広く歴史の全体像をみて、いまの皇室の消滅危機をのり越えませんか?といっているだけです。
だって、天皇の血統のはじまりが女系なんだから、それを無視したら天皇の血統の正当性が総崩れですよね?
そうなると日本人はなにを守ってきたことになるのでしょうか?
日本人は、千何百年も『どこの馬の骨ともわからない何者か』を戴いてきたアホアホマンってことになりませんか?