第36代 孝徳天皇 日本で初めての元号・大化。最後は総スカン食らって孤独死

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孝徳天皇 陵墓

歴代天皇 - 女帝中心の時代 -

孝徳天皇(こうとく)は、あの『大化の改新』をおこなった天皇です。日本で初めて元号を制定しました。『大化』です。

でも、最後はみんなに嫌われて勝手に都を移されて、悲しみに暮れるなか孤独死します。

というか周りの人がヤバいと思うんですけど。

孝徳天皇は史上初の改元をした天皇でもあります。

古代 飛鳥時代

  • 皇居
  • 難波長柄豊崎宮
    (なにわのながらのとよさきのみや)

  • 生没年
  • 596年 ~ 654年10月10日
    推古天皇4 ~ 白雉5(はくち)
    59才
  • 在位
  • 645年6月14日 ~ 654年10月10日
    皇極天皇4 ~ 白雉5
    10年
  • 名前

  • (かる)
  • 別名
  • 天万豊日天皇
    (あめよろずとよひめ の すめらみこと)

  • 茅渟王
    (ちぬ の おおきみ)

新しい国のかたちのリーダーとして即位

乙巳の変のあと、皇極天皇は皇太子の中大兄皇子(なか の おおえ の みこ)に皇位を譲ろうとします。

しかし皇子は断ります。代わりに皇極天皇と両親がおなじで叔父さんの軽皇子(かる の みこ)を推薦しました。孝徳天皇の即位です。

孝徳天皇は、譲位によって即位したはじめての天皇です。

孝徳天皇の時代の皇太子は引き続き中大兄です。中大兄は3回目の皇太子です。

スゴイですね?皇太子は次の天皇になるためのものですが、中大兄は2回も天皇になっていません。

このあたりの不思議さは天智天皇のところで書きます。(作成中)

乙巳の変(いっしのへん)

645年、第35代 皇極天皇(こうぎょく)の目の前で、息子で皇太子の中大兄皇子(なか の おおえ の みこ)が蘇我入鹿(そがの いるか)を殺害した事件。これで蘇我氏は一気に衰退する。

-> くわしくは皇極天皇のところで

これをきっかけに、天皇中心の国家建設を目指す政治運動が始まる(大化の改新(たいかのかいしん))。

律令(りつりょう)

律(りつ。刑法)と令(りょう。民法、行政法)からなる憲法みたいなもの。

7世紀の当時、世界の先進国の1つだった中国から伝わる。

日本は世界の先進国の仲間入りを目指して導入し始めていた。

律令で統治された国家を律令国家、その政治システムを律令制という。

孝徳天皇は、中大兄の妹で天皇の姪っ子の間人皇女(はしひと の ひめみこ)を皇后に迎えました。

あとでわかりますが、これは皇極上皇・中大兄の意向がはたらいています。

分かってるよね? ピンチヒッターで、そのあとはまたこっちが引き取るよ?

というメッセージつきで。

孝徳天皇 image
宮内庁HPより抜粋 一部筆者加工

孝徳天皇はあの『大化の改新』の天皇です。日本ではじめて元号をたてました。そこからものすごい勢いで改革していきます。これが大化の改新です。

改革その1 天皇に忠誠を誓わせる

日本ではじめての元号は『天皇に忠誠を誓わせる』ためにつくりました。

乙巳の変のすぐあと孝徳天皇の新政権は、はじめに群臣を集めて決起集会を開きます。そのときに元号を使うこと、そして元号は『大化(たいか)』であることを発表します。

大化は

天子の広大な徳を人民に及ぼす

という意味です。『徳を及ぼす』は、人民に天皇の存在を知らせるという意味で、元号を制定することは『これから天皇を中心とした国家をつくるぞ!』という宣言です。

蘇我氏のような勝手なことをするのは許さないという決意です。

改革その2 難波遷都

乙巳の変から半年後の大化元年12月には難波(なにわ。いまの大阪府)に都を移します。さすがに殺人事件をおこした場所では新しい出発はできないと考えたのでしょう。

孝徳天皇を支える人たちは暗殺を実行した人たちばかりです。できれば思い出してほしくなかったのかもしれません。

天皇の目の前で殺人を犯した犯罪者

という事実を。

改革その3 律令国家をめざす

乙巳の変の後、数か月のあいだに大改革を行います。ほとんど蘇我氏のような特定の豪族が勝手をしないような改革です。そしてここで中国の律令制度を導入します。

陵墓を自由に作らせない。身分によって陵墓の規模などのルールを見直した。
天皇の陵墓は7日以内につくるなど。
古墳時代が終わる。
(7日で古墳はつくれない。)
太政官の設置右大臣・左大臣など新しい役職をつくる。
大臣・大連は廃止。
特定の豪族が世襲で高位につくのをやめる。
氏姓制度が終わる。
冠位の改定聖徳太子のころに制定された冠位十二階の変更。
太政官を設置したので見直した。
その他いろいろ天皇を中心とした中央集権型の律令国家をつくるためのいろいろな改革。
大連(おおむらじ)と大臣(おおおみ)

大連は、古代のヤマト王権の最高の役職。連(むらじ)の姓をもらった氏族の実力者が代々つとめた。大伴氏(おおとも)や物部氏(もののべ)。

大臣も古代のヤマト王権の最高の役職。臣(おみ)の姓をもらった氏族の実力者が代々つとめた。葛城氏(かつらぎ)や蘇我氏(そが)など。

大臣は、300年5代の天皇に仕えたとされる伝説の臣下、武内宿禰(たけうちのすくね)の子孫たちで占められる。

大連は、ヤマト王権では軍事・警察を担当した。

よく、大臣はもともとヤマトと同格の氏族でヤマトの協力者、大連は昔からヤマトに仕えた臣下といわれるが、武内宿禰が伝説の臣下なのであてはまらない。

ちなみに、大臣は妃を出せるが大連は出せない理由も、もともと同格の大臣からは出せて臣下からは格が違うから出せないとの説で説明される。

しかしこれは、武内宿禰は第8代 孝元天皇の子孫だとされるので、由緒ある家柄だから嫁に出せたという理由の方が説明がつく。大伴・物部氏の祖先は天皇ではない。

連も臣も氏姓制度で設けられた姓。

いまでも政治の最高実力者は総理大臣、外務大臣など大臣(だいじん)というが、ここに由来があるのかどうかは分からない。

(個人的にはあるような気がする。)

これを見ると大きな改革だということが分かります。古墳時代が終わり、氏姓制度の廃止によって天皇が有力な豪族たちをまとめる政治体制も終わりました。

ようは力のある豪族のメンバーだからといっていい役職につけるとはかぎらないということですね? 制度上は個人の実力社会です。官僚社会ともいいます。

(といっても世襲はつづくのですが)

ここで太政官という制度がはじめて登場しました。なじみのある右大臣・左大臣も日本で登場します。

この太政官制度は明治の議会設置まで1200年以上もつづきます。これに皇太子の中大兄を加えた布陣が孝徳天皇の新政権です。

皇太子中大兄事実上の政権トップ。改革のすべては中大兄が中心に行われた。
左大臣阿部内麻呂臣
(あべ の うちまろ の おみ)
推古天皇が亡くなったとき、田村皇子(舒明天皇)と山背大兄皇子のどちらを後継にするのかザワついていた。
そのとき最大権力者の蘇我蝦夷(そが の えみし)から相談されるほどの実力者。
乙巳の変には参加していない。
蘇我氏とその他の豪族と両方うまくやっていた中立の立場だった。
孝徳天皇に娘・小足媛(おたらしひめ)を妃に嫁がせていたので重用されたともいわれる。
小足媛は中大兄にだまされて殺されたとされる有馬皇子(ありま の みこ)の母。
右大臣蘇我倉山田石川麻呂
(そが の くらやまだ の いしかわまろ)
乙巳の変で朝鮮使節の親書を読み上げて暗殺のタイミングをはかるための時間稼ぎをした。
内臣中臣鎌足うちつおみ/ないしん。
令外官。太政官にない官職。
中大兄を補佐するためにつくられた。
乙巳の変で活躍した鎌足のためにもうけたと思われる。
のちの内大臣。
この格別の待遇が平安時代の藤原氏の隆盛のきっかけになる。
令外官(りょうげのかん)

律令制度の令(行政法)にない官位のこと。特別職。臨時職。

にある(令にない)位』という意味。摂政・関白、内大臣など。

正式な官位じゃないので比較的自由な立場で仕事ができた。また、正式な官位と兼務ができた。

太政官(だいじょうかん)

律令制のなかで政治を動かすトップの組織。いまでいう内閣みたいなもの。

他の官位と同じように四等官で4つの序列があった。

長官
(かみ)
太政大臣
左大臣
右大臣
内大臣(令外官)
次官
(すけ)
大納言
中納言(大宝律令で廃止。令外官として復活)
参議(令外官)
判官
(じょう)
少納言など
主典
(さかん)
省略

左大臣は総理大臣みたいなもの。行政の全責任を負う。

最初はなかったがあとで左大臣のさらに上を行く太政大臣ができた。

明治新政府で置かれた太政官は同じものではなく、似たようなものをつくって置いた。『だじょうかん』といい呼び方も違う。

明治18年に内閣制度ができたので消滅する。内閣制度はイギリスがモデルだが、いまでも名前で太政官が受け継がれている。

内閣の一員 -> 大臣(だいじん)

官僚組織 -> 長官(ちょうかん)、次官(じかん)

日本では大臣を『相』ともいう。呼び方が2つあるのは輸入品に日本人が分かりやすい呼び方もつけたから。

総理大臣 = 首相

財務大臣 = 財務相

○○相モデルにしたイギリスの議院内閣制の閣僚の日本語訳
○○大臣太政官の名残り。日本だけ。

政治ニュースでよく見てるとわかる。外国の政治家には『大臣』といわず『相』といっている。

ちなみにアメリカのような大統領制の『長官』は太政官の長官(かみ)とは関係ない。日本人に分かりやすいようにあてはめただけ。

大臣は『天皇の下のリーダー()』という意味。天皇がいないと大臣は存在できない。天皇の『臣下=君主に仕える者』だから。

この改革は半年くらいで一気におこなったので、たくさんの不満や反感をかかえることになります。

気に入らなければ殺す?

中大兄皇子の政治は『敵は殺す』です。そもそも、はじまりの乙巳の変で蘇我入鹿を暗殺しました。

同じ年(大化元年)には、母親違いの兄・古人大兄皇子(ふるひと の おおえ の みこ)を殺します。

古人大兄は蘇我入鹿に推されていた舒明天皇の長男で、母親は蘇我馬子の娘です。

(古人大兄は入鹿のいとこの息子)

舒明天皇の長男ですが、皇后の息子ではないので皇太子は弟の中大兄です。入鹿が生きているときには、大逆転の古人大兄の天皇即位計画までありました。

それもあってか、乙巳の変のあと古人大兄の反乱計画を密告する人がでてしまい、中大兄は古人大兄を襲撃させ一族全員を滅ぼしました。

大兄(おおえ)

『いちばん上の兄ちゃん。将来のいちばん偉い人』の意味。名前に大兄がつく人は将来の天皇候補ナンバーワンになる。

『兄』は目上の尊敬する人に使う『様』みたいなものなので『大兄』の威力は絶大。

歴史の教科書に出てくる中大兄皇子(なか の おおえ の みこ)は皇太子で天智天皇になった。

649年(大化5)には、右大臣の蘇我倉山田石川麻呂の中大兄暗殺計画が密告され、追いつめられた石川麻呂と妻や子供が自殺してしまいます。

でも、石川麻呂は濡れ衣を着せられていました。石川麻呂が嫌いなだれかが密告したのでしょう。

これをみても、中大兄の政治は『密告すれば、とりあえず殺す』だったようです。何もしていないのに石川麻呂が自殺するくらいですから。

中大兄の政治は恐怖政治

史上初の改元

孝徳天皇は、はじめて年号を制定しただけでなくはじめて改元した天皇です。

密告・殺害が続いたので気分を変えたかったのでしょう。大化6年には『白雉』(はくち)に改元します。

これが最初の改元です。

白雉は、穴戸国(あなとのくに。いまの山口県)から朝廷に白い雉(キジ)が献上されたので、これはめでたいとなって新しい元号になりました。

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これってめでたい?

と思うのはぼくだけでしょうか?

あまりにも殺伐としているので、なんでもいいからめでたいことにして強引に改元したようにしか見えません。

またまた遷都する

孝徳天皇の時代は動きがはやいです。たった5年で年号を白雉に改元し、その年におなじ難波(いまの大阪府)の長柄豊崎宮に遷都します。

中大兄はこの遷都が気に入らなかったのか、もともと孝徳天皇が嫌いだったのか大和(いまの奈良県)に帰りたいといい始めます。

ここから孝徳天皇の不幸がはじまりました。

イジメられてひとりになる

644年(白雉4)、ついに中大兄は、母親の皇極上皇、妹で孝徳天皇の皇后・間人皇女、弟の大海人皇子(おおあま の みこ。のちの天武天皇)など、全員を連れて大和に帰ってしまいます。孝徳天皇ひとりをのこして。

すごいです。ただのイジメです。イジメられたのが天皇です。

中大兄は孝徳天皇のなにが嫌いだったのでしょうか?

ぼくは、孝徳天皇が『天皇らしくなった』のが原因だと見ています。

中大兄はどちらかというとオラオラ系です。密告があればちゃんと調べずに殺すくらいの。

『オラオラ』度数は、蘇我氏とたいして変わらないんじゃないかというくらい自分本位です。

(じつは中大兄じゃなくて皇極上皇がオラオラ系で、中大兄はそれにしたがっていただけのようですが。くわしくは斉明天皇で。(作成中))

これがピンチヒッター・孝徳天皇が嫌われた原因です。孝徳天皇が自分で政治をやりだしたら中大兄の出番はないですからね?

ひとりぼっちになった孝徳天皇は天皇を辞めることまで考えます。

ショックを受けた孝徳天皇は翌年に病気になり、ひとりぼっちのまま死んでしまいました。

先代の皇極天皇も史上初を3冠達成した天皇でしたが、孝徳天皇も史上初を3冠達成した天皇です。

孝徳天皇の3冠

  • 譲位を受けて即位
  • 年号の制定
  • 改元の実施
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第44代 元正天皇 唯一母親から娘への母系で皇位を継承する
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天皇・皇室の本
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『天皇について基本的なことを知りたい』『過去の天皇の人物像を知りたい』という人におすすめの本を選びました。

内容がかんたんで頭に入りやすく、でも内容が薄いわけではありません。むしろ濃いくらいです。

日本人なら知っていてほしい天皇・皇室の基礎知識だけでなく、外国の人に説明できるくらいの知識が身につきます。

文章が苦手な人にはマンガ本もあります。


天皇の本10選

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