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第19代 允恭天皇 『三種の神器』の継承がはじめて確認された天皇

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歴代天皇 - 存在は確認されるが本当のことは分からない天皇たち -

允恭天皇(いんぎょう)は、皇位を受けたとき、はじめて『三種の神器』の継承が確認された天皇です。

ウソをついたり不正をはたらく人は絶対に許さない正義感あふれる人でした。

先史・古代 古墳時代

  • 皇居
  • 遠飛鳥宮
    (とおつあすかのみや)

  • 生没年
  • 376年 ~ 453年1月14日
    仁徳天皇64 ~ 允恭天皇42年
    78? 才
  • 在位
  • 412年12月 ~ 453年1月14日
    允恭天皇元年 ~ 允恭天皇42年
    42? 年
  • 名前
  • 雄朝津間稚子宿禰尊
    (おあさづまわくご の すくね の みこと)
  • 磐之媛命
    (いわ の ひめ の みこと)

    葛城襲津彦の娘
    (かずらき の そつひこ)

  • 皇后
  • 忍坂大中姫命
    (おしさか の おおなかつひめ の みこと)

    稚野毛二派皇子の娘
    (わかぬけふたまた の みこ)

臣下たちが話し合って決めた即位

先代で兄の反正天皇は、後継者を決めずに亡くなりました。そこで臣下たちが話し合います。

そして、反正天皇の弟・雄朝津間稚子宿禰尊(おあさづまわくご の すくね の みこと)のところに、三種の神器を運びました。

嫁の命がけの説得で即位

でも雄朝津間稚子は、『病気だから』『天皇の器じゃないから』といって断りつづけます。臣下たちは困りました。

雄朝津間稚子の妻・忍坂大中姫命(おしさか の おおなかつひめ の みこと)は、冬の寒いなか、凍りつきながら皇位につくようにお願いします。

これに驚いて、それならばと即位しました。允恭天皇です。

允恭天皇は仁徳天皇の第4皇子で5世紀中ごろに活躍したと考えられています。

第19代 允恭天皇 系図
宮内庁HPより抜粋 一部筆者加工

なぜ允恭天皇で三種の神器の継承が出てくるのか?

允恭天皇は、はじめて三種の神器を皇位継承で受けついだことが確認された天皇です。また、はじめて部下たちの話し合いで即位した天皇です。

それまでは一応、先代の天皇が後継者を指名してきました。それからすると、ちょっと頼りないです。

おそらく、皇位の正当性が怪しまれたのではないでしょうか?確実な『天皇の証し』が欲しかったのでしょう。それが三種の神器です。

三種の神器の継承は、允恭天皇より前から行われていたと考えられます。意味がないものを『天皇の証し』として使えませんから。

(いちばん古い記録は日本書紀

第10代 崇神天皇八咫鏡(やたのかがみ)を別の場所に移した話がある。)

古事記と日本書紀(こじき。にほんしょき)

第40代 天武天皇が号令をかけて作った国家の歴史書。ふたつあわせて記紀(きき)いう。

それ以前の歴史書は、焼失や理由の分からない消失でいまは存在しない。

国記と天皇記

第33代 推古天皇のとき、聖徳太子蘇我馬子(そが の うまこ)が編集長になって作ったと言われる。

国記
(こっき)
国家の歴史書
天皇記天皇の系譜

天武天皇の息子・川島皇子(かわしま の みこ)、忍壁皇子(おさかべ の みこ)が編集長になり作業をはじめた。

そのときにまとめたのが帝紀と旧辞と言われる。

帝紀と旧辞

帝紀
(ていき)
天皇の系譜、功績をまとめたもの。
旧辞
(きゅうじ)
各氏族の系譜をまとめたもの。
氏族や民など、いろいろな人々に伝わる伝承をまとめた。
日本書紀に出てくる『上古諸事』は旧辞を指すとも。

帝紀と旧辞は一体だったとも言われはっきりせず、ふたつとも現存しない。

当時、重要な情報は覚えて口伝えする職業(誦習者。しょうしゅうしゃ)があり、稗田阿礼(ひえだ の あれい)が帝紀・旧辞を覚えた。

帝紀と旧辞が古事記と日本書紀の基本資料になり、飛鳥時代以前の歴史は、古事記、日本書紀にたよる。

古事記(こじき。ふことふみ)

帝紀・旧辞を稗田阿礼に誦習させたが、天武天皇が亡くなると作業が中断した。

712年(和銅5)、第43代 元明天皇のとき、太安万侶(おお の やすまろ)が阿礼の記憶、帝紀・旧辞から文字起こしして書物にまとめたのが古事記。

20年以上の中断があり完成に30年以上かかった。

(阿礼は、帝紀・旧辞だけでなく、無くなっていた数々の歴史書も覚えていた暗記の天才と言われる。)

日本書紀(にほんしょき)

完成は古事記よりもおそく、720年(養老4)、第44代 元正天皇のころに完成。

中断していたのか?たんに時間がかかったのか? 完成までの経緯はよく分かっていない。

天武天皇の息子・舎人皇子(とねり の みこ)が編集長。

古事記倭語を漢字にあてた。
『夜露死苦』(よろしく)みたいに。

国内向け。
国家統一に利用するためか?
日本書紀漢字で書かれた。
(中国人でも読める。)

国外向け。
世界に日本をアピールするために利用か?

ほかにも有力な皇子がいました。允恭天皇の甥っ子で、先々代・履中天皇の息子・磐坂市辺押磐皇子(いわさか の いちのべ の おしは の みこ)。

あとになりますが、皇統は市辺押磐の息子に移り、第23代 顕宗天皇が即位します。

天皇の息子・弟以外に『天皇になる証し』が必要でした。それが三種の神器。

臣下たちの話し合いで決まるくらいなので、すでに天皇の力は圧倒的ではありません。

天皇と皇帝のちがいは、『ゆるい統治』です。

天皇は統(し)らすもの

といわれます。統らすは、『統治』とされますが『お知りになっている。目にしている』が本来の意味。

天皇は見守る人

内政は引きしめ、外交は積極的

允恭天皇は曲がったことが大キライな正義感あふれる男でした。

(いんぎょ~、てんのうです!(原田泰造 風))

允恭天皇の時代は氏姓が乱れていたようです。当時は、大きな仕事をする人は特定の家・氏族にかたよっていたので、勝手にいい氏族を名乗ったり、もしかしたら売り買いしていたのかもしれません。

昔はいい氏族だったけどいつの間にか忘れられた者もいたようです。このような上下関係の乱れ、不正を正しました。

たとえば、武内宿禰の子孫たちの氏族は、いつも天皇のそばにいました。

当時の最上級の氏族です。(葛城氏・蘇我氏・紀氏など)

武内宿禰(たけしうち の すくね)

第13代~16代の成務仲哀応神仁徳の4代の天皇に仕えた。

成務天皇と同じ日に生まれ、300才まで生きたという伝説の臣下。

最初の大臣になる。のちに大臣は政治の最高責任者になるが、それをつとめた豪族は宿禰の子孫だといわれる。葛城氏蘇我氏など。

大化の改新で藤原氏が台頭するまでつづいた。

大連(おおむらじ)と大臣(おおおみ)

大連は、古代のヤマト王権の最高の役職。連(むらじ)の姓をもらった氏族の実力者が代々つとめた。大伴氏(おおとも)や物部氏(もののべ)。

大臣も古代のヤマト王権の最高の役職。臣(おみ)の姓をもらった氏族の実力者が代々つとめた。葛城氏(かつらぎ)や蘇我氏(そが)など。

大臣は、300年4代の天皇に仕えたとされる伝説の臣下、武内宿禰(たけしうちのすくね)の子孫たちが多い。

大連は、ヤマト王権では軍事・警察を担当。

大臣はもともとヤマトと同格の氏族でヤマトの協力者、大連は昔からヤマトに仕えた臣下といわれるが、武内宿禰が伝説の臣下なのであてはまらない。

ちなみに、大臣は妃を出せるが大連は出せない理由も、もともと同格の大臣からは出せて臣下からは格が違うから出せないと説明される。

しかしこれは、武内宿禰は第8代 孝元天皇の子孫だとされるので、由緒ある家柄だから嫁に出せたという理由の方が説明がつく。大伴・物部氏の祖先は天皇ではない。

連も臣も氏姓制度で設けられた姓。

いまでも政治の最高実力者は総理大臣、外務大臣など大臣(だいじん)というが、ここに由来があるのかどうかは分からない。

(個人的にはあるような気がする。)

このように、氏姓によって仕事のランクが決まることを氏姓制度と言います。

判定方法がエグい

不正かどうかの判定の方法がコワいです。盟神探湯(くかたち)で決めました。

これは、まず身の潔白、いいわけを主張させます。そして、お湯を沸かした釜に手を入れて

火傷しない無実
大火傷を負うウソをついた。
有罪。

で決めます。無実の罪をかぶった人、逃げきれた人が多かったでしょうね?

(悪いヤツほど火傷しない方法を編み出して逃げ切ったような気がするが。)

中国の将軍に任命される

允恭天皇は、倭の五王の済(せい)と言われます。それが正しいなら、積極的な外交をしました。

倭の五王(わのごおう)

中国の『宋書』に書かれた日本の5人の王のこと。

5世紀のおよそ100年間、日本が中国に貢ぎ物をして、その見返りに王の称号をもらっていた。

それが5人の天皇だったといわれている。(確定していない。)

また、中国の将軍にも任命されていた。

宋書の王与えられた将軍天皇
倭国王・讃
(さん)
???第16代 仁徳天皇
倭国王・珍
(ちん)
安東将軍第18代 反正天皇
倭国王・済
(せい)
安東将軍第19代 允恭天皇
倭国王・興
(こう)
安東将軍第20代 安康天皇
倭国王・武
(ぶ)
安東大将軍

鎮東大将軍

征東大将軍?
第21代 雄略天皇
ランク将軍ランクイメージ
1車騎将軍皇帝直属の将軍。
中国軍本体。
戦車・騎馬隊?
2征東大将軍東部方面司令の大将
3鎮東大将軍東部方面司令の中将
4安東大将軍東部方面司令の少将
5征東将軍東部方面司令の大佐
6鎮東将軍東部方面司令の中佐
7安東将軍東部方面司令の少佐

※ 中国からみた東国を担当する将軍。
※ 『服する』『圧する』『定させる』の順にランク付け。

これが日本と中国の本格的な外交のはじまりで、将軍は中国皇帝の部下なので中国の属国になる。安東将軍はランクとしては低い。

(日本は朝鮮王より低いランクから始まった。それからランクアップしていく。最終的に朝鮮に並んだとかいないとか。このへんは微妙。)

天皇のまわりの豪族たちにも欲しいと日本から要求したので、称号は天皇以外ももらっていた。

九州などの豪族たちも、ヤマトを無視して称号をもらっていたとされる。

損をしているように見えるが、中国の世界最先端の技術・文明が日本に入ってきた。

このとき、母系社会の日本に男尊女卑・男系思想が入ってきたと言われる。

ただし、安東将軍の称号ももらっているので、中国の属国です。

(先代・反正天皇も同じランクをもらっている。将軍ランクはいちばん下。)

允恭天皇は在位42年、古事記では78才で亡くなります。病気がちで歩くこともできなかったようなので、よく長生きしました。

(允恭3年、新羅から名医を呼んで治療を受けたら直ったそう。)

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第20代 安康天皇 史上初の暗殺された天皇
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天皇・皇室の本

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