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古代 - 飛鳥時代

飛鳥時代は、592年の推古天皇の即位からからはじまります。

この時代は、日本が中国と対等につきあうことを内外に発表した『身の程知らず』の時代です。それだけ、中国から独立することに必死でした。

第41代 持統天皇。作戦参謀まで務めるオラオラ皇女。権力のためなら皇子も殺す。

持統天皇 肖像画

第41代 持統天皇(じとう)は、律令国家を作る途中で亡くなった夫・天武天皇のあとをついで即位した女帝です。

夫が即位する前から戦争の参謀を務め、即位してからは政治に参加する、天武天皇の最強の右腕でした。

明治維新のヒーローたちが死んだ後、その妻が継いだ例がないことからも、持統天皇の凄さが分かります。

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第40代 天武天皇。なぞの生年不詳。何をかくしてる? 正統な皇位継承の証明のため?

emperor tenmu image

第40代 天武天皇(てんむ)が、『国家の正式な歴史書を作れ!』と言って日本書紀は作られたんですが、その日本書紀には天武天皇の生年が書かれていません。

ほかの歴代天皇は書いてあるのに。

ナゾです。何かをかくしてるんじゃないか?と勘ぐりたくなります。

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第40代 天武天皇。大偉業の道半ばに死す。皇親政治の始まり。

emperor tenmu image

第40代 天武天皇(てんむ)は、律令国家建設の大号令をかけて国づくりをおしすすめます。

日本の国のかたちをつくるという意味では明治維新に匹敵するかそれ以上かも。日本のもうひとつの近代化の父と言ってもいい。

ただ、多くの大号令をかけながら完成する前に亡くなってしまいましたが...

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第40代 天武天皇。即位は正義か?裏切りか? 反乱軍の大将が勝って即位する。

emperor tenmu image

第40代 天武天皇(てんむ)は、古代最大の内戦、壬申の乱に勝って即位しました。

どうやって即位したかは日本書紀に書かれているのですが、天武天皇が号令をかけてその子孫が作ったものなので『勝者の歴史』ともいわれます。

勝利した天武天皇は日本で初めて関所を作りました。優秀な武人だった証拠。

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第39代 弘文天皇。ほんとうに天皇なのか? 正規軍の大将が反乱軍に倒されて死す。

emperor koubun image

第39代 弘文天皇(こうぶん)は即位した記録がありません。ずっと歴代天皇に数えられていませんでした。

明治3年、明治天皇が『弘文』の諡(おくりな)をおくり、歴代天皇に加わりました。

大友皇子』(おおとも の みこ)のほうが知られています。

理由は簡単。弘文天皇を殺した人が直後に即位したから。

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第38代 天智天皇。律令国家の基礎をつくる。近江令の制定。

emperor tenji image

これまで、天智天皇の怪しげな人物像ばかり言ってきましたが、重要なことをたくさんしています。

外交しかり。内政もしかり。

いちばんは近江令(おうみりょう)の制定・施行でしょう。近江令は日本最古の本格的な律令とも言われ、のちの律令国家建設のベースになりました。

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