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第24代 仁賢天皇。即位する前からナゾの人。弟の嫁から陰湿なイジメにあう。

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歴代天皇 - 存在は確認されるが本当のことは分からない天皇たち -

仁賢天皇(にんけん)は、下人にまで落ちながら這い上がり、皇太子になりながら皇位を弟にゆずった人です。

弟のあとに即位したので何がしたかったのかよく分かりません。皇太子時代に弟の嫁からイジメられたから泣く泣く即位辞退したのか? とかんぐってしまいます。

先史・古代 古墳時代

  • 皇居
  • 近飛鳥八釣宮
    (ちかつあすかのやつりのみや)

  • 生没年
  • 449年? ~ 498年8月8日
    允恭天皇38 ~ 仁賢天皇11年
    49? 才
  • 在位
  • 488年1月5日 ~ 498年8月8日
    仁賢天皇元年 ~ 仁賢天皇11年
    11? 年
  • 名前
  • 億計王
    (おけ の みこ)
  • 別名
  • 大脚
    (おおし)

    嶋郎
    (しま の いらつこ)

  • 葛城荑媛
    (かずらき の はえひめ)

    葛城蟻臣の娘
    (かずらき の ありのおみ)

弟といっしょに下人に落ちた皇子

億計王(おけ の みこ。のちの仁賢天皇)は、 父・磐坂市辺押磐皇子(いわさか の いちのべ の おしは の みこ) が雄略天皇に殺されました。

弟・弘計王(をけ の みこ。のちの顕宗天皇)といっしょに逃亡生活を送り、雄略天皇が亡くなると都に戻ります。

下人(げにん)  

主人に仕える身分の低い人。

第24代 仁賢天皇 系図
宮内庁HPより抜粋 一部筆者加工

皇太子なのに即位拒否

顕宗天皇のところで書いたのでここではくわしく言いませんが、ふわ~っとした理由で即位を辞退します。

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勇気をだして正体を明かしたのはお前だから、お前が天皇になるべきだ。

即位を拒否するには弱すぎます。都に戻ったあと皇太子でした。

弟が天皇のときそのまま皇太子で、弟が亡くなると即位しています。ワケが分かりません。

天皇になる気はあったようです。皇太子をやめてないので。

仁賢天皇は5世紀後半に活躍したと考えられ、優秀で性格も穏やかな人だったようです。

弟の嫁にイジメられていた

皇太子時代の仁賢天皇は、皇位をゆずった弟・顕宗天皇の皇后・難波小野王(なにわ の おの の みこ)にイヤがらせを受けていました。

宴会の席で立ったまま短刀を皇太子の皿の上に放り投げられたり、皇太子なのに立ったまま呼ばれたり。皇后からことあるごとに無礼な態度をされていました。

仁賢天皇が天皇にならなかったのは、難波小野が裏でいろいろ動いて辞退するように仕向けたんじゃないかと思うほど。

本当に皇族なのか疑われていた

顕宗・仁賢天皇は天皇になるには正統性が薄い兄弟で、雄略天皇系統の娘と結婚しないと天皇として認められませんでした。

(父の仇・雄略天皇の血統に頼るしかなかった。)

下人にまで落ちて都からはなれて生活をしていたので、本当に皇子なのか? と思うほうが自然です。

婿入り天皇じゃないといけませんでした。ボクはこれを『第1マスオさん期』と呼んでいます。

皇后のジェラシーか?

難波小野は雄略天皇のひ孫と言われていますが、生まれがよく分かっていません。いちおう『王』なので皇族だったみたいですが。

一方、仁賢天皇の皇后になる妻・春日大娘皇女(かすが の おおいつらめ の ひめみこ)は雄略天皇の娘です。これははっきりしています。

どうみても、弟より仁賢天皇の方が将来の天皇として期待されていました。義理の父が天皇ですから。

でも、最初に即位したのは弟・顕宗天皇でした。もともと皇后になる予定のなかった難波小野はイライラしてたでしょう。

皇太子夫婦の方が身分は上だし、まわりもそう見てたでしょうから。

これだけでも難波小野が仁賢天皇をイジめる理由が想像できます。

だから弟に皇位を譲るのが不自然。どうみても仁賢天皇のほうが次期天皇に見られていたからランクの高い嫁をもらっている。

妻・娘の方が皇統のラインに沿っている

仁賢11年、仁賢天皇は亡くなります。何才で亡くなったのか分かっていません。

年齢が分からないほど存在感のない人で、むしろ妻がお婿さんを迎えて皇統を守っているように見えます。

すぐあとに起きますが、仁賢天皇の3人の娘たちも母と同じ責任を負うことになりました。

仁賢天皇の次は息子・武烈天皇ですが、ここでまた次に天皇になる人がいなくなってしまいます。

そこで、福井に住んでいたおじいちゃん王を呼びよせて天皇にしました。(継体天皇

ここで皇統のラインの中心にいたのが、仁賢天皇の娘・手白香皇女(たしらか の ひめみこ)。

手白香は結婚して妻・子どもがいた継体天皇をお婿さんにして皇后になりました。

ちなみに、継体天皇の次の安閑宣化天皇の皇后も仁賢天皇の娘です。3代つづけて仁賢家に婿入りしました。

ボクはこれを『第2マスオさん期』と呼んでいます。

顕宗・仁賢・継体安閑宣化と5代つづいた天皇は、天皇の血を受けついでいるとなってるが正体はあやしい。

長いあいだ地方に住んでいて、皇族とは程遠い生活をしていたところが共通している。

そして、都で皇統のラインにいる娘たちを妻にしないと胡散くささが抜けないところもいっしょ。

仁賢から宣化天皇まで皇統を守ったのは天皇の娘たち。ボクが天皇の男系継承を絶対視しない理由です。

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