日本の権力者たちには長年ランキングがありました。律令制で設けられた位階です。
律令制では位階となれる役職がリンクしていたので、位階がないと朝廷の幹部になれませんでした。
このランキング、今でも使われてます。閣僚経験者たちは亡くなると上位ランカーになる。
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律令制では位階となれる役職がリンクしていたので、位階がないと朝廷の幹部になれませんでした。
このランキング、今でも使われてます。閣僚経験者たちは亡くなると上位ランカーになる。
続きを読む藤原氏は古代の中臣氏から始まり、平安時代には日本の政治のトップに君臨して、明治の近代化になるまで日本の政治の中心にいました。
1000年以上もつねに政治の中心に居続けた氏族は他にいません。
天皇の子孫の源氏や平氏、圧倒的な力を持っていた戦国武将たちでもできませんでした。
続きを読む院政は『いんせい』と読みます。
『院(上皇)の政治』という意味で、藤原氏一強の摂関政治から天皇中心の政治システムに戻す流れの中で生まれました。
(天皇では心細いので必然と上皇がリーダーになる。)
実は、院政がなければ武家社会も生まれませんでした。どのようなものでしょうか?
続きを読む摂政は『せっしょう』と読みます。
『天皇に代わって政を摂(と)る』で天皇の代理です。政(まつりごと)は政治の昔の言い方で、『摂る』は担うという意味。
摂政は時代によって意味・役割が少しずつ変わり、今でも制度として残っています。
昭和天皇が若かりし頃、摂政だったことはあまり知られていません。
続きを読む怪物政治家の白河天皇の息子・堀河天皇(ほりかわ)は、政治ではほとんど表舞台に立たず、学問と芸術にエネルギーを注いだ天皇です。
政治の実績もなく若くして亡くなり、また前後の天皇が強烈な個性をもっていたので存在感のない天皇になってしまいました。
それでも在位期間は22年と長い。(だけに存在感の薄さが目立つ。)
続きを読む鎌倉幕府の不思議なところは、天皇がお飾り、将軍ですらお飾りにして、その部下たちが実質的な政権をコントロールしたところです。本来なら政治権力を握るはずのない人たちが権力者でした。
発言力があるなら上の立場になってもいいはずなのに、それは下のままで。これが意味不明。
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