住吉神社は海上の交通安全の神さまを祀っているので、海沿いの地域に広がったメジャーの神社です。今では海とは関係ない陸地にもあります。
ほかにもメジャーな神社に八幡宮がありますが、住吉神社の神さまと八幡さまには深い因縁が。両方に神功皇后が祀られているのがヒント。
水のカミの3兄弟。住吉三神
住吉神社は水の神さまの3兄弟のための神社です。住吉三神(すみよしさんじん)と言います。
皇祖神・天照大神(アマテラス)は、父・伊邪那岐(イザナギ)が小川で清めの禊(みそぎ)をしたときに生まれました。
(皇祖神は天皇の祖先の1世。つまり天皇の血筋の根源。)
その小川の表面、潜った真ん中あたり、川底から生まれたのが住吉三神です。水から生まれたので水神さま。
底筒男命 (そこつつ の お の みこと) |
中筒男命 (なかつつ の お の みこと) |
表筒男命 (うわつつ の お の みこと) |
名前を見ればそのまんまですね? そして男の3兄弟ということが分かります。
住吉三神は天皇の祖先でもなく直接は関係ないですが、アマテラスが生まれた禊に使われた水から生まれたので神さまの中でもトップクラスです。
小川と表現しているが諸説あり、大きな池、大きな川、湖、海とさまざま。
水に関係しているのは間違いない。
夫を殺された神功皇后の仇だけど恩人の住吉三神
水神3兄弟を祀った住吉神社を最初に造ったのは神功皇后です。
神功皇后は日本初の対外戦争・三韓征伐(さんかんせいばつ)をした人で、その朝鮮遠征の海路の安全を守ったのが住吉三神。
そして、遠征先の九州北部からヤマト(奈良)へ帰る道中の安全を守ったのも住吉三神。それに感謝して創建されたのが住吉大社(大阪)です。
住吉大社がある大阪市の区の名前が住吉区。それくらいこの土地に根ざした神社になりました。
神功皇后と住吉三神の関係はこれだけではありません。皇后からすると、恐れあり、恨みあり、感謝ありでなんとも言えない関係。
この遠征は神功皇后の夫・第14代 仲哀天皇が始めたもので、皇后、ヤマトの重臣の全員参加だった。
何年も都はガラ空きで、残った皇子たちに裏切られ命を狙われていた。それを守ったのも住吉三神。
夫・仲哀天皇を殺す
神功皇后の夫は第14代 仲哀天皇です。あの日本武尊(やまとたける)の息子。父に似てアグレッシブな武人でした。
南九州一帯で最強の豪族・熊襲(くまそ)退治のため九州遠征のため福岡に滞在します。
父・ヤマトタケルが熊襲を退治してヤマト王権に従属させたのは有名な話。
息子・仲哀天皇のときにはヤマトタケルは亡くなっていてリベンジ戦を挑んでいた。
熊襲はヤマトに反抗した地方豪族の中でもとくに言うことを聞かなかった。
そのとき住吉三神が現れます。イタコになった神功皇后に降りてきて、
と言います。仲哀天皇は、
といって無視しました。すると住吉三神は怒り狂って仲哀天皇を殺してしまいます。じっさいは対熊襲戦争で戦死したんでしょうね?
神功皇后が海を渡って朝鮮討伐に向かったのは住吉三神のお告げを守るため。夫を殺されているのでNoとは言えなかったでしょう。
次期後継者に応神天皇を指名する
また住吉三神はイタコの神功皇后を通して次期後継者も指名しました。
その腹の中にいた皇子が第15代 応神天皇。応神天皇は母・神功皇后が遠征していた戦地で生まれました。
神功皇后は皇子を産むのを遅らせるためにお腹を石で押さえ、さらしのようなもので固定して戦争の指揮をとったというエピソードもあります。
臨月なのに仕事をするパラフルな女性。
この応神天皇がメジャーな神社のひとつ八幡宮の主・八幡さまです。八幡さまを偉大なリーダーにしたのは住吉三神と言ってもいい。
住吉三神 + 神功皇后 = 住吉大神
今、住吉神社に祀られている神さまは、住吉三神と神功皇后です。日本の神社では、偉大な人が創建した神社には創建した人もカミとして祀ることがよくあります。住吉神社もそのタイプ。
住吉神社に祀られている神さまを総称して住吉大神(すみよし(の)おおかみ)といいます。嵐やSMAPみたいなグループ名。
また、神功皇后の凱旋の帰路を守りました。『はじめてのおつかい』のカメラマンみたいにピッタリくっついて。それから海上交通安全の神さまになります。
その後、海上交通を多く利用していた商人の間では商売繁盛のご利益が追加され、川を利用する人たちがいるところでは内陸にも広がりました。
たんに交通安全の神さまになったところもあります。いくらでも理由を作ってつなげてしまう神道の度量の広さの真骨頂。
水のカミ。
海上交通安全のカミ。
交通安全のカミ。
商売繁盛。
etc...
住吉神社のビッグ3。日本三大住吉
住吉神社は日本全国に広まり約2300(住吉大社の見解)もの神社があります。その中で、神功皇后が戦地の九州からヤマト(奈良)への帰りのルートの出入り口に造った住吉神社を日本三大住吉を言います。
筑前国一之宮 住吉神社 | 福岡県福岡市博多区住吉。 最初に創建された住吉神社とされる。 |
長門国一宮 住吉神社 | 山口県下関市一の宮住吉。 |
住吉大社 (摂津国一之宮) | 大阪府大阪市住吉区。 全国にある住吉神社の総本社。 |
一宮(いちのみや)
特定の地域で一番ランクの高い神社。一之宮とも書く。
国ごと(武蔵国や筑前国など)に一宮を置いた。
あえて決めなかった国もあるし、権力者の意向によって変わることもあった。
福岡の住吉神社が最初に造られたことから、神功皇后が瀬戸内海を使って船で帰りながら造っていったのが分かります。
大阪の住吉大社は『大社』(おおやしろ)だから総本社ではありません。ほかの二つも平安時代(延喜)に決められた社格は大社で同じです。
都に一番近く皇后の長旅の総仕上げに造られたから総本社になったのでしょう。
住吉大社は大阪では代表的な神さまになっていき大阪文化にも浸透した。
都市部の大きな文化圏だったこと、交易の中心だったことから全国へ広まる住吉神社の中心になりやすかった。
日本三大住吉のちょっとした違い
同じ住吉神社でも、祀られている神さまや祀り方がちょっとちがいます。
まずは総本社の住吉大社。住吉大社ではすべての神さまが1柱ずつ祀られています。
(カミは人ではなく柱で数える。)
第一本宮 | 底筒男命 |
第二本宮 | 中筒男命 |
第三本宮 | 表筒男命 |
第四本宮 | 神功皇后 |
総本社だけあって個室をあてがわれた高待遇。メガバンクの役員フロアみたい。見たことないけど。
(半沢直樹のイメージに引っ張られてる。)
筑前国 住吉神社。明治になって神さまが窮屈になる
次は、最初に創建された福岡の住吉神社。
祭神 (さいじん) | 住吉三神 |
配祀 (はいし) | 神功皇后 アマテラス |
メインは3兄弟の住吉三神です。そしてサブとして神功皇后とアマテラス。皇祖神・アマテラスが入ってるのが特長。
神さまをメインとサブに分けるようになったのは明治になってから。明治になると神道の特長の度量の広さが極端に狭くなりました。
その影響で『主人公を決めろ!』という圧力があったのでしょう。
公営住宅に入ったら思った以上に狭かったみたいな感じ。公営住宅に住んだことないけど。
長門国 住吉神社。出雲のカミの息子や伝説の臣下まで祀る
最後が下関の住吉神社。最後にもってきたのは一番特長があるから。
第一殿 | 住吉三神 |
第二殿 | 応神天皇 |
第三殿 | 武内宿禰命 |
第四殿 | 神功皇后 |
第五殿 | 建御名方命 |
下関の住吉神社も住吉大社と同じようにそれぞれ個室があります。そうなると福岡の住吉神社の窮屈さが目立つ。
知らない神さまが2柱もありますね?
伝説の臣下・武内宿禰(たけしうち の すくね)
武内宿禰は、仲哀天皇の最側近で熊襲退治の遠征では参謀長みたいなものでした。もちろん遠征を引き継いだ神功皇后のもとでも最も頼れる臣下です。次の応神天皇も支えました。
その宿禰が神さまとして祀られています。おそらく、神功皇后の住吉神社の創建にも大きく関わったでしょう。相談くらいは受けているはず。
そういう意味では、宿禰も住吉神社を造ったひとりと言えます。下関の住吉神社では創設者のひとりとして祀っているのかもしれません。
大連(おおむらじ)と大臣(おおおみ)
大連は、古代のヤマト王権の最高の役職。連(むらじ)の姓をもらった氏族の実力者が代々つとめた。大伴氏(おおとも)や物部氏(もののべ)。
大臣も古代のヤマト王権の最高の役職。臣(おみ)の姓をもらった氏族の実力者が代々つとめた。葛城氏(かつらぎ)や蘇我氏(そが)など。
大臣は300年4代の天皇に仕えたとされる伝説の臣下、武内宿禰(たけしうちのすくね)の子孫たちが多い。
大連はヤマト王権では軍事・警察を担当。
大臣はもともとヤマトと同格の氏族でヤマトの協力者、大連は昔からヤマトに仕えた臣下といわれるが、武内宿禰はあてはまらない。
ちなみに、大臣は妃を出せるが大連は出せない理由も、もともと同格の大臣からは出せて臣下からは格が違うから出せないと説明される。
しかし、武内宿禰は第8代 孝元天皇の子孫だとされるので、由緒ある家柄だから嫁に出せたという理由の方が説明がつく。大伴・物部氏の祖先は天皇ではない。
連も臣も氏姓制度で設けられた姓。
いまでも政治の最高実力者は総理大臣、外務大臣など大臣(だいじん)というが、ここに由来があるのかは分からない。
(個人的にはあるような気がする。)
出雲のカミの息子で諏訪大社の主・建御名方命(たけみなかた の みこと)
タケミナカタは出雲大社の主・大国主大神(おおくにぬし の かみ)の息子です。天上界の代表・アマテラスが地上界の代表・オオクニヌシから地上統治を譲り受けた国譲り神話で出てきます。
(神(かみ)と命(みこと)は同じカミという意味。)
オオクニヌシは地上を譲るかどうかを二人の息子に任せました。タケミナカタはアマテラスの使者に国を獲るなら勝負して勝ってからにしろと言います。
威勢が良かったのは最初だけ。相手の腕が剣に変身したのにビビって逃げました。そして追いつかれたのが信濃国(しなの。長野)の諏訪湖のほとり。
タケミナカタはギブアップ。これがタケミナカタが諏訪大社(すわたいしゃ)の主になった理由。
なぜかそのタケミナカタが下関の住吉神社には祀られています。出雲(島根)とは近いのでもともと下関にはタケミナカタとの縁があったのかもしれません。
西でメジャーでも東でマイナー
住吉神社は日本全国どこにでもあるメジャーな神社のひとつですが、多くあるところに偏りがあります。
九州北部。
瀬戸内海の近く。(山陽・四国)
中部。(愛知・三重)
北陸。(新潟・富山・石川・福井)
古くから全国と交易し海上交通が発達したところに多い。九鬼水軍(くき)や村上水軍など強い海賊が多いところでもあります。
やっぱり水に関係する人の間で人気が出て広まったんでしょうね?
瀬戸内海は神功皇后の帰宅ルートなのでかなり最初の段階で知られていたのかも。
東京にも有名な住吉神社がありますが多くは江戸時代に造られました。住吉神社としては後発組。
意外に多いのは岐阜。東国と都を結ぶ交通の要衝だったので、水に関係なくても交通安全の神さまとして大事にされたのかもしれません。
岐阜は日本で最初に関所が作られた場所で、幹線道の東山道・東海道のスタート地点。関ヶ原もある。
古代から交通の要衝だった。
五畿七道(ごきしちどう)
古代から平安時代にかけての日本の首都圏と、幹線道路とその周辺の地方ブロック。
首都圏を畿内(きない)と言い5つに分けた。
道路は7つに分けた。〇〇道は道路周辺の地方も指す。州みたいなもの。
畿内 | 首都圏。 おもに、奈良、滋賀、京都、大阪。 |
山陽道 | 本州西部の瀬戸内海側。 おもに、兵庫南部、岡山、広島、山口。 |
山陰道 | 本州西部の日本海側。 おもに、京都北部、兵庫北部、鳥取、島根。 |
南海道 | おもに、四国、淡路。 |
西海道 | 九州全域。 |
東海道 | 本州東部の太平洋側。 おもに、三重、愛知、静岡、関東圏。 |
東山道 | 本州東部の山間部と東北全域。 山間部はおもに、滋賀、岐阜、長野、群馬、栃木。 |
北陸道 | 本州東部の日本海側。 おもに、福井、石川、新潟。 |
北海道、沖縄は入っていない。当時の日本人に領土意識がないから。奄美を含む南西諸島、小笠原諸島は微妙。
今でも『北海道』にその名残がある。当時は七道に入ってなかったのに。
住吉三神は仏の最高ランクの如来
日本では神道のカミと仏教の仏は同じものとして見る時代のほうが歴史では長いです。
住吉三神は皇祖神・アマテラスと同じタイミングで生まれたカミで、古いカミでは重要なポジションなので仏としても最高ランクの如来の化身とされています。
底筒男命 (そこつつ の お) | 薬師如来 (やくし) |
中筒男命 (なかつつ の お) | 阿弥陀如来 (あみだ) |
表筒男命 (うわつつ の お) | 大日如来 (だいにち) |
『仏の化身がカミ』は仏教から見た解釈で、神道では『姿が見えないカミを可視化したのが仏(像)』と解釈します。
皇祖神・アマテラスは太陽神で大日如来と同一視されています。どれだけ住吉三神の格が高いのかが分かる。
大日如来を見ても分かるように、カミと仏は1対1で連携しているとは限りません。
仏教(大日如来)を通して神道のカミを見ると、住吉さまとアマテラスの両方を見てることになります。
仏にはランクがあり、如来、菩薩、...とつづく。
如来はトップランク。悟りを開いた姿を表現している。