第40代 天武天皇(てんむ)は、律令国家建設の大号令をかけて国づくりをおしすすめます。
日本の国のかたちをつくるという意味では明治維新に匹敵するかそれ以上かも。日本のもうひとつの近代化の父と言ってもいい。
ただ、多くの大号令をかけながら完成する前に亡くなってしまいましたが...
続きを読む日本の歴史を天皇を中心にして見ていきます。天皇を中心に見ていくと、
なぜ、院政というシステムができたのか?
なぜ、武士という階級が生まれたのか?
なぜ、明治維新という近代化が短期間でできたのか?
がひとつにつながって見えてきます。
第40代 天武天皇(てんむ)は、律令国家建設の大号令をかけて国づくりをおしすすめます。
日本の国のかたちをつくるという意味では明治維新に匹敵するかそれ以上かも。日本のもうひとつの近代化の父と言ってもいい。
ただ、多くの大号令をかけながら完成する前に亡くなってしまいましたが...
続きを読む第40代 天武天皇(てんむ)は、古代最大の内戦、壬申の乱に勝って即位しました。
どうやって即位したかは日本書紀に書かれているのですが、天武天皇が号令をかけてその子孫が作ったものなので『勝者の歴史』ともいわれます。
勝利した天武天皇は日本で初めて関所を作りました。優秀な武人だった証拠。
続きを読む第39代 弘文天皇(こうぶん)は即位した記録がありません。ずっと歴代天皇に数えられていませんでした。
明治3年、明治天皇が『弘文』の諡(おくりな)をおくり、歴代天皇に加わりました。
『大友皇子』(おおとも の みこ)のほうが知られています。
理由は簡単。弘文天皇を殺した人が直後に即位したから。
続きを読むこれまで、天智天皇の怪しげな人物像ばかり言ってきましたが、重要なことをたくさんしています。
外交しかり。内政もしかり。
いちばんは近江令(おうみりょう)の制定・施行でしょう。近江令は日本最古の本格的な律令とも言われ、のちの律令国家建設のベースになりました。
続きを読む天智天皇(てんじ)は中大兄皇子(なか の おおえ の みこ)です。皇太子時代から権力闘争で人を殺してきました。
分かってるだけで身内が3人もいます。戦国の覇者・織田信長のキャラクターを思い出させます。世の中も新しいシステムへ移行する過渡期で共通点も多い。
続きを読む天智天皇は(てんじ)は、あの中大兄皇子(なか の おおえ の みこ)です。
4代の天皇の皇太子なのに即位せず、先代の斉明天皇が亡くなったのに7年間も即位しませんでした。
中大兄は『天皇になりたくなったのでは?』とも言われ、超絶慎重な性格だったとも言われる。
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