歴代天皇 - 存在は確認されるが本当のことは分からない天皇たち -
武烈天皇(ぶれつ)は、悪王として有名でエピソードを言葉にするとR18指定モノです。
現代の映画だったらサイコパス、AVなら表現できないほどグロいものもたくさん。
そして、聖帝・仁徳天皇の系統はここで途絶えました。本当にいたのか? 疑われている天皇のひとりです。
先史・古代 古墳時代
- 皇居
泊瀬列城宮
(はつせのなみきのみや)
- 生没年
- 489年? ~ 506年12月8日
仁賢天皇2 ~ 武烈天皇8年
17? 才
- 在位
- 498年12月? ~ 506年12月8日
仁賢天皇11年 ~ 武烈天皇8年
8? 年
- 名前
- 小泊瀬稚鷦鷯尊
(おはつせ の わかさざき の みこと)
- 別名
第24代 仁賢天皇の唯一の皇子
- 父
第24代 仁賢天皇
(にんけん)
- 母
春日大娘皇女
(かすが の おおいらつめ の ひめみこ)第21代 雄略天皇の娘
(ゆうりゃく)
- 皇后
春日娘子
(かすが の いらつめ)父は不明
臣下の傍若無人が止まらない
武烈天皇の時代、大臣は平群真鳥(へぐり の まとり)です。第21代 雄略天皇が葛城氏(かずらきし)を没落させた後から政治を仕切るようになりました。
平群氏は葛城氏や蘇我氏と同じ武内宿禰の子孫氏族。
葛城氏に取って代わるように出てきた。
この真鳥、先代・仁賢天皇のころから横暴で調子に乗っていました。
武烈天皇は仁賢天皇の唯一の皇子で、皇太子のとき、真鳥は皇太子のために宮殿を建てると言いながら、自分が住んじゃいます。
また、真鳥の息子・鮪(しび)は、皇太子が嫁にしようと思っていた影媛(かげひめ)に手を出し、皇太子に恥をかかせました。
ブチ切れた皇太子は、連・大伴金村(おおとも の かねむら)に兵を送らせ鮪を殺し、真鳥の家を焼き払って殺します。
平群氏は没落。
その後、皇太子は即位します。武烈天皇です。武烈天皇は5世紀の終わりごろに活躍したと考えられています。
金村は大連になって政治のトップにのぼりつめました。
大連(おおむらじ)と大臣(おおおみ)
大連は、古代のヤマト王権の最高の役職。連(むらじ)の姓をもらった氏族の実力者が代々つとめた。大伴氏(おおとも)や物部氏(もののべ)。
大臣も古代のヤマト王権の最高の役職。臣(おみ)の姓をもらった氏族の実力者が代々つとめた。葛城氏(かつらぎ)や蘇我氏(そが)など。
大臣は300年4代の天皇に仕えたとされる伝説の臣下、武内宿禰(たけしうちのすくね)の子孫たちが多い。
大連はヤマト王権では軍事・警察を担当。
大臣はもともとヤマトと同格の氏族でヤマトの協力者、大連は昔からヤマトに仕えた臣下といわれるが、武内宿禰はあてはまらない。
ちなみに、大臣は妃を出せるが大連は出せない理由も、もともと同格の大臣からは出せて臣下からは格が違うから出せないと説明される。
しかし、武内宿禰は第8代 孝元天皇の子孫だとされるので、由緒ある家柄だから嫁に出せたという理由の方が説明がつく。大伴・物部氏の祖先は天皇ではない。
連も臣も氏姓制度で設けられた姓。
いまでも政治の最高実力者は総理大臣、外務大臣など大臣(だいじん)というが、ここに由来があるのかは分からない。
(個人的にはあるような気がする。)
R18指定!放送禁止エピソード満載
武烈天皇は『大悪天皇』といわれます。もってるエピソードがホラー、えぐいセクシー映像さながらだから。
妊婦の腹をかっさいて胎児を取り出して観察する。
爪を剥いだ人にその手で芋をほらせる。
髪を抜いた人を木に登らせ、木の根元を切って人が落ちて死ぬのを見て喜ぶ。
用水路に人を入らせ、そこから出てきたところを矢で狙い撃ち、殺して喜ぶ。
(人間もぐら叩き?)
人を木に登らせ、矢で撃ち落とすゲームをする。
(人間シューティング?)
さらにさらに、
(18歳未満は読まないでください。)
女を素っ裸にして座らせ、目の前で馬の交尾を見せて楽しむ。
(マニアックなセクシー映像作品?)
女のアソコを観察して、濡れた人は殺し、そうでない人は身分を落として奴隷にした。
(セクシー映像を見るのと採用試験のコラボ?)
最悪です。ここまで人格が破たんしたエピソードがある天皇はいません。ダントツの大悪天皇でしょう。
悪いエピソードはつくり話
聞くに堪えない、読んで胸クソ悪いエピソードばかりですが、これらは次の継体天皇の正統性のために作られたフィクションだというのが通説です。
(残虐非道の行動は中国の歴史書と似ていてそのパクリという説もあり。)
武烈天皇は聖帝と言われた第16代 仁徳天皇の系統を断絶させました。それどころか皇統そのものの断絶危機を作ります。
継体天皇は仁徳天皇の弟の子孫で、福井に住んでいた、本当に天皇の子孫なのか疑われていた人です。
継体天皇の正統性を主張するためには、どんなに遠くても仁徳天皇につながり、その前が悪かったから即位したという理由が欲しかったのでしょう。
仁徳天皇は、『天皇のカガミ』『天皇はこうあるべし』と後世の人から言われるほどの人です。
(聖帝と呼ばれた。)
だから余計に、その系統をつぶした武烈天皇はしょうもないヤツじゃないといけなかった。
本当にいたのか?
武烈天皇はこの時代ではめずらしく幼い天皇でした。8才で即位して17才で亡くなります。
(じっさいの年齢はよく分かっていないので信ぴょう性はうすい。)
これまでの天皇はおじいちゃんになって即位し、そもそも年齢が不明か、分かっていたとしても寿命100才オーバーあたりまえのスゴい世界です。
これが武烈天皇でパタッと止まりました。武烈天皇は皇統の断絶危機を作った人だと思われてますが、なんか怪しい。
次の継体天皇から、そこまでメチャクチャな寿命ではありません。それなりに信ぴょう性があります。
本当にいたんだろうか? と議論になる天皇のひとりです。
個人的にはかなり疑っている。
不自然な幼帝は数合わせなんじゃないか?
(幼帝が出てくるのは平安以降。この時代はむしろ長老ぐらいの年齢じゃないと天皇になれない。)
婿入りの継体天皇の正統性を大きくするために、大悪のレッテルと、幼い天皇だからダメだったんだというマイナスイメージを植えつけたんじゃないか?
(継体天皇は即位したとき57才。)