鎌倉幕府の不思議なところは、天皇がお飾り、将軍ですらお飾りにして、その部下たちが実質的な政権をコントロールしたところです。本来なら政治権力を握るはずのない人たちが権力者でした。
発言力があるなら上の立場になってもいいはずなのに、それは下のままで。これが意味不明。
中世 鎌倉時代
鎌倉時代は本格的な武士の時代のはじまりです。平安末期に平家が一度、武士の時代を作りかけましたが失敗しました。
鎌倉時代はその反省から、武士は京都と距離を取って微妙なバランスをとりながら独自のスタイルを確立します。
鎌倉時代は源氏の時代じゃない
鎌倉時代は平家政権の反省からはじまりました。
まず、武士の貴族化には過剰に拒絶します。本拠地を鎌倉から京都に移さなかったのも朝廷とは距離を取りたかったから。
鎌倉時代は源頼朝(みなもとの よりとも)からはじまりますが、源氏の時代はあまりつづきません。3代将軍 源実朝(みなもとの さねとも)が暗殺されたとき、じつは源氏の時代は終わっています。
源氏に代わって時代をけん引したのは、平氏系統の北条得宗家(ほうじょう とくそうけ)。北条氏は頼朝の妻・政子の実家でした。
4代目以降の将軍は武士ですらありません。2人は五摂家の九条家、その他4人は皇族で、歴代将軍の3分の2は皇族、貴族です。
五摂家(ごせっけ)
平安時代の摂関政治では摂政・関白になれる家は決まっていた。それを摂関家(せっかんけ)という。
鎌倉時代以降、摂関家の中でさらに摂政・関白になれる家柄がしぼられた。その5家のことを五摂家という。
- 近衛(このえ)
- 九条(くじょう)
- 二条(にじょう)
- 一条(いちじょう)
- 鷹司(たかつかさ)
くわしくは『摂関政治とは何か?』で。
五摂家は明治に入ってもつづき、華族制度ができてからは華族として位置づけられた。
1947年の華族制度の廃止まで、由緒ある家として知られていた。
鎌倉時代は孫請け会社が中心だった
不思議です。政治権力をまかせた先(幕府将軍)で、さらにまかされた人(北条氏)が政治を仕切りました。
鎌倉時代は政治権力がまた貸しされた、会社でいえば孫請け会社が中心になっていた時代といえるでしょう。
本社から子会社に出向した人が社長になり、仕事は全部さらに下請け会社に丸投げしたようなもの。
しかも北条氏は、自分の立場が下のまま上位の人たちを動かしました。普通、立場が下だったら発言力はないはずなのに。
(ただし、軍事力は日本一だった。)
反対に皇族も含めた貴族社会も侮れません。あれだけ拒絶していた幕府に将軍を送り込んで武士を取り込んでいるんだから。
- 鎌倉幕府の将軍のほとんどは貴族と皇族。
- 将軍は武家の棟梁でもなければ幕府の長でもない。
- 実際の幕府の運営は一御家人の北条氏。
御家人(ごけにん)
鎌倉時代の幕府に従う武士。
家人(けにん)を丁寧な言い方にしたもの。家人は『主人の家の人』という意味で主人に従う人という意味。
鎌倉の力が圧倒的だったので、家人にも『御』をつけるくらい気を使った。
御家人の主人は鎌倉の将軍ではなく鎌倉武士の組織だった。そのため、鎌倉幕府が消滅すると御家人も消滅する。
(全員死んだわけではない。武士のひとつの形が消滅した。)
鎌倉時代の言葉として使われることが多く、ほかは『家臣』と同じ意味で使われる程度。
日本は『武士の国』になる
鎌倉時代は貴族社会が中心だった西日本に武家社会が侵食します。
それまで主に南九州や東日本などでは京都から距離が遠いので貴族の影響が弱く、武士が独立して各地域を支配できました。
京都を中心にした西日本、九州北部は相変わらず貴族社会で、武家社会は貴族社会の下層にあり影響力はあまりありませんでした。
一方、鎌倉時代は日本全体に武家社会が広がり、世界の人々が思う『日本は武士の国』というイメージ通りの社会に変わります。
これを象徴する事件が承久の乱でしょう。
この事件は、現役の天皇、その父・叔父・祖父の3上皇が幕府と戦争をして負けました。3上皇がそろって島流しの刑にあった一大事件です。
太上天皇(だいじょうてんのう)
退位した天皇のこと。
上皇(じょうこう)
太上天皇の短縮した言い方。
太上法皇(だいじょうほうおう)
出家した上皇のこと。たんに法皇という。
院(いん)
上皇の住まい。そこから上皇・法皇のことを『○○院』と呼ぶ。
くわしくは『太上天皇とは何か?』へ
そして大量の貴族も同じような目にあいました。殺された人もいます。天皇一家と貴族が、部下の部下・北条氏に一掃された事件でした。
鎌倉時代は日本の歴史で一大転換期
こんなことは天皇の歴史の中でほかにありません。排除した皇族、貴族から没収した西日本の土地などを武士に論功恩賞で与えたことで、武家社会が西日本にも広がります。
武家の社会が明治維新までつづいたことを考えると、どれだけインパクトがあるか分かるでしょう。
この衝撃は学校の歴史の授業でもっとくわしく教えてもいいと思います。
(そこまでインパクトがあると教えてもらった記憶がない。)
個人的には、江戸時代よりも、明治維新よりも、インパクトは大きいと思っているので。
鎌倉時代は孫請け会社が中心だったといっているが、実はその孫請け会社の社長もお飾りになっていった。
鎌倉幕府の執権職がつづいていくと、その執権が北条氏の内部で影響力がない人がなり、その後ろから北条氏の実力者が権力を動かすようになる。
これに幕府の御家人たちの反感が膨らみ、御家人の実力者の足利氏や新田氏によって倒幕されることになる。
執権じゃない北条氏なんて御家人からすればただの同僚ですからね?
彼らからすると同僚から偉そうに命令されるいわれはない。