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後三条天皇

藤原氏ってなんだ? どうして日本の政治の中心にいつづけたのか?

藤原氏

藤原氏は古代の中臣氏から始まり、平安時代には日本の政治のトップに君臨して、明治の近代化になるまで日本の政治の中心にいました。

1000年以上もつねに政治の中心に居続けた氏族は他にいません。

天皇の子孫の源氏平氏、圧倒的な力を持っていた戦国武将たちでもできませんでした。

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源氏ってなんだ?どこから来たの?なぜ武家政権のトップであり続けたの?

武士 画像

『源氏は有名な武士』。これで覚えると、源氏が何者なのか? どこから来たのか? まったく分かりません。

また、天皇の子孫だというのを知っていても、なんで武士として有名になったのか分かりません。

その答えは『平氏と同じ』。だけど規模はケタ違いにでかい。

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天皇親政と皇親政治のちがいってなんだ? 同じようで同じじゃない。

菊花紋章

天皇がリーダーシップを取る政治には天皇親政(てんのうしんせい)と皇親政治(こうしんせいじ)があります。

二つのちがいは時代、システムもありますが、いちばん特長的なのは天皇を支えた人がちがう。

皇親政治のほうが天皇も含め皇族に政治力が求められていました。

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第70代 後冷泉天皇。終末思想に怯えて不安いっぱい。浄土信仰が生まれる。

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第70代 後冷泉天皇(ごれいぜい)は、先代で父・後朱雀天皇のころから関白だった藤原頼通(ふじわら よりみち)にぜんぶ任せて表には出ませんでした。

世の中は末法思想を信じてプチパニックを起こします。

このパニックを鎮めるために建てられたのが平等院で、仏教から浄土信仰が生まれました。

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第69代 後朱雀天皇。比叡山の抗争で京の街が荒れる。心を痛めて天然痘で死ぬ。

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第69代 後朱雀天皇(ごすざく)は、比叡山の抗争で京の都が火事に見舞われる災難に心を痛めた優しい天皇です。

不運なことに天然痘が流行り、天皇も天然痘で亡くなりました。

負けず嫌いで人に命令されるのを嫌い、法を守らない人には厳しい雷オヤジのような面もありました。

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院政とは何だったのか?どうして『いんせい』というのか?なぜ上皇が出てきたのか?

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院政は『いんせい』と読みます。

(上皇)の治』という意味で、藤原氏一強の摂関政治から天皇中心の政治システムに戻す流れの中で生まれました。

(天皇では心細いので必然と上皇がリーダーになる。)

実は、院政がなければ武家社会も生まれませんでした。どのようなものでしょうか?

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