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源頼朝

第51代 平城天皇。悪女のささやきで野心を出して失敗。そのまま平城京で隠居。

japan's color image

第51代 平城天皇(へいぜい)は、平城太上天皇の変(薬子の変)で有名なのでダラシない、しょうもない天皇と思われがちです。

しかし、ちゃんと仕事もしています。だけにもったいない。

すぐあとに天皇になる弟が『平安時代の基礎を作った』と言われるほど凄すぎたために損してるところもある。

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第50代 桓武天皇。平安時代をスタートさせた改革者。中国が好きすぎて出で立ちが中国風。

桓武天皇 肖像画

第50代 桓武天皇(かんむ)は、平安時代をはじめた天皇です。

政治改革、軍政改革、民の負担軽減など聖帝と言っていいほど仕事をしました。

中国が好きすぎてミーハーになるほどで、母は朝鮮国王の末裔とも言われます。中身も、見た目も、行動も、国際派の天皇。

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天皇は仏教徒になるのが当たり前だった。2つの宗教を融合させる不思議。

天皇と仏教

かつて天皇は、退位して上皇になると出家するのがあたり前でした。というかそれが常識。

歴代天皇でもそんな時代のほうが長いです。でも今は、天皇が仏教徒になるという感覚がありません。

神仏習合という言葉あるので知っている人もいるでしょうが、天皇までとは...。

どうしてこうなっちゃったのでしょうか?

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第15代 応神天皇。外の空気を取り入れヤマト王権が一気に発展。儒教が日本にやってきた!

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応神天皇(おうじん)は、聖帝といわれるほど歴代天皇のなかでも特別な存在です。

朝鮮と積極的に交流し、本格的に大陸の文化・技術を取り入れました。

また、応神天皇は日本人がいつもお世話になっているあの有名なカミサマです。

知らないところで僕らは応神天皇に手を合わせている。

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院政とは何だったのか?どうして『いんせい』というのか?なぜ上皇が出てきたのか?

Q&A image

院政は『いんせい』と読みます。

(上皇)の治』という意味で、藤原氏一強の摂関政治から天皇中心の政治システムに戻す流れの中で生まれました。

(天皇では心細いので必然と上皇がリーダーになる。)

実は、院政がなければ武家社会も生まれませんでした。どのようなものでしょうか?

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第82代 後鳥羽天皇。部下の部下から島流しの刑を食らった天才

後鳥羽天皇の肖像画

文武両方に優れた才能を発揮した後鳥羽天皇(ごとば)。

しかし、鎌倉幕府の有力御家人に承久の乱で敗れ、島流しの刑を食らうという、歴代天皇の中でも例のない前代未聞の屈辱を味わいます。

この後も院政はつづきますが形式的で、積極的に政治を取り仕切る意味での院政は、後鳥羽上皇が最後です。

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