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天皇は仏教徒になるのが当たり前だった

天皇と仏教

かつて天皇は、退位して上皇になると出家するのがあたり前でした。というかそれが常識。

歴代天皇でもそんな時代のほうが長いです。でも今は、天皇が仏教徒になるという感覚がありません。

どうしてこうなっちゃたのでしょうか?

ヘルプのお土産

まずは、日本に仏教が入ってきたところから見ていきましょう。日本に仏教がやってきたのは、第29代 欽明天皇(きんめい)のころです。

(在位539~571)

欽明天皇は聖徳太子のお祖父ちゃんで、推古天皇の父と言ったら分かりやすいでしょうか?

マニアックなところでは、歴代天皇の中でいちばん血統の遠いところから天皇になった継体天皇の息子です。

このころ倭(わ。やまと。後の日本)は、三国プラス任那で戦国時代だった朝鮮半島の百済(くだら)と仲がよく、戦争の助太刀を求められていました。

じっさい、兵を送りますが負けてしまいます。

欽明天皇は次の敏達天皇に『必ず新羅を討て!そして任那を復興させろ!』と言い残して亡くなりました。

そんなときに仏教は日本に入ってきます。そのときは宗教ではなく、助太刀の代わりにお土産に贈られた最新の学問・知識として。

任那(みまな) 

もともと朝鮮半島中南部に小国家群(馬韓)があり、3~6世紀中ごろは加羅(から)、もしくは伽耶(かや)と呼ばれた。

その一部にあった倭人の支配エリアを任那という。

任那は日本からみた呼び名で、加羅全体を指しているのか、倭人エリアだけを指しているのかよく分からない。

前はヤマトの飛び地(ヤマト領)といわれたが今ははっきりしない。少なくともヤマトに強く影響を受けた倭人が支配していたらしい。

ヤマトは何度か朝鮮半島に兵を送り戦争をしているが、任那の支配権をめぐって新羅や高句麗と対立したのが原因。

百済は親・任那だったので、ヤマトと連合を組むことが多かった。

初めて『仏教徒になりたい』と言った天皇

日本に仏教が入ってきましたが、まだ宗教としては取り入れられていません。

初めて天皇が宗教としての仏教に興味をもったのは、敏達天皇の次に天皇になった第31代 用明天皇(ようめい)です。

(在位585~587)

用明天皇は欽明天皇の息子で、兄・敏達天皇の次に即位しました。そして、なんといっても息子は聖徳太子です。

用明天皇のころは物部氏(もののべ)と蘇我氏(そが)の対立が激しく、それに病気も重なって弱気になっていたのか、臣下に『仏教徒になりたい』と相談します。

ただそのあと仏教徒になったのかは分かりません。『仏教徒になりたい』発言が物部 vs 蘇我の争いをさらに激化させたので、グダグダになったのでしょう。

仏教徒になりたいと言って1年後に亡くなります。

本格的に寺を作った推古天皇

日本で本格的に寺づくりが始まったのは第33代 推古天皇の時代です。

(在位592~628)

その中心にいたのが聖徳太子蘇我馬子(そが の うまこ)。

ボクが学校で習った日本でいちばん古い寺は飛鳥寺(奈良)ですが、最近は四天王寺(大阪)とも言われます。

どっちにしろ、これらの寺が建立されたのは推古天皇の時代です。飛鳥寺は馬子が建て、四天王寺は聖徳太子が建てました。

蘇我氏は仏教を保護して神道を守る物部氏と戦争をしました。聖徳太子は『仏教徒になりたい』とまで言った用明天皇の息子です。

(推古天皇は用明天皇の妹で聖徳太子の叔母。)

このふたりが国家運営の中心になったことで寺を建立することが国家事業にまでなりました。

四天王寺は、蘇我 vs 物部の蘇我軍に参加した聖徳太子が、劣勢をはね返すのを願うために建てた、

飛鳥寺は蘇我氏の氏寺(うじでら)で、馬子が一族を守ってもらうためにホトケを祀って建てた、

と言われている。

日本最初の寺は分かっていない

飛鳥寺や四天王寺は『日本最古の寺』と言われますが、確定していません。

昔は今ほど建築技術がないので完成までに時間がかかるし、大きい寺は長い時間をかけて増築してるので、どのタイミングを建立としていいのか分からないからです。

また、渡来人が帰化したときに、仏像を持ち込んで小さなお堂を建てて祀っていたとも言われます。

(小さくても寺といえば寺。)

ちなみに四天王寺は592年(推古元)、飛鳥寺は596年(推古4)です。

福岡の対馬には日本最古の寺と言われる梅林寺もあります。

欽明天皇の時代に日本に入ってきたときに仏像が対馬に残ってそこに寺を建てたらしい。)

『日本最古の寺』の争奪戦が激しいですね?

個人的にはここまで来るとどうでもいいです。なんなら、ぜんぶ見に行ったろうかと思っちゃいます。

法隆寺は、現存する最古の木造建築物で最古の寺ではありません。

建立されたのは607年(推古15)、同じ時期です。

初めて出家した聖武天皇

推古天皇の時代にたくさんの寺が作られたあと、100年くらいは目立った動きはありませんでした。

仏教が当たり前になったこともあるだろうし、この間は明治維新に匹敵する、それ以上の近代化(律令国家の建設)の最中です。それどころじゃなかったのでしょう。

律令(りつりょう)

律(りつ。刑法)と令(りょう。民法、行政法)からなる憲法みたいなもの。

7世紀の当時、世界の先進国の1つだった中国から伝わる。

日本は世界の先進国の仲間入りを目指して導入し始めていた。

律令で統治された国家を律令国家、その政治システムを律令制という。

それを打ち破ったのが、第45代 聖武天皇(しょうむ)です。

(在位724~749)

聖武天皇は仏教マニアで、東大寺(奈良の大仏)を建立しました。ただ、政治でリーダーになりたがらない人でした。

また、日本中に『国分寺』という地名・駅名がありますが、それを全国に作らせたのも聖武天皇。

聖武天皇は国家運営に仏教がからんでくると積極的だったようです。

聖武天皇は生前退位(譲位)した最初の男性上皇です。そしてすぐに出家しました。

最初の法皇(ほうおう)と言ってもいいです。当時はその呼び方はありませんが。

譲位(じょうい)

天皇が生前に退位して次の天皇を即位させること。退位した天皇は上皇になる。

第35代 皇極天皇が乙巳の変(いっしのへん)の責任をとって行なったことから始まる。

はじめは天皇の目の前で暗殺事件がおきるというアクシデントだった。

大宝律令で制度化され天皇の終わり方の常識になる。最初に制度化された譲位をしたのは第41代 持統天皇

持統天皇から今上天皇まで80代の天皇のうち60代は譲位。

(制度化されてから2/3が譲位)

なかには亡くなっているのをかくして、譲位をしてから崩御を公表する『譲位したことにする』天皇もいた。

それだけ譲位が天皇の終わり方の『あたりまえ』だった。

譲位の理由はいろいろ。

次世代が育つ。
そのときの権力者の都合。
自分の娘を皇太子に嫁がせているので早く天皇にしたいとか。
(権力闘争に利用される)
病気。
仏教徒になりたい。
幕府に抗議するため。
天皇の意思。
理由なし。
あたりまえだと思っていた。

聖武天皇は最初の男性上皇。

そして最初の法皇。

出家したあと天皇になった称徳天皇

第48代 称徳天皇聖武天皇の娘で女帝です。父・聖武天皇に似て仏教マニアでした。

(在位764~770)

しかも称徳天皇、即位したときすでに出家していて尼さんになっていました。すべてを確認していませんが、仏教徒の現役天皇はこの人だけじゃないかな?

なんで仏教徒が天皇になったのか?

称徳天皇は第46代 孝謙天皇と同一人物です。孝謙天皇の時代に退位して上皇になり出家して法皇になりました。

(このとき法皇という呼び方はなかったが。)

そのあと、皇位を譲った第47代 淳仁天皇をクビにして、もう1回天皇に返り咲いたのが称徳天皇です。

『仏教徒が天皇になる』はワケが分かりません。天皇は神道の祭主だからです。最高クラスの神主が仏教徒としては弟子クラスのようなもん。

重祚がなせる技でしょう。

重祚(ちょうそ)

一度退位した天皇が再び天皇になること。二度目のときの名前は新しくつけられる。

男性天皇は1人も重祚していない。

聖武・孝謙・称徳天皇がパイオニア

聖武天皇の4代前・第41代 持統天皇(じとう)のとき、『天皇が生前退位したら上皇になる』というルールが決められました。

そして持統上皇から、『天皇が生きているうちに退位する(上皇になる)』常識が始まります。

聖武天皇はこれに仏教のテイストを加えました。それを孝謙称徳天皇が引き継いで『1回かぎりの聖武のきまぐれ』ではなくなります。

天皇を退位する。

上皇になる。

出家する。

法皇になる。

平安時代にはこの流れがスタンダードになります。『天皇と仏教』にはふたりの女帝が大きく関わっていたことは興味深いですね?

(世の中には、女帝の功績を意地でも排除しようとする人がいる。)

称徳天皇のように『現役の天皇が仏教徒』まではスタンダードになりませんでした。

神道と仏教の融合と言っても、そこまではできなかったようです。

『現役の天皇には神道の祭主に集中してもらって、引退したら好きにしていいよ。』

ぐらいに収めたものが続いていきます。

民間人を経験した天皇が最初の法皇

それから150年くらいは、上皇が出家するとつけられる名前を名乗っただけで、呼び方がありませんでした。

そして平安時代の中ごろに、出家した上皇のことを『太上法皇(法皇)』と名乗る人が出てきます。

第59代 宇多天皇(うだ)です。(在位887~897)

宇多天皇は歴代天皇のなかでも稀(まれ)なキャリアをもった人で、天皇の息子なのに皇族をはなれ民間人を経験しています。

源定省(みなもと の さだみ)という名前で活動します。父・第58代 光孝天皇(こうこう)のそばで政府高官をしていました。

その仕事ぶりが認められ、たった3年で皇族に復帰して皇太子になり天皇になった人です。

(みなもと)は、皇族が民間人になるときに天皇から与えられる姓でよく使われた。

鎌倉幕府を開く源頼朝(みなもと の よりとも)の先祖も天皇。

ただし、頼朝の先祖は第56代 清和天皇(せいわ)で宇多天皇と直接のつながりはない。

天皇と仏教の分離(明治時代)

最後に法皇を名乗ったのは、江戸時代の第112代 霊元天皇(れいげん)です。

(在位1663~1687)

そのあと天皇と仏教が断絶したわけではありません。江戸時代はすでに神道と仏教は融合してて当たり前で、神社と寺が同じ敷地内にあるくらいです。

あえて法皇を名乗る必要がなかったのでしょう。

天皇と仏教が断絶したのは明治になってから。廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)と言われるものです。

キリスト教の欧米にならって『天皇の純粋な神道化』がすすめられました。不純物の仏教を取り除く作業です。

欧米の近代国家は元をたどるとキリスト教があるので、日本はそこに神道をあてはめたんですね?

そして長い間の常識だった『退位して上皇になる』も無くなり、『天皇は死ぬまで天皇』がルール化されました。

どっちみち法皇は無くなっていました。ベースにある上皇が無くなったので。

今の常識は非常識

いま、『上皇が仏教徒(法皇)』は非常識です。でも歴史から言えば、1000年以上、法皇がいることが常識でした。

そもそも、『上皇がいること』が常識に戻ったのが令和になってからです。

そういえば政府の有識者会議で、『死ぬまで天皇でいろよ!』と駄々をこねてた『自称』専門家がいましたね?

じっさい政府は、上皇陛下を死ぬまで平成の天皇にしようとしていました。上皇陛下の思いをガン無視、国民の支持をガン無視してまで。

天皇が譲位すると、内閣支持率がアップすることが分かってひっくり返したけど。

譲位(じょうい)

天皇が生前に退位して次の天皇を即位させること。退位した天皇は上皇になる。

第35代 皇極天皇が乙巳の変(いっしのへん)の責任をとって行なったことから始まる。

はじめは天皇の目の前で暗殺事件がおきるというアクシデントだった。

大宝律令で制度化され天皇の終わり方の常識になる。最初に制度化された譲位をしたのは第41代 持統天皇

持統天皇から今上天皇まで80代の天皇のうち60代は譲位。

(制度化されてから2/3が譲位)

なかには亡くなっているのをかくして、譲位をしてから崩御を公表する『譲位したことにする』天皇もいた。

それだけ譲位が天皇の終わり方の『あたりまえ』だった。

譲位の理由はいろいろ。

次世代が育つ。
そのときの権力者の都合。
自分の娘を皇太子に嫁がせているので早く天皇にしたいとか。
(権力闘争に利用される)
病気。
仏教徒になりたい。
幕府に抗議するため。
天皇の意思。
理由なし。
あたりまえだと思っていた。

もし、上皇陛下が出家する『常識』の意思を示されたらどうなるんでしょうか?

また、ギャーギャーわめき散らす人が出てくるんでしょうね?

自称『常識人』の非常識な人たちが。

いまでも法律では、上皇が常識になっていません。特別措置法で『1代かぎりの特別な上皇』ということになっています。

上皇が常識に戻るには皇室典範という法律の改正が必要です。

皇室典範(こうしつてんぱん)

明治22年、大日本帝国憲法と同時につくられた皇室のルールを定めた典範。

憲法の下の法律ではなく、憲法と同格のものとしてつくられた。

これを典憲体制(てんけんたいせい)という。

1947年(昭和22)、日本国憲法の発布にあわせて、いち法律として格下げされる。

明治の典範は国会・内閣に典範を改正する権限はなく皇族がもっていた。

戦後、いち法律になったことで国会と内閣に改正する権限が移る。皇族会議はあるが最終決定権は皇族にない。

皇位継承についても皇族はタッチできないので、自分の家について意見は言えるが何もできないという問題点がある。

天皇・皇室の本

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『天皇について基本的なことを知りたい』『過去の天皇の人物像を知りたい』という人におすすめの本を選びました。

内容がかんたんで頭に入りやすく、でも内容が薄いわけではありません。むしろ濃いくらいです。

日本人なら知っていてほしい天皇・皇室の基礎知識だけでなく、外国の人に説明できるくらいの知識が身につきます。

文章が苦手な人にはマンガ本もあります。


天皇の本10選

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