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古代 - 飛鳥時代

飛鳥時代は、592年の推古天皇の即位からからはじまります。

この時代は、日本が中国と対等につきあうことを内外に発表した『身の程知らず』の時代です。それだけ、中国から独立することに必死でした。

聖徳太子は厩戸王(うまやとおう)じゃないといけないのか? 厩戸皇子はどこへ行った?

聖徳太子

今の歴史の教科書では、聖徳太子は厩戸王(うまやとおう)がちゃんとした正解らしい。『厩戸王(聖徳太子)』と書いてあるそう。

歴史は正確さを大事にしようということらしいのですが、日本人の名前はそうじゃなくてもいいと思う。

だって正確な名前を教科書に書いたら覚えられない人がいっぱい出てくるもん。

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国司ってだれが偉いの?昔は地域格差を法で決め1000年以上使われた。

日本地図

越前守、伊勢守、上野介...。戦国大名や江戸時代の武士たちが名乗ったこの名前は、本当は名前ではなく役職です。地方統治の長官・次官の名前。だからそれぞれの国名が入ります。

そして同じ長官でも、国によって朝廷の位階(等級)に差がありました。越前守と駿河守では越前のほうがワンランク上というように。

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明治より前の地方(旧国・令制国)のランク。地元が低くても凹まないでね?

日本地図

越前国(えちぜん)、陸奥国(むつ)、武蔵国(むさし)などなど、今の都道府県とはちがう地方の区分がありました(旧国)。

いまでは地域名や市町村などに残っているものもあります。そしてその地域には規模や朝廷が重要ポイントだと思っていたなどでランクがありました。

このランクを見ると昔の日本人がどこに憧れていたのかが分かります。

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第42代 文武天皇。日本誕生の手柄をもらったラッキー男。25才で早死して好環境を活かせず。

emperor monmu image

第42代 文武天皇(もんむ)は大宝律令の天皇として有名ですが、これらのシステムを作り上げたのは先代でおばあちゃんの持統上皇です。

政権の人材もおばあちゃんが用意してくれ至れり尽くせりの好環境だったのに、25才で亡くなってしまい活かせませんでした。

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第41代 持統天皇。国家を生んだ『日本の母』。この人なしに今の日本はない。

持統天皇 肖像画

女帝の第41代 持統天皇(じとう)が、国名を倭から日本に変えたことはあまり知られていません。

それ以外にも、国家・日本の基本が完成したのは、持統天皇(上皇)の時代です。

まさに『日本の母』。

この人がいなければ、日本人の当たり前がなかったことがたくさんあります。

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第41代 持統天皇。皇子だらけで困った人事。上位の皇子からいなくなる苦悩。

持統天皇 肖像画

女帝の第41代 持統天皇(じとう)の政治は皇親政治(こうしんせいじ)です。

政府の要職を天皇の息子たちで固めていました。困ったことに天皇の息子がいるわいるわ。

天智よ、天武よ、絶倫もたいがいにせーや』と言いたくなるほど。

(持統天皇もその絶倫から生まれている。)

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