天皇がリーダーシップを取る政治には天皇親政(てんのうしんせい)と皇親政治(こうしんせいじ)があります。
二つのちがいは時代、システムもありますが、いちばん特長的なのは天皇を支えた人がちがう。
皇親政治のほうが天皇も含め皇族に政治力が求められていました。
続きを読む日本の歴史を天皇を中心にして見ていきます。天皇を中心に見ていくと、
なぜ、院政というシステムができたのか?
なぜ、武士という階級が生まれたのか?
なぜ、明治維新という近代化が短期間でできたのか?
がひとつにつながって見えてきます。
天皇がリーダーシップを取る政治には天皇親政(てんのうしんせい)と皇親政治(こうしんせいじ)があります。
二つのちがいは時代、システムもありますが、いちばん特長的なのは天皇を支えた人がちがう。
皇親政治のほうが天皇も含め皇族に政治力が求められていました。
続きを読む『武家政権は平氏と源氏が交代で担当していた』という話を聞いたことがあるでしょうか?
源平交代論(げんぺいこうたいろん)と言います。
歴史好きには『たしかにそうかも?』と思う話で『そんなバカな!』という話です。
キッチリしたい性分としては、はっきりさせたいと思います。
続きを読む第70代 後冷泉天皇(ごれいぜい)は、先代で父・後朱雀天皇のころから関白だった藤原頼通(ふじわら よりみち)にぜんぶ任せて表には出ませんでした。
世の中は末法思想を信じてプチパニックを起こします。
このパニックを鎮めるために建てられたのが平等院で、仏教から浄土信仰が生まれました。
続きを読む第69代 後朱雀天皇(ごすざく)は、比叡山の抗争で京の都が火事に見舞われる災難に心を痛めた優しい天皇です。
不運なことに天然痘が流行り、天皇も天然痘で亡くなりました。
負けず嫌いで人に命令されるのを嫌い、法を守らない人には厳しい雷オヤジのような面もありました。
続きを読む第68代 後一条天皇(ごいちじょう)は、藤原氏最強の男・藤原道長(みちなが)の孫です。
藤原道長が栄華を謳歌できたのは、天皇一家が道長の子孫で固められたから。
3人の娘を皇后に出したのは道長ただ一人。前代未聞。というか後にも先にもこれを超えた人はいない。
続きを読む第67代 三条天皇(さんじょう)は、最大の実力者・藤原道長にイジメたおされて、心がポッキリ折れて退位します。
というか道長は中学生のいじめっ子みたいで幼稚すぎる。
そんな道長が三条天皇が退位の条件につけた取引を守るわけがありません。守るつもりがなかったのですぐに破りました。
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