日本の歴史では、武士が国家を統治をした時代が長いので、武士は上級だと思われがちです。しかし本当は、武士も含めて軍人のランクはけっして高いものではありませんでした。
徳川の将軍だって上級だった理由は別のところにあります。
(鎌倉・室町の将軍はそこが足りなくて上手く行かなかった。)
続きを読む鎌倉時代の歴史を見ていきます。鎌倉時代は源氏が作りましたが、源氏の時代は3分の1もありません。
じつはこの時代のほとんどは、平氏系統の北条得宗家の時代です。なかなか不思議で面白い時代です。
日本の歴史では、武士が国家を統治をした時代が長いので、武士は上級だと思われがちです。しかし本当は、武士も含めて軍人のランクはけっして高いものではありませんでした。
徳川の将軍だって上級だった理由は別のところにあります。
(鎌倉・室町の将軍はそこが足りなくて上手く行かなかった。)
続きを読む越前守、伊勢守、上野介...。戦国大名や江戸時代の武士たちが名乗ったこの名前は、本当は名前ではなく役職です。地方統治の長官・次官の名前。だからそれぞれの国名が入ります。
そして同じ長官でも、国によって朝廷の位階(等級)に差がありました。越前守と駿河守では越前のほうがワンランク上というように。
続きを読む越前国(えちぜん)、陸奥国(むつ)、武蔵国(むさし)などなど、今の都道府県とはちがう地方の区分がありました(旧国)。
いまでは地域名や市町村などに残っているものもあります。そしてその地域には規模や朝廷が重要ポイントだと思っていたなどでランクがありました。
このランクを見ると昔の日本人がどこに憧れていたのかが分かります。
続きを読む八幡宮は大小ちがえど、どこに行ってもある神社です。でも八幡さまはもともと、マイナーな神さまで『知る人ぞ知るカミ』でした。
それを全国に広めたのが武士の源氏です。
鎌倉幕府が朝廷に代わり日本統治に乗り出したので、八幡宮を氏神にしていた武士たちが全国に広がりました。そこで八幡信仰が広がります。
続きを読む第88代 後嵯峨天皇(ごさが)は、朝廷が天皇の即位を決められず、鎌倉幕府が決めた天皇です。
そしてこの時代には珍しく、26年の長期間、院政を行なった上皇でした。
続きを読む四条天皇(しじょう)は、歴代天皇の中で一番マヌケな人です。言い方は悪いですがアホです。
『こんな最後の天皇がいるんだ』という意味で面白い天皇かもしれません。ただし、天皇としての功績は何もありません。
少年天皇で、男子特有のアホさでもあるんですが、そのアホさが致命傷でした。
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